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レポート
2005.05.07
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平舘美木/HIRADATE MIKI インタビュー

(株)hime club & company 代表取締役
幼少期の美木さん。左は1歳下の妹さん。
現在はヒメクラブの経理を担当している。

13歳で自己分析

私は挫折人生なんです。もともとは雑誌の編集者になりたかった。さかのぼれば中学2年の頃。ホームルームの時間に、明日までになりたい仕事を決めてきなさいという宿題が出たんです。まだ13歳。でも、歌手とかじゃなく、現実的に「職業って何だろう」と友だちと真剣に話しているうちに、そうだ、こういう事やりたいって紙に書いてみようってことになったんです。今でこそ本でありますよね、なりたい自分を紙に書き出してみる、あれを13歳でやったんです。

いろんな人に会ってみたいとか、ずっと仕事をしたいとか、芸能人にも会ってみたいとか。思いつくままにいろいろ書きました。次に、やりたくないこと。ずっと座っていることとかね(笑)。

それから、得意なこと、不得意なこと。例えば私は国語が得意だったので、国語の先生にはなれるけど数学の先生にはなれない。そうやって書き出していって探したんです。そんな私にぴったりな仕事って何だろうって。ミーハーだったりする気持ち、文章を書くのが好きで、数学が苦手。すると、本とか雑誌とかを作る人がいい。そう思ったのです。

当時読んでいたのは『nonno』や『プチセブン』、『セブンティーン』。そんな雑誌の編集者になりたい、そう書いて先生に提出したんです。そうしたら先生が、なるルートを書いてきなさいと言うので、わからないなりに高校は普通科で、大学の文系に行きますって発表した。そこからですね、思い込みがはじまったのは。「私は将来雑誌の編集者になるんだ」って毎日毎日言っていた。中学生のときは休み時間の度にそう言っていたそうですよ(笑)。高校生になってもずっとそう思っていました。

人生、要領よく生きていかなきゃいけないんだ!

うちの親は勉強しなさいとか一度も言わないタイプでした。父は大手広告代理店に勤めていたので帰宅は毎日深夜。週末もいないことが多かったですね。母はミーハーな専業主婦。今は韓流にハマってます(笑)。

小学校高学年になるとみんな塾に行くじゃないですか。「私も塾に行きたい」って親に言ったら「どの塾?」と言われたので、自分で調べて決めたんです。でも、それは友だちが行っている進学塾とは違う補習塾だった。なんだ、塾にも種類があるんだって入ってから気が付いた(笑)。

高校進学の時も、近所にできた新しい高校が校舎もきれいだし、制服もかわいいからって自分でそこに決めて入学したんですが、推薦入試の枠もなければ進学の資料もなっちゃない。さあ受験ですってなったときに大変なことに気が付いた! あわてて現役向けの予備校に通い始めましたが、他校との学歴の差が歴然。あわてて学校の勉強はそっちのけで受験勉強に励みました。

全国模試とかあるじゃないですか。ふだんは私よりも成績優秀な同級生が、全国模試では低い点数だったりすることもある。そのとき、人生って要領よく生きていかなきゃいけないんだ、ってつくづく思いましたね。

結局、希望していた大学には入れず、受かったのは家の近くの短大のみ。親には落ちたってウソついて予備校に通おうと目論んでたんですがバレちゃって(笑)。当たり前ですよね。そうしたら編入試験というものがあるということを知り、じゃあ、4年制じゃないと編集者にはなれないけど途中で編入すればいいんだ、と取りあえず入学することにした。しかし、編入試験は募集人数がものすごく少なくて一般の受験よりも狭き門であることを後から知るわけです。当然落ちてしまい、再び進路に悩むことになりました。
OL生活にピリオドを打った日の
平舘さん。89年のこと。
憧れの編集者へ転身を図った平舘さん
(いちばん右)。

