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レポート
2005.06.30
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藤岡亜美/FUJIOKA AMI インタビュー

スローウォーターカフェ(有)代表/NPOナマケモノ倶楽部理事

異文化とエコと競争の幼少時代

4歳の時ぐらいから、「子ども美術学園」というちょっと変わった所で絵を習いはじめたんですが、先生が脳性麻痺の人で、ものすごく自由に表現をすることを尊ぶスクールだったんです。たとえば、建て替えを控えた廃屋とかがあるじゃないですか。そこに出かけていって、みんなでクレヨンで壁一面に落書きをしたりするんです。ふすまをやぶったり、柱を改造してもいい。そして最後に自分たちの手で壊す(笑)。いつも夢中になっていたのを覚えています。

父は外資系のサラリーマンですが、祖父は沖縄出身。私は1/4沖縄の血が流れていることに誇りを持っています。母方のおじいちゃんは家庭菜園で有機野菜を育てたりしていましたし、母は趣味でやっていた太極拳や手話を仕事にしています。そうそう、小さい頃から野口整体という、注射とかをしない代替医療で育っているので、一番身近な自然である体のことに関しての意識は一般の人と比べると高い環境にあったのかもしれません。

はじめて海外に行ったのは小学校4年生の時です。たまたま、父の後輩が経営する小さな旅行代理店がカナダ西部の湖での「リトル・インディアン・キャンプ」というツアーを企画したのですが、、はじめての試みで人が集まらないかもしれないからと、父に送り込まれたんです(笑)。でも、それはそれはすばらしい体験でした。インディアンの人たちの森を訪れたりするんです。子どもながらに、日本よりもおもしろい文化がこんなにあるんだ、って思いました。それから、すっかり森好きになりました。5年生の夏休みには、佐賀県唐津市にファームステイし、野菜づくりを手伝ったり。朝4時に起きて牛の出産に立ち会ったりもしたんですよ!

中学、高校はとってもファストな感じで、テストも水泳もリレーとかもなんでも競争という校風が合っていたらしく、競争好きな子でした。高校も公立なんですが、バスケットばかりしてました。とっても自由な校風で、学園祭ではみんなでTシャツつくったり、あ、今そのときの経験が役に立ってます(笑)。

森や山も好きでしたが、海も同じくらい大好きでした。小さい頃から岩場で魚をとったり、あんまりエコではないけどマリンジェットに乗ったり、ダイビングのライセンスを取得してからは、潜りに行くのも大好きでした。ダイバーは、サイパンとか海外の海に行くのが好きな人が多い。でも、私は伊豆によく行きました。高校生なのでお金がないっていうのもありましたが、潜った後に、地元のおじちゃん、おばちゃんといっしょに海中で見たさかなのおみそ汁を食べるようなことが、なんともいえない幸せなひとときでした。

何処に行ってもそうなんですが、その土地の文化や自然を表面的に楽しむのではなく、出会う人やものを通してその土地の自然や文化に触れる経験をするのが好きでした。そんなとき、「エコツーリズム」という考え方があることを知り、進学しようと思った観光学科に落ちてしまい、たまたま入学することになった大学で、文化人類学という学問に出会ったんです。

辻信一さんとの出会い

大学に入ってからは、そんな旅の体験など、毎日いろんな人と話をしていたんですが、いちばんおもしろがって聞いてくれたのが大岩先生でした。大岩先生は文化人類学者なんですが、辻信一というもう一つの名前があり、NGOナマケモノ倶楽部の世話人で日本に「スローライフ」を広めた人です。「スローライフ」を提唱しているわりには環境運動家としての活動をがんがんやっているんですが(笑)。でも、とても尊敬する人です。

「文化とエコロジー」が研究テーマ。先生の研究室に入ってすぐのある日、エクアドルのとある森を守るためのエコツアーがあるよ、と誘われたんです。もちろん、即答で行きます!と決めました。

フニン村の村長さんとの出会い

最初のエクアドル・エコツアーのメンバーは私を入れて5人。全員バックパックでまわり、単純にかっこいい国だなあと感じました。(笑)。日本だとバスの中で子どもの足があたったりすると、睨まれたりするじゃないですか。でも知らない人が、赤ちゃんを私のひざに乗せてきたり、生きている豚や鶏が入った大きな袋が足下にあったり、黒い肌の人も白い肌の人も、音楽も民族衣装もみんな色々で、そのバスの中の景色の鮮やかさに最初は衝撃を受けました。

