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Who's who in NYC_001: Perter Sutherland
レポート
2010.07.21
この記事のカテゴリー |  カルチャー |    | 

Who's who in NYC_001: Perter Sutherland

自分が惹かれるアートは、やっぱりものすごくパーソナルな自己表現ものだったりする

アレッジド・ギャラリー(ALLEGED)を取り巻くアーティストを中心に、NYから生まれたストリートカルチャーがアートとしての一分野を確立したのが1990年代のこと。
その後、ライアン・マクギンリーを中心にした新世代によって、写真という表現方法が注目されている。
NYベースの写真家のなかでも、異彩を放つ一匹狼的存在のピーター・サザーランド。2010年の今、改めてアートとの出会い、アートのあり方について聞いた。

11:19 am
Peter Sutherland, 2010
jen + the front wheel of her trek
Peter Sutherland, 2010
Q(佐久間裕美子、以下略) どんな幼少時代を過ごしたの?

A(Peter Sutherland、以下略) 8歳までミシガンの田舎で育ったんだけど、その頃のことでよく覚えているのは、舗装されてない道、BMXバイク、汗、アウトドア。とにかく暑かったのを覚えてる。いつも自分よりも年上の子どもに囲まれていて、彼らのことを追いかけていた。物静かで自信のない子どもだった。スポーツなんかもやったけど、何をやってもうまくなかった。夏はとにかく暑くて、冬がとにかく長い。そんな場所だった。

そのあと父親の仕事の都合で、家族でコロラドの道も舗装されているような郊外に引越して、スケートボードを始めたんだ。今振り返れば、コロラド時代で、僕に影響を与えたのは、何もないエリアの空き地で起きていたようなこと。たとえばアウトドアのパーティとか、グラフィティとかね。子どもって、何に対しても好奇心があるし、見たことや体験したことを吸収するし、そう思うと、子ども時代に体験したことが、自分の錨になっていると思う。

 

Q 写真を始めたのは?

A 20代に入ってから。アートに近いことをやり始めたのはずっと後のことなんだ。話が長くなるけど、普通に大学に行って、メディア学を勉強した。その頃はスノーボードに夢中になっていて、プロになりたいと思っていた。才能がないことに気がついて断念したけどね。

大学で、映画、TV、文学についての理論を勉強した。一番おもしろかったのは、テレビのコマーシャルを分析するっていう勉強。CMの内容を見て、そのなかでジェンダーや人種というような概念を分析した。学術的な理論って、人々の日々の生活とかけ離れていることが多いじゃない? でもCM分析の勉強は、自分の日々の生活にあてはめて考えられるようなことが多かったからおもしろかった。ある程度は夢中になったんだけど、それは自分の人生をどう過ごしていくかを決める助けにはならなかったんだよね。

 
大学を卒業したときに、友達がニューヨーク行きのチケットをくれたんだ。ニューヨークに行こうと思った唯一の理由は、他にやることがなかったから。行く前は、3週間くらい滞在したら、コロラドに戻ってスノーボードをやりながら暮らそうと思っていた。でもニューヨークにきたら、自分の頭のなかで何かが変わったんだ。何が変わったんだろうな。たとえば小さな建物のなかに、ものすごくたくさんの人が住んでるってことや、どの方向を見ても常に視界のなかで何かが動いていることとかに取り憑かれた。


 お金がなかったから、仕事をしないとと思って、「アンジェリカ・キッチン(http://www.angelicakitchen.com/)」というヴィーガンのレストランで職を得た。誰も知らなかったけど、そのうちガールフレンドができて、音楽やってるヤツらと知り合ったりして、ニューヨークの暮らしに慣れ始めた。当時、人は僕のことをアート系の人間だと思ったみたいだけど、ただ単に働いてただけだった。でも、マーク・ゴンザレスやエド・テンプルトンが「アレッジド・ギャラリー」でショーをやってるを見て、アートと出会った。

23歳になったばかりの頃、父親が死んだ。弟がその頃にはアーティストになっていて、ニコンのカメラをくれて、写真を撮り始めた。父親が死んだっていう現実から逃避したかったんだと思う。仕事をするとか、公園に座ってぼうっとする以外に、自分のエネルギーを注ぐ場所を必要としていたんだろうと思う。そして、この奇妙なオブジェクトが写真を撮るっていう事実に魅せられた。