「OL」という職業に就いて

3月も半ば過ぎになり、1人寂しく学生課に相談しにいくと、編入試験や公務員試験を落ちた人の枠というのがあった。さっそく、面接しますという会社が何社かあり、NECの関連会社で、今は統合でなくなってしまいましたが、3月に入社試験を受けることができたのです。面接の時のこと、こんな時期に受けているのにも関わらず、志望動機を聞かれると、この会社に興味があったので、とみんなは答えていましたが、私は正直に「私の興味があったのはマスコミです。雑誌の編集者になりたくて今まで努力してきました。編入試験を受けたのは4年制じゃないとそういう仕事が出来なかったからです。試験に落ちてここの会社を知ったのですが、私としては入るからには頑張ります」って言って受かりました。

OLさんになると日々覚えなくちゃいけないことがたくさんありますよね。入社3ヶ月が過ぎたころ、フレックス制度が導入されたんです。しかし、不思議なことに誰も使わない。所属していたのは大人数の部署で、端から端まで300人ぐらいいるフロアだったんですが、誰ひとり使わないんです。女性陣も終業時間を意識してみんなゆっくりと仕事をする。

ある日、一生懸命に仕事をやったら午後1時とか2時には仕事が終わっちゃった。そうだ、フレックスを使おう!そう思って、「課長、私仕事が簡単過ぎるんで終わっちゃっいました。今日美容院に行きたいのでフレックスで帰っていいですか?」って言ったんです。そうしたら課長が、「明日までに美木ちゃんの仕事用意しておくから帰っていいよ」って言ってくれました。実は、その会社で一番最初にフレックスを使った新人だったんです。そうしたら、翌日から、みんなフレックスを使うようになりました。会社っておかしいなってそのとき思いましたね。

他にもありますよ、ジーンズ通勤の解禁。ラッシュ時の山手線って凄まじいじゃないですか。麻のスーツとか着ていったらもうシワシワ。そうだ、制服があるんだから行き帰りはジーンズでいいじゃない!と思い、「課長、私、ジーンズで来たいんですけど」って言ったんです。すると、課長は、会社はジーンズで来るところじゃないって言われたんですが、「でも制服があるのに何がいけないんですか? しかも、私は営業じゃないから外の人と接することもありません。私は学生時代渋カジだったので、ウソなんですけどね、スーツのような洋服はあまり持っていないんです。それに、こんな安いお給料じゃスーツが買えません。せめてボーナスが出るまでジーンズでもいいんじゃないですか」って言って渋々ジーンズ通勤の承諾を取った。すると、フロア中ジーンズで来るようになっていました(笑)。

そんなある日、社内を歩いてたら、「すいません、広報室どこですか」って訪ねられたんです。きっとライターさんとか宣伝とか、そういう人に違いないと思って、追いかけてって、「すいません、何の仕事しているんですか?」って聞いたんです。そうしたらライターだって言うので、「そういうのってどうやったらなれるんですか?」って聞くと、その人は編集プロダクションっていうところに所属していた。編プロってものがあるんだとそのとき知り、「それって4年制の大学じゃなくても入れるんですか?」って聞いたらそうじゃなくても入れるよって言われたんです。ちょっと希望を持った瞬間でしたね。

「OL」という職業が売りになった瞬間

日々のOL生活もそれなりに楽しく、合コンも行くし、当時ジュリアナ東京も出来た。学生のときもそうなんですけど、毎日が楽しいと1年ぐらいってあっという間に流されちゃうじゃないですか。そしたらあるとき満員電車の窓にポスターが貼ってあり、『今しか出来ないことは何ですか、今から出来ることは何ですか』っていうキャッチコピーが目に飛び込んできた。その日、辞表を出しました。

流されるところだったと気が付いた。1年3ヶ月めのことでした。辞める理由を聞かれたので、私は雑誌の編集者になるから辞めますって言ったら、そういうのは本当に選ばれた人間がなって、マスコミなんて難しいからふつうの人はなれるものじゃないって言われたんです。

でも私はなるんだから辞めさせてくれ、辞めさせない、ともめていたら、定年間近の部長が、課長に「辞めさせてあげなさい」って言ってくれたんです。僕も何回も会社を辞めて何かをやろう、自分に何か可能性があるんじゃないかって思ってきたけれど、もうすぐ定年だって。人生なんてすぐ終わっちゃう。君はまだ若いんだから、やり直しがきくかもしれない。ダメだったらまたやり直せばいい。その一言で辞表が受理されたんです。