それから毎年夏には通うようになるのですが、いろいろなところを回り、エコツーリズム、パーマカルチャー、環境教育といったプロジェクトを通じて、自分の住む地域とのつながり方を模索する素敵な人たちに会いました。なかでも強烈な印象を受けたのは、エクアドルのコタカチ郡インタグ地区にあるフニンという村で村長さんに聞いた話でした。

それは、今から10年ほど前のこと。村に流れる川上流で、某日系企業や政府、エクアドル政府等のODA事業による鉱山開発が行われることになり、川や森が汚染、消滅するという危機に襲われたんです。約38世帯ほどの小さな村なんですが、そんな計画はまったく知らされていなかった。村びとは何度となく鉱山者への情報開示を求めましたが無視され続けて、とうとう、人のいない時を見計らって機材を運び出し、採掘キャンプに火をつけたんです。村人たちは、ぎりぎりのところで「こういう風に生きたいんだ」という意思表示をした。そして、森を守りながら暮らしを豊かにするために、コーヒーの森林栽培をはじめたんです。そうやって自分たちの未来を選びとれることをとてもかっこいいと思いました。しかもそのコーヒーがとびきり美味しいんです!

ナマケモノになる

1年後、エコじゃないのですが、ディズニーランドでアルバイトして貯めたお金で再びエクアドルに行きました。その後は、帰国するたびに現地で買ってきたものをイベントで販売したり、海でコーヒーを売ったりしていくうちに、日本でNGOやNPOの活動をしている人たちと多く知り合うようになっていきました。社会との接点がとても多い大学生だったと思います。

2000年には、国分寺に「カフェスロー」というカフェを作ることに携わりました。オーナーは吉岡淳さんという一緒にエクアドルに行った方なのですが、内装を作ったり、掛け率を決めて商品を委託してもらったり、メニューを決めたり、イベントをオーガナイズしたりなど、当時、学生だった仲間たちを中心に、その中身づくりを手掛けさせていただきました。今話題になっている100万人のキャンドルナイトも、最初はそのカフェで企画し、30人くらいのお客さまを迎えて暗闇カフェをやったのが始まりだったんですよ。大学3年生も後半になると、就職活動をはじめる同級生もいましたが、私の興味はエクアドルの色の鮮やかさや暮らしの気持ちよさ、フニン村の人たちが、どうして「こうやって暮らしたい」という未来を選びとれたんだろう、ということでした。そこで、卒論を書くことを目的に3ヵ月間、フニン村に住んでみることにしたんです。

村長さんや村の若者たちといっしょにコーヒーの苗に水をやったり、家畜の世話をしたり、麻かごを編んだりしながら、エコツアーや森林保護、土着の文化についてなど毎日色んなことを考えました。中でも同じ年ごろの2人の友だちに大きく影響を受けました。ノルマというカブヤ編みの生産者と2人で商品開発のまねごとのようなことやっているうちに、こういうペースだったら私にも商品の企画ができるかもしれない、そう思うようになっていました。

またコーヒー生産者のエドムンドと一緒に森を歩いているとき、「森を焼く大人には何も言えないけど、自分がコーヒー栽培やエコツアーの仕事を通してこういう風に暮らせるんだって示したい」と言うのを聞いて、エコツアーはこの人に任せた!私は「私にできること」を探そう、と思いました。

そして、ある日友人に連れて行ってもらったフェアトレードの展示会を訪れたとき、すべてが繋がり、それまでの学問と運動を、仕事にしたいと思いはじめたのです。
カフェスローの一角に設けられた
スローウォーターカフェのショップ
羊の毛で編んだインタグの雲霧森で
絶滅の危機に瀕するメガネグマ
(1,200・税込)

スロービジネスの起業へ

起業することになった直接のきっかけは、日本ではじめて開催された「社会起業家コンペSTYLE2002」で優秀賞と感動賞を受賞したことです。最初はまったく応募する気などありませんでした。ある日、母が「こんなのあるよ」と日経新聞の切り抜きを持ってきたんですが、「ふーん」っていう感じですっかり忘れていたくらいです。

それが、たまたま1社だけ行った環境系の企業の会社説明会で、学生からの「どうやってその仕事に巡り会ったんですか?」という質問に対し、「私はなりたくてこのポジションに着いたわけではなく、たまたま配属されただけなんです」と回答する場面に出会い失望してしまいました。なんだ、みんなやりたいことを実現するためにその企業に就職したんじゃないんだ、ということがわかった瞬間、コンペに応募してみようと決心し、フェアトレードカフェの事業プランを書きました。