写真を撮り始めたとはいっても、コンセプトとか大したものはなくて、自分がおかしいって思うものだけを撮っていた。で、写真を初めてわりと早い段階で、ジン(zine)を作った。6部作って、「Vice Magazine(ヴァイス・マガジン)」、ギャラリー「Rivington Arms(リビングストン・アームズ)」 に持っていった。Jeff Staple(ジェフ・ステイプル)に1冊渡して、 「Trace (トランス)」と「NYLON(ナイロン)」にも送ったけど、なくされたみたいだ。

自分の写真が商業的に成功するとは思わなかった。僕は、被写体を美しく撮るタイプじゃないし、だから「Vice」に持っていったんだと思う。そうしたら「Vice」からは仕事のオファーがきて、「Rivington Arms」 は、グループ展に作品を出さないかってすすめてくれた。タイミングが良かったんだと思う。うれしかったよ。当時の僕は、人生をどうやって送っていけばいいのかわからなかったし、迷子になってような感じだったから。どうしていいのかわからずに、お金も稼げない、そんな状況に安定した気持ちを持てなかったんだろうと思う。そうか、写真をやればいいんだ、って思った。そうしたら急にどんどんアイディアが浮かんでくるようになった。

 

Q ビデオを撮り始めたのはいつ?

A 父親が亡くなるちょっと前なんだけど、99年頃、デジタルビデオが登場して、そのとき持っていた貯金をはたいて3000ドルくらいのカメラを買った。それでスケートボーダーたちを撮り始めたんだ。完全に遊びとしてね。でもそれが楽しくて、当時の彼女と2人でバイクメッセンジャーを題材にした「Pedal」を撮った。ほうぼうの映画祭の審査に出したんだけど、どこからも反応はなかった。フロリダの小さな街がやってるものすごく小規模の映画祭にもひっかからなかった。でも、しばらく経ってからサウス・バイ・サウス・ウェストという音楽祭の映画部門に引っかかった。それがきっかけで、サンダンス・チャンネル(サンダンス映画祭が運営するケーブルのチャンネル)が放映権を買ってくれた。ちょうど写真がうまくいき始めた頃と前後するんだけど。

 

Q ビデオと写真に対するアプローチはどう違う?

A 写真を撮るのは、ただひすら楽しい作業なんだけど、ビデオに対しては仕事だという意識が強いかもしれない。大きなカメラを使わないといけないし、音とかアングルとか、考えなければいけないことが多いし、編集作業は辛い作業だし。写真は人とのコミュニケーションを通じて、相手に入り込んだりできるけど、映画は相手から自分を切り離さないといけないというのも大きな違いだと思う。

 


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Q 自分がアーティストだという自覚が生まれたのはいつ?

A どうだろう? 作り手が自分の好きなように創作して、それが 評価されてアートと認識される、っていうコンセプトが好きなんだと思う。トム・オブ・フィンランドみたいに。だからアートを作りたい、アーティストでいた い、とか、ギャラリーで個展をやりたいいう気持ちはいつもあったと思うけど、どうアプローチしていいのかわからなかった。僕が写真を撮り始めた頃には、ラ イアン・マクギンリーとか、同世代の写真家がギャラリーで個展をやってた。それを見て、自分の作品を見てもらうには本を作るしかないと思ったんだ。それで 「Autograf」を作った。3年くらい かかったよ。その後に「Pedal」、鹿を題材にした「Buck Shots」を作って、そのうち、徐々にいろんなチャンスに恵まれるようになった。グループ展の誘いがあっ て、そのうち個展をやらないかって声がかかって・・ そういうゆっくり進化していった形が自分らしいなと思うよ。

  いまだに自分がアーティストなのかはよくわからない。アートを作ってるって意味ではアーティストなのかもしれないけど、作品が大量に売れてるってわけでも ない。僕のショーをやってくれるギャラリーは、どこもエッジーな小さなギャラリーだし、チェルシーの一流ギャラリーとは縁がない。でも、今の僕が有名ギャ ラリーで個展をやっていたら、つまらないことになってしまうような気がする。ファインアートって微妙だよね。最終的には作品にいくらの価値があるかってこ とになってしまいがち。でも僕はTシャツについてるアートが好きだし、レコード・ジャケットをデザ インするアーティストが好きだ。グラフィティだって好きだし、雑誌だって好きなんだ。

 

Q 自分の作品を見て、いつも何か共通項があるとおもう?