さて、辞表が受理されたものの、どうやったら編集者になれるんだろうっていうことで、まずは新聞をチェックすることにした。すると、たまたまSSコミュニケーションズという、今は角川に買収されたんですけど、セゾングループの情報誌事業が立ち上がるということで、スタッフを大量に募集したんです。未経験者、短大卒可って書いてあったんですよ。ちょうど『東京ウォーカー』が創刊された時代です。これだ!と思って即応募しました。

そのとき出された作文のお題が「私のエンターテイメント」。エンターテインメントといえばサザンかユーミンしか聴かなくて、映画もプリティウーマンくらいしか観てない。困ったな、と思っていたところ、たまたま数日前に、友だちから相談を受けたことを思い出した。それがかなり衝撃的な告白で思わず言葉に詰まってしまい、ドラマだったら次に何て言うのかなって思った瞬間があったんです。こんなことが日常に起こることってあるんだって思った。で、そのことを書いたんです。作りものよりも日々自分たちが生きている中に本当のドラマがある、と。書き出だしは友だちのセリフにしました。

みんな映画論とか書いてくると思ったので、どうせ何千人の中で目立つにはまず最初の2行を読ませなくちゃ。どうしたら才能のない私が目立てるかなって思ったときに、セリフから入ったんです。そんな人は少ないだろうと思って。そうしたらやっぱり読んじゃったっていう人がいて、無事に書類選考を通過しました。

最終面接は9人。このなかから1人しか通らない。レコード会社にいましたとか、カメラやってますとか、編集とかライターなど、私以外の人はみんな経験者だった。私は何をアピールしたらいいんだろう。そう思ったときに、「皆さんはもともとマスコミにいて即戦力にはなると思いますけど、ひとつだけ私が絶対に勝てることがあります。クリエイターの人たちが読む雑誌を作るんですか? OL向けですよね? 私は今OL生活をやっていて、女の子たちが何に興味を持っているかをこの人たちよりもわかります。いちばん売れる雑誌を作れるのは私です」って言って受かったんです。OLだったことが売りになった瞬間でした。

「あなただけのガラスの靴があるは
ず・・・」がヒメクラブのコンセプト。

「ワクワクするようなこと」を教えてあげたい

盛り上がったのは会社の同僚たちです。たぶん自分のことのように盛り上がっちゃった。ひょっとしたら私にもそういうことが出来るかもって元気になったんです。同期の女の子が、当時メールがないので、「同期の美木ちゃんが辞めます。一言コメントをください」っていうのを全国にFAXで流したんです。大量入社時代ですから当然知らない人もいるんですけど、何通か返ってきた。あなたは誰ですかって書いてる人もいるし、辞めるなんて勇気ありますねとか、頑張ってくださいとか、コメントがFAXでどんどん戻ってきたんです、日本中から。

そのなかの1人の子が書いたものが、「ヒメクラブ」の重要なキーワードになっているんですけど、「私たちは日々お弁当を食べながら、きっといつか自分はこういう人間になるとか、ここは仮の姿でいつか自分探しで何かを見つけて、世の中に出ていくこともあるかもしれないと思って、毎日愚痴を言いながらやっている。だけどきっと私たちはわかってます。たぶんずっとここにいます。愚痴を言いながら社内結婚をして、きっと平凡な人生を送っていくと思います。でも、自分たちの同期に夢を実現する人がいるということを知りうれしいです。その後の人生をみんなで応援してます。頑張ってください」って書いてあったんです。そのとき、わーって何かが沸き上がるのを感じました。

私はいつも、愚痴があるんだったら辞めればいいじゃんって思ってたんです。実際に友だちにも言ってましたし。そんなに嫌なんだったらなんで行動を起こさないんだろうって疑問だったんです。でも、このとき初めて、世の中は私みたいな人ばかりじゃないんだっていうことがわかったのです。スポットライトを浴びたり、自分の能力をフューチャーされるようなこと、そういう経験をしてみたいって思いながらも無理だと埋もれていく人たちが大勢いる。それがわかったときに、そういうOLさんたちが、直接仕事にまではしなくても、恋愛以外でもワクワクするような、そういうことがあるんだっていうのを彼女たちにも知って欲しいって強く思いましたね。昇進の瞬間とか、仕事がノってるときのアドレナリンが出るような感覚とか、男性は仕事で味わえることがあるけれど、女の子は味わえないことが多いじゃないですか。
96年秋に平舘さんが立ち上げた日本初の
コスメ専門雑誌『ビーズアップ』