2003年7月に会社を設立。現在は、カフェスローの1階に焙煎室、2階に事務所、3階に倉庫を構え、国内スタッフ三名、エクアドルに1名という状態で、フェアトレード商品の企画、輸入、卸しや、イベントにカフェを出店するなどの業務をしています。数年のうちに、都心にショールームをかねた小さなカフェを出したいと考えています。

例えば、今、のっそりした熊の編みぐるみを作っているのですが、テディ−ベアにした方が売れるかもしれない。でも、子供たちには本物の熊の佇まいを知って欲しいし、アンデスの人だからこそそれを作れる。単に「売れるもの」ではなく「どういうものを作りたいか?」「どんな風に暮らしたいか?」という文化を、形にして発信する、というコンセプトを、そのプランには書きました。フェアトレードは、繋がることで、助け合うだけでなく、お互いの文化を高めることができると思います。
サイザル麻のレイジーバッグ

「焙煎するたびに原点に帰るんです」。

コンペに出たことをきっかけに、これまでは「環境運動」とか「学問」の中だけだった人のつながりが、ビジネスをする人たちにも同じくらいの広がりが出て、両方に軸足を置くようになりました。

会社はナマケモノ倶楽部から、辻信一さん、中村隆市さん、渡邊由里佳さん、アースデイ事務局長の南兵衛さん、eticの関係から、影山知明さん、井上英之さんと、ビジネスと運動の良いバランスで役員を構成しています。ほんとうに人の縁に恵まれていると思います。たったここまでくるのに、お世話になった人がいっぱいいます。そういうたくさんの人たちの気持ちにも答えられるよう、スロービジネスを模索する毎日です。

起業してからは、エコ関連のイベントだけでなく、百貨店の催事や音楽イベントなどにも出店しています。もともとフェアトレードに関心のある方だけでなく、もっと広く一般の人たちにも「スローウォーターカフェ」の商品を知っていただき、選んでもらえるようなものづくりをしたいと思っています。森林栽培のオーガニックコーヒーや、アンデスの小さな村でパッケージングまでされているオーガニックチョコレート、麻製の水筒を持ち歩くホルダーやバッグ、オーガニックコットンのTシャツや、アクセサリーなどが中心です。

今の季節売れているのが、買い物の時に使える立方体のエコバッグです。「レージーバッグ」といって、スーパーのかごのなかにすっぽり広げて、レジが終わったら、そのままひょいって持つことができるんです。自転車のかごにもフィット。なかなかオシャレじゃないですか?

いろんな商品をいっしょにつくっては、その評判や売れ行き、感想などをフィードバックし、次の商品開発につなげる。それを繰り返していくうちに、ノルマをはじめ、現地の人たちの眼がどんどん輝いていくのが分かりました。最近では、「日本人はレジ袋を使い捨てにするなら、このエコバッグを作るのはどうかしら?」という提案が出てきたり。1人ひとり、自分たちの技術や表現が認められてきたことで、自信が出てきたんだと思います。

今力を注いでいるのは、「ハチドリ計画」です。これは、ある日知ったエクアドルのアンデス地帯に住むケチュア族の神話に感動し、「モノだけじゃなく神話も輸入しよう」、という試みからはじまったものです。スローウォーターカフェが企画し、カナダのアーティスト、マイケル・ニコル・ヤグラナスさんに依頼してハチドリの印を描いてもらいました。燃えている森に雫を一滴ずつ運んでは落としていた小さなハチドリです。ステンレスの魔法瓶を作って、象やタイガーの印の代わりにこのハチドリをプリントしました。アウトドアメーカーの協力で、折り畳んで携帯できるお箸も作りました。

そして、最近、このハチドリがインパクトのある素敵なキャラクターなので、地球温暖化や森林伐採などの環境問題に対して「私にできること」をしている人を勇気づけるための印として、使用権をシェアし、世界中のNPO、企業、個人に広めるシンボルマークにしようということにしました。何か一緒にできる人を探しています。

これからの時期は、お中元用のコーヒーの焙煎で大忙しです。1人この部屋で作業をするんですが、コーヒーの香りと火を見つめているときは至福の時です。はじめてエクアドルに行ったときのことを思い出します。

まだまだ先は長いですが、仲間やお客さま、生産者といっしょに、「こういう風に暮らしたい」というビジョンを、今は商品として、いずれはお店から形作っていきたいと思っています。フェアトレードには適正な規模というのがあると思うので、世界の様々な地域とつながる小さな会社がもっともっと増えていけばいいと思っています。これからは、もっと若い人たちにもチャレンジしてもらいたいですね。


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