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2004.06.21
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鈴木岳/SUZUKI TAKESHI インタビュー

株式会社R-body project代表取締役

PROFILE:
1971年2月23日東京生まれ。血液型B型。 3歳よりスキーや剣道、少林寺拳法などさまざまなスポーツをこなすスポーツ少年として育つ。なかでもアルペンスキーは学生時代に部活・体育会に所属。札幌大学入学後は選手として海外遠征などを経験し活躍する。
同大学卒業後、日本ではまだ馴染みのないアスレティックトレーナーという職業を目指し98年に渡米。ワシントン州立大学で学ぶ。全米公認アスレティック・トレーナー(ATC)の資格を取得し、同大学を卒業。その後、全日本スキーフリースタイル(モーグル)チームの専属トレーナーに就任しソルトレイク・オリンピックでの里谷多英、上村愛子の活躍に貢献する。
その後、誰もが気軽にトップアスリートレベルのカラダに関するサービスを受けられる総合的な施設を日本にもつくろうと、トレーナーや鍼灸師と、元サッカー選手でフットサルなどのスポーツ施設の開発・運営経験者、元ラクロス選手で元大手銀行・大手ディベロッパーでフィットネスクラブ開発経験者らの計5人のスペシャリストで「R-body project」を03年12月に設立。代表取締役に就任する。
現在、筑波大学大学院博士課程に在籍しつつ、JAPAN ATHLETIC TRAINERS ORGANIZATIONの理事も務める。今秋表参道に「R-body project」の本拠地となる施設を開設予定。

身体のコンディションを把握し、悪いところを克服するためにトータルでサポートする仕事

この前フットサルをやったら、やっぱり昔傷めたところが痛みました。でも悪いところをわかっていてその対処方法がわかるのでぜんぜん問題はありません。家に帰って適切なストレッチをしたらすぐに治りました。

スポーツ選手というのは怪我かつきものです。まあ、本当の超一流選手、トップオブトップクラスの選手はそれほど大きな怪我はしないんですけどね(苦笑)。僕は才能がある、というタイプではなかったのでよく怪我をしてました。靭帯を伸ばすことなんてしょっちゅう。格闘技なんかもするんですが、あるとき床にバーンと叩き付けられてくるぶしの骨がぐしゃって砕けたこともあります。

でも今は、自分の身体の悪い場所やその要因、症状が分かっているから、それを改善し予防するためにどんな運動をしたらいいのかもわかる。アスレティックトレーナーという仕事は簡単にいうと、身体のコンディションをきちんと把握して、それを克服するためにトータルでサポートすることなんです。
5人のプロ集団により始動したR-body
project。左がマーケティングマネー
ジャーの坂口さん。右が鈴木社長。

天職「アスレティックトレーナー」との出会い

小さい頃からスポーツは全般的に好きでした。剣道とか少林寺拳法とか。なかでもスキーはいちばん好きでしたね。自然を相手にしているところがあるじゃないですか。同じコースはないですし。最近サーフィンを始めたんですが、ちょっと似ていると思いました。

部活はスキー部。とにかく部活中心の生活でしたからオシャレなんかはまったく無縁。スポーツしてるか遊んでるかの青春でしたね。大学に入ると海外遠征をするようになり、カナダかニュージーランドでの合宿生活。典型的なスポーツバカっていうタイプでした(笑)。

そんなでしたから卒業後の進路を意識したのは大学4年になってから。どうしようかなあと思っていた時に、大学で加藤先生という方がいて、その先生がトレーナーの国際資格を持っていたんです。自分がプレイヤーじゃなくてサポートする仕事。そういう職業があるんだと感動して、自分もやりたい、と思ったんです。さっそく加藤先生に相談したら、スポーツトレーナーの資格を取るんだったらアメリカに行けって言うんです。単純なんで、3ヵ月後には手続きしてアメリカに行ってました(笑)。

アメリカに行ってすぐ思ったのは、これはたいへんなものに手を出してしまったな、ということです。授業はやはりハード。日本語でいうスポーツ医学部になるんですが実習の授業がたくさんあるんです。ドクターとは医学用語を使ってのやり取りがありますし、選手とも話をしなければならない。たいへんだけど、とにかくなんとしてでも単位を取得しなくちゃいけない。毎日必死でしたね。

