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レポート
2006.03.01
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マエキタミヤコ/MAEKITA MIYAKO インタビュー

広告メディアクリエイティブ[サステナ]代表
2005年末に、「あなたと世界をオシャレに
エコシフト」をコンセプトにした雑誌
『ecocolo』 をリリース。左はきっかけ
となった雑誌『composite』。
ホワイトバンドが「寄付」ではないことが
問題視された「ほっとけない 世界のまずしさ」キャンペーン

いろいろな誤解

20年前にマイケルジャクソンが「We are the world」って呼びかけて集めたお金が約280億円なんですね。これは寄付としてはすごい額なわけです。日本では「地雷撲滅」で数億円、パンダで有名なWWFの年間寄付約2-3億円、日本でいちばん寄付を集めているNGOで年間45億円。これらと比べても280億はすごい。でも実は、この280億円っていうのは、なんと、アフリカ大陸の1週間分の債務の返済金額とほぼ同じ額なのです。すざまじい貧困からなんとか国民を守ろうと必死な国々が、毎週、毎週、280億円を先進国に返しているのです。

それを帳消しにしようっていうのがホワイトバンドのいちばんの目的なんですが、もっともっと遡ると、債務って何でそんなに出来たのっていう話で、債務って本当は援助なんですって。援助しますって言って、後で返してねっていうのが債務になる。後で返してねっていうのが毎週280億円なわけだから、かわいそうだからってチャリティでお金集めても1週間分にしかならないし、そんな大きなキャンペーンの寄付なんてそうそう毎週出来るわけではないじゃないですか。おおもとの仕組み、社会を変えなければ直接支援だけではどうしようもない現実がある。だからこそ、提言で政府や世論に影響を与える「アドボカシー」の活動が重要なんです。

国際貢献における「アドボカシー」という考え方は、ヨーロッパではもう当たり前というか、10年、20年と広報活動をやってきた蓄積がありますが、日本では、商材やお金を集めてそのものを届けるっていう直接支援がまだまだ主流。でも、そろそろ、人々の意志を政治の力にする、どこの政党を応援するっていうのではない「ニュートラルな政治アクション」が必要なんじゃないでしょうか。みんなのコンセンサスや世論をきちんと反映させる政治、みんなの意志を反映させた国政、みんなの意志を反映させたルールつまり法律、それをみんなで作っていこう、というダイナミックな活動が展開できる時代に入ってきているんじゃないかと思っています。

どうしようもないことって世の中にあるけど、どうしようもなくないこと、誤解だったっていうことが分かって一気に解決したりすることってありますよね。例えば資材が足りないとか、人手やお金が足りないとかどうしようもないものもあるけど、単に誤解しているだけだったら話をするだけで直ったりするじゃないですか。実は、そういうことがまだまだ多いと思うんです。

貧困の誤解もどこかで正さなくちゃいけなくて、「援助」っていうのは英語でいうと「grant(グラント)」と「l oan(ローン)」の2種類あって、「grant」っていうのは「あげる」ことで、「loan」っていうのはいわゆる「ローン」、貸し付けること。全然ないよりは貸してもらった方がいいに決まってるけど、相手の状態を見きわめて貸さないといけないと思います。取り立てていいものといけないものがあるし、何が問題かっていうと、それを取り立てるために、IMF(国際通貨基金)の指導によって、教育費と医療費が削られること、なんです。教育費と医療費を削ると、その国がどうなるかというと、まず女の子が学校に行けなくなる。女の子が学校にいけなくなると、どうなるかというと、自分のからだが自分のものだ、自分の人生は自分で選択するものだ、という教育ができなくなる。そうするとどうなるかというと、先のことが考えられず、何度も妊娠し(させられ?)、生まれた子どもを手当できず、簡単な病気で喪うということを繰り返す。それが統計上の人口増加率の高さと乳幼児死亡率の高さになって現れる。それが貧困の正体のひとつなんです。

チャーミングアプローチ、という新しいコミュニケーション術

私は、生まれたのは東京なんですが、親の仕事の都合で幼稚園時代は台湾、小学校時代は香港で過ごしました。その後、帰国してしばらくすると、今度はオランダに行くことに。ちょうど中学から高校に上がるときだったので、1年は休学して親と一緒に暮らすんだと思っていたら、1年間イギリスの女の子だけの全寮制の学校に入れられちゃった。でも、これが面白い学校で、半分イギリス人で半分外国人っていう教育方針で、その頃は、ちょうどイランのパーレビ国王が追放され、ホメイニが政権 を握った時代だったから、学内にパーレビ国王の親戚とか姪っ子とか娘とかが逃げて来ていたんですよ。その人たちが長期の休みとかに帰ってくるじゃないですか、そうするとロールスロイスが花柄だったりして。なんだこりゃーって(笑)。