憧れの「女性誌の編集者」になって

憧れの雑誌の編集の世界。何から何まで初めての仕事です。日々没頭しているうちに、あっという間に数年が過ぎていました。特集ページや巻頭グラビアなども任され、憧れのユーミンのインタビューも取った。ひと通りなんでもこなして慣れてきたときに雑誌が休刊することに。そんな折、『JJ』のお母さん版を作りたいんだけど来ないか、と誘われたんです。

憧れの「女性誌」の編集者になれる、そう思い転職したんですが、なかなか方向性が定まらず、そうこうしている間に『VERY』が出ちゃった。仕方がないから『アサヤン』やれってことになったり、ムック本作ったり。コンサバなものをつくりたいのに、ガングロギャルとかストリート系とか全く興味がない雑誌ばかりでいい加減イヤになり、もう辞めたいって思ってたときに、たまたまべルシステム24という会社が出版事業をやろうとしているという話が入り、企画を出して欲しいということになった。ファッション雑誌はいきなり無理。ということで、マーケティング的な、口コミとかそういうのはアリだなと思いました。広告が入りそうなもので世の中に今ないものは何だろう。そう考えたときに、美容雑誌だ、季刊誌みたいなものはあったけど月刊誌はないぞ! 美容ライターさんを何人かつかまえれば化粧品も借りられるんじゃないか、そしたらアリだな。そう思って立ち上げたのが『ビーズアップ』です。

創刊は96年の秋。その後、時代はカリスマ美容師ブームに突入です。あっという間に軌道に乗り、バカ売れしましたね。でも、気が狂いそうに忙しかった。朦朧としていましたね。一時は人がいなくて3人でつくっていたときもありました。当時『JJ』の看板モデルだった梅宮アンナちゃんとか『Cancam』の長谷川理恵ちゃん、などに自分のページに登場してもらい満足のいく撮影が終わった瞬間に燃え尽き症候群みたいになっちゃった。13歳からずっとやりたかった女性誌の編集の仕事だけを目指してやってきて、この先どうしたらいいんだろうって思ってちょっと呆然とした。28歳のときのことでした。

たまたま、昔の上司で現在は映画監督の中川陽介さんと会う機会があり言われたんです。「平舘、おまえもそろそろ次の段階なんじゃないの?」って。たしかに、私は世の中の人が感動したり、わって驚いたりする、そういう現象を起こしたいって思ってた。私も人を感動させるような脚本を書きたいって本気でそう思い言ったんです。そうしたら「おまえさ、ポスト北川悦吏子で出ていけよ」ってそそのかされて、うんって言って、その日校了だったんですが、編集長に辞表を出しちゃった。「辞めさせてください」って。なんでだって聞かれたので、「私はこれからテレビの世界で生きていこうと思います」って言ったんです。
美容関係の座談会のようす

シナリオライター経由、マーケティングプランナー

9時5時でOLさんをやり、週何回かは脚本学校に通い、アフター5に執筆するという生活パターンにしようと派遣の登録に行きました。すると8年間の雑誌の編集経験から、広報とかそういうお仕事はどうですかって言われて。残業があっちゃ意味がない、とことごとく断ったとにかく新聞に書いてあった会社に片っ端から電話を掛けたら間違ってヘッドハンティングの会社に掛けちゃった。

「MBAとかお持ちですか?」って言われて、「え?」「どちらの大学で?」「いや、短大です」って。すいません間違えましたって切ろうと思ったら、あなたは何の仕事をしてましたかって聞かれて、雑誌の編集ですって言ったら、それなら来てくださいって言われて。でも私はそういう正社員とかになる気はないし、キャリアもないのでと言うと、うちは関連会社で派遣OLをやっているところもあるので、両方同時に登録できるから来てくださいって言われて行ったんです。