約2年半の正規授業と語学学校の3ヵ月を加えて合計3年ほどで無事に卒業。全米公認スレティック・トレーナー(ATC)という資格を取得することができました。

2つめの野望

卒業してしばらくはアメリカでトレーナーとして働いていたんですが、たまたまソルトレイクオリンピックに向けて全日本スキー連盟が専属のトレーナーを探しているという話が飛び込んできたんです。

実は僕、いくつかの野望がありまして、1つめがアメリカで資格を取ることで、2つめはスキーに関係する仕事に就くことだったんです。こんなチャンスはないじゃないですか。さっそく会いに行き、全日本スキーフリースタイル(モーグル)チームの専属トレーナーとして雇ってもらえることになりました。しかし、最初の1年は無給! 当時日本ではまだトレーナー=マッサージをする人というレベルの認識でしたから仕方がありません。

選手にとってもそれは同じで、最初は「あんた誰?」っていう状態からのスタートでした。サッカーのようにJリーグ設立当初からいろいろなものが整備されたスポーツとは違うので仕方がないといえば仕方がない。なかには僕に身体を触らせないという選手もいましたよ。一流の選手になると自分の身体がどんな状況にあるかがある程度はわかるんです。彼らは身体が資産なわけですから、信頼していない人には触られたくないですよね。そういう場合は選手の気持ちを優先させます。なぜなら信頼関係がすべてですからね。

全部で選手は約30名ほどいたでしょうか。6月にカナダ行って、7月に帰って来て、8月にはニュージーランド。9月に帰国して10月にスイス。で11月からワールドカップで欧州・北米を転戦というスケジュールで選手たちといっしょに生活を共にしながらトレーナーとしての仕事をしていくうちに、徐々に選手との信頼関係もでき、オリンピックではメダルを取る選手も出て、とてもいい経験になりました。

面白いのは、選手や監督などの現場の人たちとフロント、いわゆるネクタイの人たちとの調整役でもあったことでしょうか。というか、ほとんどそんな仕事ばっかりだったかな(笑)。まあ、内実は日本独特の状況ではありましたが、少なくとも現場の人たちにはアスレティックトレーナーが何をする人なのかということは分かってもらえたような気がします。
現在開設準備室でパーソナルの施術
コースを開催中。
一瞬の触診で腰痛の原因を診断され、
毎日の自宅での運動を教えてもらった。

アイデアは7年前にまで遡るんです

実は、アメリカから帰って来たときにフィットネスジムに行ったんですが、アメリカと違うなと感じたのが最初のきっかけです。日本のジムにいる人を観察していると、肩が痛いとか腰が痛いと言いながら、それを予防するとか治すトレーニングをしないで、ただそこに設置してあるトレーニングマシンをシャカシャカ動かして汗をかき、“やった感”を味わっている。そして、腰は痛いままだから10分マッサージに行ったりしている。根本的に何も解決していないぞ!

アメリカは違いました。ジムのようなトレーニングをする場所の他にクリニックというところがある。日本の病院でも理学療法室ってありますよね。それが病院から独立してクリニックという業態になっていて、何か問題がある人はそこに行って身体を評価してもらい、その人にあったリハビリメニューを組んでもらってリハビリテーションやトレーニングをするわけです。アメリカのクリニックは、自分の身体のコンディションを診断してもらいそれを治す場所、とでもいうのでしょうか。日本にはそういう施設はなかったんです。

じゃあ、なんとかそんな施設を日本にもつくりたい! そう思ったんですが、アメリカとまったく同じものを真似ても実現不可能なので、それと同じような形態で日本に適応するような形で事業化できないか。そう思ったときに、フィットネスジムに併設するのがいいなと思い、とあるフィットネスジムに企画を持っていったんです。すると、「鈴木さんは専門がスキーなので、エアロビのスタジオ使ってスキー用のグループレッスンとかしてもらえるといいんですけど」とか言われちゃって。それはぜんぜん違うな、と思い、その企画はしばらくしまうことにしました。かれこれ7年前のことです。

5人のスペシャリストが集結。「R-body project」始動!