A  僕がアートにわくわくする理由は、映画「Gimme Shelter」にすべて詰まってるんだ。セックス、愛、ドラッグ、ロックンロール、死、命・・・  それもものすごく詩的な手法で。この映画が僕の創作の青写真になってる。ひとつの共通項は、手法だよね。僕のアプローチは、どこかへ出かけて行って、人 と出会って、知らないものを探して、何かをコントロールしようとするのではなく、何かが起きるのを待つ、そして目の前で起きた事象を撮るというやり方。共 通項があるとすれば、自分がシャッターを押す理由になるのは、たとえば生と死とか、スピリチュアリティとか、そういうことについて考えさせてくれる被写体 なのかなと思う。客観的に何か共通項は見える?

 

Q 文化的な触媒の周りに集まる人々に惹かれるのかなと思っ た。スケートボーダーとか、自転車乗りとか。

A 人の集まりに惹かれる部分はあるとおもう。僕ら、いろん な文化現象が進化するのを目撃した世代だと思うんだよね。ヒップホップにしても、エクストリーム・スポーツにしても。それぞれストリートのような場所から 生まれて、始まったときは生々しくて、それが文化に成長するという過程を見てきたと思うんだ。人が集まって、何かを文化に変えていくという現象を好きな理 由は、スケートボードとともに育ったことや、グラフィティやってる友達が多かったからというのもあるかもしれない。それぞれやってることは違うけど、みん な、それぞれについて同じ情熱をもって語るよね。こういうサブカルチャーって、ある種の自己表現。たとえば道の向こうから友達がスケートボードに乗って やってきたら、ボードの乗り方とか服装といったことから、誰だかわかったりする。そういう意味では、アートの一番ナマな形なのかもしれない。

 

Q そういうナマの資質は失われつつあると思う?

A 商業的な形に拡大されたとは言えるだろうね。スケート ボードのテレビゲームがあるくらいだから。でもそれが悪いことだとは思わない。物事はすべて成長したり、進化したりするものだし、人々にとってよりアクセ シブルになるにつれてエッジは失われてしまうかもしれないけど、それは普通の進化だと思うんだ。ただ、ヒップホップの初期とか、あの頃の生々しさって、今 みてもものすごく刺激的だよね。NWAの初期のアルバムカバーとか、パンクロックみたいだし。

 


colorado vs japan
Peter Sutherland, 2010
10:34 am
Peter Sutherland, 2009

Q 自然やアウトドアが好きなのに、ニューヨークに住んでいる 理由は?

A 今は、旅をすることが多いから、半年くらいしかニュー ヨークにはいないんだけどね。よく、ニューヨークに暮らすってことは、誰かのハウスパーティに行って、キッチン周りにいることに似てるなって思うんだ。ハウスパーティで一番楽しい場所って、キッチンじゃない? 人がどんどんやってくるから。

  僕がニューヨークが好きな理由は、多くの人がニューヨークについて好きだと思う理由と一緒だと思う。世界中からいろんな人がやってきて、限りないエネル ギーがあって、自分がやりたいと思うことはなんだってできる。ヨーロッパと西海岸の間にあって便利だし。ただ、来たばかりの頃、好きだったことで、好き じゃなくなったこともある。住む場所が狭いこととか、混雑したレストランでご飯を食べたりすることとかね。ニューヨークに住むことで犠牲になることも多い。写真という意味では、ニューヨークを撮っておもしろい作品を作ることは難しいよ。ニューヨークの写真って、どうしても退屈に見えてしまう。写真家が同 じことを言うのをなんども聞いたことがある。でも最近、ちょっとニューヨークで写真を撮ることがおもしろくなってきた。路上のゴミ箱とか、そういうことな んだけど。

 

Q 以前、インスピレーションを受けなかったことからインスピ レーションを受けるようになってきたってこと?