両方登録したら、掛かってきたのはやっぱりヘッドハンティングの方でした。ひとつは、某化粧品会社の宣伝部に来ませんかという話。でも残業がある仕事は困ると断ると、名古屋にある会社なんですけど、自動車の内装デザインとか化粧品雑貨とかインテリアとかいろんなことをやっている会社があり、女性向けをコンセプトに大手自動車メーカーのプレゼンに乗るような企画を出したいと思っているので、雑誌の編集とか女性のトレンドをわかっている人を採用したいっていうんです。とにかく面接だけでもって言われて、失礼な話なんですけど私全然行く気がなかったので、自分のプレゼン能力を試そうと思い行きました。

「これって毎日出社ですか」「もちろんです」「毎日は行けませんね」。何しに来たんだっていう感じですよね、人事部としては。でも、こちらは行く気がないので、堂々たる態度で「マーケティングプランナーとは」っていう話なんかをしちゃいました。「マーケティングプランナーは、遊んでないとダメだし、いろんな情報を得るには机に座っていてはトレンド分析も出来ません」って偉そうに言っちゃった。

「出社は何時なんですか」「8時半です」「午後からにしてくれませんか」「は?!」「起きれないんですけど。私は長い編集生活で朝は起きられないんです。夜ビデオを見たり、夜遊びもしますし。トレンド情報の収集でいろんなことをやるんです。クラブとかに行って次の日会社だと思うとねえ。やっぱり遊びなのでいちばん盛り上がる深夜にいないと、マーケティングには使えませんから」。さらに「私はコピーライターとか他の仕事もさせてもらわないと困ります。私がメディアとかへのコネクションを失った瞬間に御社にとってのメリットがなくなりますよ。週1日の出社で年俸は編集者時代と同じくらいは確保してくれないと出来ません」と言いたい放題。冗談でしょって感じなんですけど内定がきちゃった。

基本はトレンド分析のレポート、簡単なエッセイみたいなレポートを毎週1回提出すること、車のコンセプトカーを出展するためのイベントのコンセプトづくりから当日の仕切りまでと、化粧品雑貨とかをやっている部署もあったので、そちらの新商品開発の原稿を書いたり、広告の出稿。理想的な仕事でしたね、週1回の拘束で残業もない。時間がたっぷり出来たので、予定通り脚本学校に行ったり、いろんな本を読んだりして過ごしました。

クリエイターと普通のOLさんの間に入ると両方の通訳という仕事

あるとき脚本家はコンクールに通らなくてもなれるルートがあるのでは?と思いました。雑誌もそうですけど、「F1層」が見えないドラマはCMスポンサーがつかないっていわれているじゃないですか。この層を牛耳れるっていう証明が出来たら、私が言うものはみんな流行る。そう言えばテレビドラマのプロデューサーは私に興味を持って会ってくれるかもしれないなと思ったんです。もしかしたら脚本家への道が開けるかもと。

OLのときはちょっと変わっていると職場でも浮いてたけれど、いざ編集者になってみると普通のOLみたいと言われることを思い出した。それって、クリエイターと普通のOLさんの両方の通訳が出来るわけです。そういうのもアリかも、そう思ったんです。

当時結婚する予定もなかったですし、このまま年老いていってトレンドとかに疎くなったらどうやって生きていくんだろうっていう不安もありましたし(笑)。フリーでやっていくにも何か後ろ盾が欲しい。前々からOLさんの組織をつくろうと思っていたのでやってみることにしたんです。企業は、私の言うことをよりも私の組織がそう言ってますって言った方が説得力があるはずだ、そう思ったんです。

本も読んだことがなかったし、マーケティングの勉強もしてなかったのに、気づいたら私はマーケティングの仕事をしていたんです。マーケティングの4Pも知らない私がトレンド分析のレポートをつくってた。変なレポートだったんですよ、毎回文字数が違う(笑)。それでも企業がアリってことは、もしかしたら枠にはまらないものが必要とされるときもあるんだなと思いました。