1年後、帰国し、叔母の家に居候しながら高校に通い、長い休みの間はオランダの親の元に行くという生活をしていましたが、すごかったのは、当時、オランダの若者たちが勝手に廃工場や空き家に入って住んじゃうっていう「クラッカー:蘭(スクウォター:英)」っていうムーヴメントに出会ったことですね。なんでそんなことが起こったのかっていうと、バブルで地上げされ、都市の中央部分が無人化していって、それを見た学生たちがおかしいだろう、と言って立ち上がったというわけです。都市づくり、都市計画から見てもそういうことがあってはいけないっていう理念もあったと思うんですけど、警官隊と衝突したり、催涙弾投げられたり。でも、そのうち収まって、学生たちが言うことはもっともだって言って、なんと条件付きだけど住んでいいことになったらしいんです。これってすごいですよね。ほんとは不法占拠なのに、発想の転換で、人の家に勝手に入って住んでもいいっていうことにするって。世論と若者たちと政府や政治家の信頼関係がすごいでしょ、行動するなかでお互い積み上げていってたんでしょうけど、偉いなっていうか。

しかも、住んでるのは美大生とかが多いので、オシャレなんですよ。壁に絵を描いたり、オブジェが飾ってあったり、不思議な看板掲げたり、木を植えたり。オランダだけじゃなくてドイツも同時にそういうことが起こったらしいですよ。あんまり日本では報道されなかったみたいですけれど。

オランダの市民運動やムーヴメントがおもしろいのは、やっぱり人文科学の国だからなのでしょうか、スピノザやエラスムスを輩出した国でもあるし、国際司法裁判所もあるし、哲学的というのでしょうか。尊厳死も認めてるし、一部麻薬も合法にしたし、売春はかなり以前から合法だし。尊厳死、要するに自殺も合法、自殺、麻薬、売春が合法ってすごい国ですよね。そういう選択肢もあるんだって認めることでより生き生きと生きられる、ただ長く生きればいいとか、はたから見て幸せだったらいいっていうより、本当に自分で幸せになろうってする為に、いちばんいいお膳立ては何かなって考えているんですかね。

そういえば、フラワームーヴメントの発祥の地はサンフランシスコじゃなくて日本だったらしいっていう噂があるんですよ、まだ確かめていないんですけど。暴力反対とか反戦とかに「脱力系」で対抗しようっていうことになったのには、どうも日本人の影がちらほら見えるんです。日本人の亀井武彦さんというアーティストが、当時サンアドのディレクターをしていて、ちょうどカナダに留学していたときに制作したフィルム『フラワー』がアメリカやカナダでブレイクして。それがきっかけでフラワームーヴメントっていうのが起こったんだよ、って。これはぜひとも確認しなければ!

バリバリ、ストイックなガンジーのアヒンサー(非暴力・不殺生)もかっこいいですけど、なんかちょっと腰砕けになるというか、戦う気が失せるようなチャーミングアプローチっていう技もありかなと、思いますね。へなちょこ系、脱力系、あるいはコチョコチョ系とか(笑)。

コミュニケーションの力で社会問題を解決する方法ってそれまでにもいろいろあったと思うんですけど、厳しくない方法で誤解が解けていくものがあったらいい。たとえば、きれいなものを見て怒る人っていないじゃないですか。かわいいものとかね。一方、商品を売るため以外のところでも、もっとコミュニケーションは必要になってくる。社会問題を直接解決していくための意見交換とか、今後メディアはもっとそういうものに活用されるようになっていくんじゃないかなあと思いますね。
2003年の「ぬりえ」広告キャンペーン。

ソーシャル・クリエイティブ・チーム「サステナ」

大学を卒業するとき、大学院に行こうと思ってたんですが、親がそんな金はないし、頼むから就職してくれ、と言われて。ゼミの男の子に、ここは君にぴったりだ、ぼくがいちばん入りたい会社だから、といわれ、興味が出て、ついていって試験を受けたら、受かって入れてくれたのが広告の会社でした。最初はコピーライターとして修行、その後、CMプランナーを志願しました。

入社当時はバブル真っ盛り。あのころは誰でもそうでしたが、ありとあらゆる種類の広告を昼夜区別なく作業提案しました。時計、コンピュータ、インターネット、ビール、ウイスキー、車、カップラーメン、ポテトチップスなどなど。佐藤雅彦さんもまだいて、一緒に仕事できて楽しかった。年次も若かったし、なんでもやらなくちゃいけなかったから、ほとんど寝る暇なんかない。シャワー浴びに家に帰っている人もいれば、病院に注射打ちに行って帰ってくる人もいたり。みんなおかしいよ、アタマ変になるよ、このままいくと、っていう感じ。次から次へと仕事が発生するから、机の上でずっと寝て、起きて、企画・仮眠・企画・仮眠みたいな異常な日々。さいわい、いまはちがいますよ、誤解がないように言っておきますと(笑)。

