2002.07.03
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小崎哲哉/OZAKI TETSUYA インタビュー

『REALTOKYO』発行人兼編集長

PROFILE
1955年9月8日東京生まれ。血液型A型。慶応大学3年生の時に単身渡仏。70年代末のパリの街で、約2年間安ワインと映画三昧の日々を過ごす。
80年に帰国。編集プロダクションで『Free』をはじめ、さまざまな出版物の編集に携わった後、85年、新潮社に転職。その後、89年に、“トランス・カルチャー・マガジン”雑誌『03』を立ち上げ、副編集長に就任するが、創刊1年後に退社。神奈川県の逗子で1年弱ほどの充電生活を送る。
94年に(有)小崎哲哉事務所を設立。書籍やCD-ROMのプロデュースなどを手がけ、松井今朝子監修による『デジタル歌舞伎エンサイクロペディア』で、財団法人マルチメディアコンテンツ振興協会主催の「1995年度マルチメディアグランプリ・パッケージ部門教育作品賞」、「仏MILIA D`OR 1996 審査員特別賞」を受賞。その後は、96年のインターネット・ワールド・エキスポに、日本ゾーン・テーマ館のエディトリアル・ディレクターとして携わり、さらに、1999年度、国際交流のためのシティ・ウェブジン『REALTOKYO』(http://www.realtokyo.co.jp)をピースリーマネジメント(有)とともに出品。マルチメディアコンテンツ振興協会が実施する「マルチメディアコンテンツ市場環境整備事業」に採択される。
現在同ウェブジン発行人兼編集長。

若者向けの商品をつくるんだったら、せいぜい34〜35歳までですよ。

実は、『REALTOKYO』の編集長は、仕方がなくてやってるんですよ。ほら、雑誌に限らず、若者向けのモノをつくるんだったら、いいところ34〜35歳まででしょう。なぜって、「感性」の部分では、若者たちにはついていけないですからね(笑)。

若い方はご存じないかもしれませんが、その昔、『03』という新潮社から創刊された若者向けの「トランスカルチャー雑誌」があったんです。僕は、その立ち上げに関わっていたんです。ちょうど34〜35歳くらいだったでしょうか。立場は副編集長。編集長はたしか50代後半だったかな。「若者向けの雑誌なのに、なんで俺を編集長にしないんだ!」って当時は本気で思ってましたよ。まあ、僕自身も若かったといいますかね(笑)。

時代は80年代後半で、『Hanako』なんかが創刊する一方で、『New Yorker』とか『Esquire』とかに連載している海外の作家なんかもどんどん日本に紹介されるようになり、いわゆるサブカルチャーというジャンルで括られるようなカルチャーイベントもたくさん日本にやって来た。で、そういうカルチャー色の濃いイベント情報を集約した情報誌をつくりたい、と思ったんです。批評性の高い『ぴあ』みたいな感じ、とでもいうんでしょうか。

でも、結局は、いろんな力が加わり、誰にとっても中途半端な雑誌になってしまった。結果、『03』は24号で休刊。僕は、ちょうど半分の12号までいました。その後1年近く、毎日、海岸でぼーっとビール飲む生活してましたね(笑)。

デジタルメディアへの転換期。

91年〜92年頃でしたか。ちょうど出版界では、デジタルメディア研究が盛んになり、僕もいろいろなプロジェクトに声をかけていただきました。もっとも市場性のあるデジタルメディアがCD-ROMだった時代です。ちょうどそのとき個人的にハマっていたのが歌舞伎で、また、松井今朝子さんという、今は小説家でもいらっしゃる歌舞伎の専門家の方とも懇意にしていただき、「歌舞伎のデジタルメディア版百科事典」を制作しました。歌舞伎の歴史や舞台装置、主な作品の筋書きや現役の役者のデータベースなどで構成したCD-ROMブックです。

歌舞伎って、たとえば、見栄の切り方にも、シロウトには分からない型があるんですよ。腕の角度ひとつ取っても実に細かい。ですから、すべての写真を役者さんご本人にチェックしていただいて、もちろん、権利関係もきちんとして。結局、1年と8ヵ月くらいかかったでしょうか。たいへんでしたが、おかげさまで賞もいただきましたし、それなりに売れましたね。

その翌年、96年に、世界170カ国の人が参加した「インターネット・ワールド・エキスポジション」というのが開催されたんですが、日本ゾーン・テーマ館というのを知り合いがプロデュースすることになったんですよ。技術者とかプランナーはいるんだけど、実際の制作にあたるエディトリアル・ディレクターがいないからやってくれないか、と言われて。で引き受けたのが、ウェブの世界に入ったきっかけですね。その後も、フランス商工会議所のサイトをカルチャーと時事ニュースを柱にしてプロデュースしたりと、いろんなデジタルメディアの制作に関わりましたね。

文化的な多様性こそが、大都市東京の魅力。

でも、これまで編集者として、いろんなものをつくってきましたけど、結局、世の中に流通している文化的な情報って、どこも似たりよったりなんですよね。しかも、ビジネスに直接結びつかない情報はどんどん淘汰されてしまうので、報道自体が片寄ってしまう。それって本当=リアルじゃないですよね。まさに「文化的な鎖国」です。