某飲料メーカーのトレンドレポートの仕事で、アンケートの結果にコメントを書くというのがあったんです。10代、20代のOL 計200人に、休日に何をして過ごしていますかとかいった類のもので結果がグラフになっている。当たり前なんですけどね。
「あの、これってかわいい人なんですか? つまり、おしゃれに関心のある人が、たとえばこの飲料をいいって言ってるんですか」「そんな細かい事はわかりません」「どこかで調べてください」「調べられません」「なんで出来ないんですか」。

雑誌にいたから出来そうな気がしたんですよ。いつも読者が近くにいて反応がわかってたから。わかってない数字とグラフを使って商品開発をしたり年齢や職業だけで集めた人でグルインやったりしているのが素朴に理解できなかったんです。そのときに起業だって思ったんです。31歳のときでした。 
ヒメクラブのトップページ
「夜会」と呼ばれるグループ
インタビュー
サイト「ヒメクラブ」の編集会議の
ようす。2005年の編集部員は11名。

「ヒメ」が主役のサイト

「ヒメクラブ」は、もともと車のマーケティングをするにあたって、私の意見だけじゃ説得性に欠けるので試験的に女性向けフリーペーパーで募集をして立ち上げた組織でした。10人で1年間。アンケートに答えてもらったり、情報収集をしてもらったり。これがみなさんけっこう調べてきてくるんですよ。3千円ぐらいの謝礼しか出ないですよ、お弁当と。でもこの子たちにとっては、何かを発表するのが楽しいんです。そこで担当を決めたんです。あなたはファッションね、あなたはコスメ、あなたはグルメって。そのときにすごい目からウロコでしたね。みんなすごくネタをいっぱい拾ってくるんです。雑誌の切り抜きとか。だからもしかしたら企業の人が1万円の謝礼を払うから来てくださいっていうグルインよりも、あなたはファッション担当ですよっていってスポットライトを浴びせてあげた方がよっぽど有益な情報を得ることができるわけです。だって、その子にとってはお金じゃないんです。習いごとでも合コンや恋愛でも得られない何か。それは「役割」なんです。

それから本格的にビジネスとして立ち上げる準備期間として約1年。やっぱりウェブサイトをつくらないと無理だということになりました。会員登録するんだったらプレゼントがないとつまんないよね。じゃあ、といろんな知り合いのところに行き、今までにないプレゼントくださいって言って、「カリスマ美容師が自分に一番似合う髪型に変身させてくれる券」とか、おもしろい企画ものにしようという感じで少しずつ出来上がっていきました。

会員が主役っていうのが絶対に大事で、とくにマーケティングをやるサイトですからね。今まで の会員制のウェブサイトのほとんどは会員が主役じゃないんです。WEBマスターか社長か、雑誌やモデルが主役。または、コンテンツが主役なんだと思います。

あと、どこの女性向けサイトも会員組織の属性がぼやけていてよくわからない。具体的にどんな人がいるのか。そこで思いついたのが会員組織の属性を「ヒメにしよう」ということ。雑誌の経験からいうと、必ず中心にいる女の子がいる、読者モデルでも誰でもいい。みんなが納得して彼女たちを囲むようにして写真に写る、その中心にいる人は、「ヒメ(姫)」なんですよ。実際ヒメって呼ばれてる子もいるだろうし、ただ見た目がキレイな子っていうんじゃなくて、華があるのはもちろんなんですけど、その子が情報発信地でリーダーなんです。その子が何かを仕切るんですね。何か新しい情報を持ってきたり、お店だったり合コンもそうだし、情報を持ってくる。その子の周りにいると楽しいからその子を囲む仲間ができる。プチ組織みたいなのがいっぱい。誰もがその仲間で「ヒメ」と認めている中心人物、その子はただの仕切り屋のリーダーじゃなくて、きれいにしてるんですよ、女として身だしなみもきちんとしている。

と考えたら、1社に1人ヒメ組織をつくれば、ものって流行らせられるんじゃないかなって思いました。何十万人の中からその子を探すのはたいへんだけど、最初から「ヒメ」だけを組織化していけばいいんだ! そう思ったら目の前が明るく開けていくのを感じました。
05年3月に催された「夜会」