A インスピレーションって、いつもそこにあるものだと思う んだよね。昔見た映画をもう一度見たら、またインスピレーションを受けたりするし。新しいものと出会い、新しい考え方や見方を学ぶことができる、っていう 言い方のほうが正しいと思う。たとえば最近、ウガンダに行って、何十年も内戦とともに生きてきた人たちと出会ったんだけど、そういう経験をすると確実に何 かが変わるよね。旅をしながら写真を撮ることが多いのは、そういうことだと思う。ニューヨークからインスピレーションを受けることが少ないのは、日常の雑 多なことにとらわれてしまうからかもしれない。

 

Q 旅先ではどういうアプローチを取るの?

A 旅はひとりでするんだけど、行く先々で知り合いや友達と動き 回ることが多いよね。人が集まる場所が好きだから、アウトドアのパーティに行ったり、パンクキッズが住んでる家に行ったり。世界中のいろんなところで、いろんなことが起きてるってことが好きなんだと思う。旅先でランダムな出会いを期待してるっていうか。

今度、ネパールのストリートの子どもたちに写真を教えるって仕事をするんだけど、そうやって行く先々で、何が起きてるかわからない、っていうことにわくわ くする。写真に限らず、たとえば、友達の写真を撮ってウェブサイトに載せたら、それがきっかけで、地球の反対側から仕事のオファーがきたり、そういう無作 為なことが好きなんだと思うんだよね。

 

Q 「Gimme Shelter」以外に、影響を受けた作品やアーティストはいる?

A 多くの人がインスピレーションの源にしてるけど、リチャード・プリンスはそのひとり。バイカーやヒッピーとハングアウトして、それを創作につなげるっていう手法を作り上げたというところに影響を受けたと思 う。若いアーティストではマギー・リーが好きだ。ちょっとおかしくて、ものすごくパーソナルなビデオを撮ってる。パーソナルな創作に惹かれるんだろうな。

 


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Q 最近はキュレーションもしているけど、写真やビデオを撮る のと、アプローチは違うの? 

A 写真を撮るっていう作業は、一言に「アート」といって も、何もないところから彫刻を作る、ということとは違うでしょ? もうすでに存在する何かを調理するという意味で。そういう意味ではキュレーションも似て いるかもしれない。それに、写真が1枚で、アートになる、という時代はそろそろ終わりかもしれ な い と思う。だから、キュレーションとか、エディットの作業が重要になってくるきたのかもしれない。

でも、世の中に出るイメージの数が多すぎて、写真はたとえば「言語」くらい当たり前のことになりつつある気がする。雑音が多すぎて、写真という媒体自体が 希薄になってしまっている。以前は、たとえばチリを撮ったとしても、それがひとつのステートメントになることだってあった。写真がアートの形として認識さ れたのは、せいぜい80年代のことで、それからは「アート」ってことになってたけど、最近の写真は消耗品になりすぎて、また何か別のものに変りつつあるんじゃないかって思うんだよね。

  もちろん、ひとつのイメージが、ものすごいパワーを持つ、ということはあると思うよ。たとえばホンマタカシは、何でもない路上の一角を撮って、それを力強 い作品にすることができる。でも、写真を取り巻く環境が変わってしまったのではないかって思うんだ。誰もができることが、どうやったらアートとして生き 残っていけるんだろう? わからない。きっとその答えはこれから出るんだと思うんだけど。

 

Q アートは、あなたにとって何を意味する?

A すごく奇妙な存在だよね。すごく自分中心というか、内向的というか。自分がやってることがアートだっていう概念に対して葛藤がある。自分は社会に貢献してるんだろうか、ってね。それはよく考える。楽しんでないってことじゃない。写真を生業にできてることは、ラッキーだと思うし、感謝してる。でも別の方法で社会に貢献している人を見ると、自分は誰の役に立ってるんだ、って思うときもある。きっと存在理由があるんだろうとは思うけれど。でも一方で、自分が惹かれるアートは、ものすごくパーソナルな自己表現ものだったりする。不思議だよね。

[インタビュー/文:佐久間裕美子(NYC)]


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