また、海外の情報なんかも、欧米にに比べると著しく少ない。なんといっても、新聞に国際面が2ページしかない国ですからね(苦笑)。しかも、そのうちの半分以上はアメリカの情報の垂れ流しじゃないですか。そういう、閉じたメディア環境に風穴を開けたい、って思ったのが、『REALTOKYO』をつくったきっかけなんです。

「ツールとメディア」って言ってるんですけど、東京みたいな大きな都市になると、都会人が使う、便利なメディアが、実はない。もちろん、『ぴあ』さんなんかはとてもいいメディアで、私自身もお世話になっていますけど。でも、ひとつにはぶ厚くなり過ぎたし(笑)、もうひとつには、チケット販売につなげるために、ビジネスにならないジャンルの扱いがどんどん小さくなっていった。

東京の何が面白いって、文化的な多様性が面白いわけですよね。実際に、境界横断型の表現活動もものすごく増えている。現実の方が、サブカルチャーとハイカルチャーの垣根が取っ払わらわれているわけですから、メディアも当然、それに即応していかなくちゃいけない。『REAL TOKYO』は、サブカルチャー・マガジンでもハイカルチャー・マガジンでもなく、ちょうどその中間、ボーダーラインにいるようなメディアでありたいと思ってます。オルタナティブなカルチュラル・サーチエンジンとでもいうんでしょうか。

より「リアル」なものを求めて。

基本的には、『03』の時のマインドっていうのがずっと生きてるんでしょうか。根底には、いつも「ホントのこと、もっと知りたいな」っていう気持ちがあるんです。でも、本当のことっていうのは、実は、簡単に知ることはできない。つまり、レゾリューションの問題とでもいうんでしょうか。ホントのことが、100 兆くらいあるのに、僕らのレゾリューションには、25個くらいしか入らなかったりする。そうすると、100兆から25っていうのは、ほぼ無意味なわけですよ。だけど、25しか入らないんだから、30ぐらいあればいいや、っていうのは、やっぱり努力を放棄しているわけで、200とか300の方がいいだろうし、それより3000の方がいいわけです。だけど、その3000をふつうの人が、100兆の中から闇雲に選ぶっていうのはかなり難しいことだと思うんですよね。

たとえば、今回のサッカーを例にあげると、僕みたいなシロウトが、ぱっと観ただけでは、何がすばらしいんだかわからないことがある。まあ、今回のワールドカップの解説者はヒドい人が多過ぎたと思うんですけど、そこに適格な解説者がいて、ここをこんなふうに見れば面白いよ、って教えてくれていたら、もっと深く楽しめたんだと思うんです。カルチャーイベントも同じです。

実は、つい最近、「20世紀のリアル」をテーマに、『百年の愚行』という写真集をつくったんですが1万点以上の写真から厳選に厳選を重ねて、100点を選んだんです。フォトエージェンシーの中には、約6500万点も保有しているところもあるんですが、実際に全部見るわけにはいかないじゃないですか。それらの中から、僕達は、ある種のテーマをもって選んでいったんです。人手もかけて、時間もかけて、まさしく、「編集」の作業をやったんですね。その意図のひとつに、なるべく一般の人が、真実に近づくことができればいいな、っていう思いがありましたね。

『REALTOKYO』も同じです。映画って東京だけでも月に何本やってるんだろうか。ライブとかギャラリー、パフォーマンスなども、いったいいくつあるのだろうか? そういう無数にある中から、カッティングエッジなもの、リアルなものを厳選して紹介する「視点」こそがすべてなんです。

僕が考える、「ポスト・ポストモダン」は、フラットでないもの、

日本のアートやカルチャーの世界では、大きな流れとしては、村上隆さんとか椹木野衣さんとかが提唱する「スーパーフラット」っていうことになっているようですが、すべてが等価なのはいいとして、なにもかもがツルッとした状態になってしまうのはどうかと思います。まあ、椹木さんたちも言ってますけど、「スーパーフラット」には2つの解釈があって、2つの単語で、「SUPER FLAT」とすると、「超・平面的」ということになります。でも、「SUPERFLAT」とワンワードにすると、「平準さを越えて」といった意味合いになる。後者の方は、70年代の終わり頃に谷川晃一さんたちが「アール・ポップ」と名付けた事態と同じであって、その意味では歴史は進歩していない、というか繰り返すんでしょうね。そのこと自体は良くも悪くもない必然だと思います。

つまり、現代は、70年代から一回りして、いろんなモノが等価に見える時代です。村上さんたちは、そこに戦略の基礎を置いていて、それゆえに誤解を抱いている若い人がおおいと思いますが、僕は、世代も違いますし、あえて今の風潮に異を唱えたい、なるべくフラットでないものを持ち込みたい、っていう気がしています。その方が面白いもの。まだ、そんなに簡単に諦めちゃいけないと思うんです。いろんなオルタナティブを発掘し、紹介していく。そういう意味では、「ポスト・ポストモダン」は、趣味のいいポストモダンだったら、それはそれでありなんじゃないか、という気もしますね。

先日、「REALOSAKA(リアル大阪)」(http://www.realosaka.co.jp)が立ち上がったんですけど、将来の夢は、「リアル・パリ」とか「リアル台北」とか、世界中に「リアル・ナントカ」っていうのがたくさんできてリンクしたいですね。そういうカルチャーのコミュニティのようなものが世界中に拡がる日が来ることを楽しみにしています。


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