「R-body project」の創設メンバーは5人。そのなかの1人、佐保と僕が古くからの友人です。佐保は僕と同じ資格をアメリカの別の大学で取得したんですが、学生の頃から、ときどき会ってはいつかは自分の城というか自分の施設をつくりたいねっていう話をしていたんです。でも、日本という市場を考えると、個々に説得力のある実績をつくらないと誰も来ない。そう思い、しばらくはそれぞれで頑張って実績をつくろう、とお互いに励ましあっていました。

彼はサッカーのチリ代表チームのトレーナーを経てその後名古屋グランパスのトレーナーとして実績もつくりました。僕もソルトレイクまでそれなりに頑張ってきたので、そろそろ始めるかっていう話になったのが03年春のこと。さっそく中目黒のマンションに家賃折半で2人で机を並べて事務所ということにしました。そして、「neo」っていう名前で法人化しようかと思っていた矢先、たまたまこのメンバーたちと出合ったんです。

まず、佐保の繋がりで、鍼灸師でスポーツ選手や芸能人などのパーソナルトレーナーを務める大高が加わり3人に。さらに大高の繋がりで坂口のところへ。坂口は当時大手ディベロッパーでサッカーやフットサル等のスポーツ施設の開発・運営に携わっていたことから、僕の7年ごしのプランを話したところ、それは面白い、しかもひょっとしてこれは一事業として成り立つんじゃないかと言われたんです。僕も佐保のような職人と、事業化とかマーケティング、マネージメントとか専門家に任せたほうがいいと思い、意気投合。たまたま坂口の会社の同じ部署の後輩で元大手銀行に勤務していた神西、今は「R-body project」のマネージメントを担当しているんですが、彼が加わり、あっという間に5人が集結。改めて事業企画書を作成することになりました。

コンセプトは「身体の再生」です。坂口が開発の仕事をしていた関係でイデーさんとの繋がりがあったので、「イデーさんが不動産の再生をしているのに対して、僕らは身体を再生します。ハード、入れ物の『R』とソフトの『R』ということでいっしょにやりませんか」、みたいな感じで黒崎社長に投げかけたんです。まあ、実は以前から黒崎社長が生活をトータルでサポートすることをやっていくなかで、身体ネタを求めているというのを知っていたんですが、ひじょうに気に入ってくださり、「R-body project」として始動することになったんです。

7番目の野望?!

03年12月に(株)R-body projectを設立。企業理念は「R-body for Life!」としました。今秋、10月ごろには本拠地となる施設を表参道エリアにオープンする予定で、今はその準備に追われています。

準備室でのパーソナルの施術のほかには、青山や丸の内などでワークショップを行っているんですが、おかげさまでかなり好評! 8割が女性で30代〜40代が中心です。もともと僕や佐保がやってきたことはスポーツ選手が対象という意味では本物志向といえますが、それを直球で一般大衆に投げても、ごく限られた世界で完結してしまいます。イデーさんと組んだことで、スポーツとか運動が生活の中心じゃないふつうの人たち、特に女性に知ってもらえたんだと思います。

人の身体はみんないっしょ。スポーツ選手だけが特別なわけではないんです。トップアスリートが受けているような身体に関するオーダーメードのサービスを、一般の人にも受けてもらいたい、というのが「R-body project」が提供していく価値です。でもそのウラには、これから育ってくる僕らのようなトレーナーの職域の拡大という使命もあります。

「職人」なんて聞こえはいいですけど、それだけです。ひとつの職を生涯ずっと黙々と続けるものですよね。僕もそう思っていましたし、そうなりたいと思っていました。坂口らと出会って変わったのは、自分たちが得た専門的な能力というのは、しっかりと世に認知してもらって初めて職人なんではないかな。ずっと世に出ず、埋もれていってしまうのでは単なる自己満足に過ぎないぞ、ちゃんとビジネスドライブに乗せて正当に評価してもらって認知されて初めて職人なんだなと思うようになりました。今でこそスポーツ業界でアスレティックトレーナーという仕事は少しは認識されるようになりましたが、スポーツ人口はまだ2割っていいますからね。8割は知らない。まだまだです。

将来は「R-body project」をヘッドクォーターにして、いろんな場所で「R-body project」から育ってきたトレーナーがどんどん活躍するようになるといいなと思っています。それが8番目の野望で、その前の野望として結婚すること!と言いたいですね。既に5人のうちの2人が既婚者なんですが、今年中に他の2人も結婚するんですよ。そうするとシングルは僕だけになる。マジでヤバいです! 「彼女募集中!」って書いて下さいね。


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