リアルな「ヒメ・サロン」の誕生

スタートしてから約3年。現在「ヒメ」の数は1500名を超えました。会員は登録時に97項目の趣味嗜好に関するチェックボックスに答えるのですが、スキンケアがいつも1位。いろんなカテゴリーを設けているんですが、エンタメとか旅行とか。何回取ってもトップ3は不動。スキンケア、服、メイクっていう順位は絶対ですね。

また、登録時に各々自慢に思っていることを書くコーナーがあるのですが、それを読むと会ったことがなくても大体こんな人かなっていうのがわかりますね。その自慢話は容姿に関することを書いてくる人がいちばん多い。きれいっていうよりも、努力しているんですよ、よくよく見るとすごい美人という感じではない人もいるんですけど、いちばん自分がかわいく見える方法を知っている。そういう意味ではコスメフリークだし、最大限自分に似合う服など知っています。自慢の1位は容姿に関することで、小顔ですとか、足が長いですとか、肌がきれいですとか、それこそ露骨にミスなんとかですっていう人もいるし、毎月女性雑誌に読者モデルとして載ってますっていう人もいます。顔の見えないネットの組織でありながら、少し面白い傾向だと思っています。

年齢層では今2つボリュームがあって、28歳から31歳が初期からのメンバーのヤマ。もうひとつはこの1年で増えてきている23歳から25歳のヤマ。その次が学生です。グルインを「夜会」と呼んでいるんですが、レストランと提携して美味しいフレンチやイタリアンをいただきながらの座談会が売りです。

うちは一切ヤラセはなしなんですけど、ヤラセって広まると早いんですよ。読者モデルの子がいたり、友だちにモデルの子がいたりすると、タイアップの嘘を知っていたりする。Eコマースサイトなどでタイアップ広告を掲載していても地方の子だったらそれを信じて購入するでしょうから、その仕組みもまだまだアリだと思いますよ、ボリュームとして。だけど都会でトレンドセッターに流行らせていこうと思ったらかなり難しい。「ヒメクラブ」ではその子のコメントをそのまま載せてるんです。もしかしたらたった1票でも、たった1人の子が本当にこの石鹸いいよ、って言ったらショッピングに繋がる、買う可能性はあると思うんですよ、実名で顔も出ていたら。数って必要なのかな?って思いますね。

年末に会社を移転。年明けに有限会社から株式会社に組織変更しました。青山に移転したらヒメたちのお部屋をつくってあげるって約束をしてきたので、実現できて嬉しいですね。ヒメたちもものすごく喜んでます。

いろんなテーマにヒメたちが集い、ここから遊びに行き、ここで友だちを作り、その模様をウェブサイトにも上げるので、地方の人たちもここで何が行われているかを見ることができる。そうなると、そこでものは売れていくと思うんですよ。

ここに鏡が置かれてドレッサーになるんです。企業にはここの枠を買っていただいて、常に新しい商品を置く。それをヒメたちは自由に使ったり試していい。自分の部屋みたいに、クローゼットも開けて着たりとか出来るんですよ。ウエディングドレスとかも置きたいなと思っています。あとはCDがあったり、うちは別にコスメだけじゃないので、あとは宝箱っていうのが置かれていて、何回か来てるトレンドクィーンだと鍵がもらえるんですよ。どんどん大きい鍵になっていって、開けるとその中から一つ持っていっていいんですよ。ふだんは開かないんですけどね。ちょっとアミューズメントっぽく。

最終的にヒメたちがセレクトしたデパートをつくりたいですね。おヒメ様デパートです。本当に彼女たちがいいと思うものばかりをセレクトするんです。トレンド分析をみんなでして、あなたの得意なものを自分で見つけなさいって。あなたは何を担当するの? グルメですか? ファッションですか? それともコスメ? それらをみんなが突き詰めていって、将来デパートになったときに、それぞれのフロア主任とかになっていくんです。ヒメたちが働いているデパート。最上階がヒメオフィスになっていて、レストランで夜会をするときはシェフを呼ぼうと。そういう夢をみんなと一緒に追ってるんです。


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