バブルが崩壊して、90年代は一転して穏やかになりました。穏やかになるのはいいことなのですが、もっとアイディアいっぱいの広告が作りたい、と考えていたときに、プライベートで、NGOの広告というのに出会ったんです。きっかけは授業参観中の立ち話。うちの上の子が幼稚園のときに同じクラスだった子の親御さんが日本自然保護協会の理事をしていて、お互い、どんなお仕事してるんですかって。話しているうちに、日本の自然を助けてくれ、という話になって。そんなことが、できるのかな、家も近いことだし、ご近所づきあいのつもりで、もう少し話を聞かせてください、ということになって。不特定多数の人に活動内容を伝えたり、会員募集をしたりすることが、下手というか、これまであまりやったことがないからどうすればいいのか、というので、まず入会パンフの見直しと作り直しをしました。そうしたら、これがわりと好評で。他の環境NGOからうちも、と言われるようになり、ダイオキシン環境ホルモン国民会議や、グリーンピースやWWFなど、徐々におつきあいが出来ていったんです。

当時海外では、NGOのCMワークに素晴らしい才能たちが手を貸していて、もうけ度外視でやっていました。こういうの日本でもできないかな、って思っていろいろと調べたら、NGOベースのサービス機関があまりないことがわかってきた。これは、たとえプライベートででも、誰かやらなくちゃいけないことなんじゃないかな、と思いました。

そう思っていた矢先に、アメリカにイラクを攻撃しないでくださいっていうグリーンピースのピースパレードに人を呼ぶ新聞広告を頼まれました。当時、テレビのアンケートでは「攻撃してほしくない」っていう人が8割近くもいた。でも、ピースパレードに参加してくれる人は人口の8割なんて夢のまた夢という数だった。なんでなんだろうって考えたときに、結びついてないんだと思ったんです。それって「貧困」も同じなんだけど、自分たちの思いがあって、その思いは、こうやって表し、形にするんだということに慣れてないし、道筋もついていない。じゃあ、結びつけられないかな、と考えた。それが「NO WAR」のぬりえピースプラカード新聞広告です。結局、イラクは攻撃はされてしまいましたが。

当時この「イラクを攻撃しないで」というピースパレード、ローマでは100万人集まりました。EUにとっては無視出来ない世論でした。一方、日本は5千人強。1万人に満たなかったんです。パリだとかニューヨークとかロンドンとかが、30万人、50万人、100万人って集まったのに5千人っていうのは少ないですよね。新聞広告は基本、白黒ですよね。カラー広告は高い。でも、みんなに塗ってもらえばカラーになる。もちろん私が全部考えたわけではなく、アートディレクターとのキャッチボールです。「NO WAR」って書いて、下にプラカードの作り方っていうのをイラストで書いて、切って、色塗って、裏にダンボール貼って、持ち手をつけて、3月8日の日比谷公園に持ってきてください、10時からやってます、って、呼びかけました。そうしたら前回は5千人だった参加者が、5万人。何人ぐらいの人が持って来てくれるかな、とおもしろ半分写真をとりはじめたら、とてもじゃないけど、とりきれない。10人にひとりぐらいは持ってきてくれたんじゃないかな、ぬりえピースプラカード。びっくりしました。しかも、みんなすごいクリエイティブ。怒ってるぞっていうおじさんはメラメラって燃えた炎をつけてきちゃったり、取っ手も木の枝とかだったり。これどうやって作ったんだろう、みたいな、アルミ箔とか、キラキラしたものとか。防水加工でビニールコーティングしてあったり。みんなのクリエイティブ魂を引き出したって感じでした。

そのときふと思ったのは、私たちは「一体感」が欲しいんじゃないか、ということ。その広告は朝日新聞でしたが、朝日新聞取っている人の家にはその広告が必ず入っているわけです。そうすると「きょうの新聞見た?あなたの家にもピースプラカード入っていたでしょ。一緒にぬって、もっていかない?」そこから人を誘う話題になったり、人とのコミュニケーションのきっかけになったり、する。ある修道院では、修道長が93歳のおばあさんで、寝たきりだったんだけど、シスターたちが「これだったら塗れる」といって持って行ったら、そうね、塗れるわね、ってベッドで色を塗ったんですって。そしてシスターたちはビックシスターが塗ったプラカードを高く掲げて、その話をしながら、パレードしているんです。「私はシスターと共に歩いているんです」といって。これには感動しました。広告の仕事って、すごい。やってて良かった、と思いました。
年2回、自主的に、継続的に全国で行われる
ようになった「100万人のキャンドルナイト」キャンペーン。
キャッチフレーズは、「でんきを消して、スローな夜を。」。
つい先頃、アーティストハウスから本もリリース。

「公共的なもの」への理解

「貧困」との出会いは、ある日、ピースパレードを主催していたワールドピースナウの友だちから電話がかかってきて、いきなり「ミレニアム開発目標」って知ってる?と言われたのが最初です。環境でいうと「アジェンダ21」みたいなもので、国連が環境のことも含めて地球がどういう方向にいくかっていうことを決めた開発目標、具体的には2015年までに1日1ドル未満で生活する人口を半減させるということなんですが、それをうまく伝えられないので手を貸してほしいと言われました。そこで、私は環境にはくわしいけれど、国際協力にはあまりくわしくない。先輩でもっと詳しい人がいるので紹介します、といったら、その人から紹介されたんだけど、と逆に言われました。まあ、そう言ってくださるんだったら、これからの勉強になりますけど、それでいいのなら引き受けます、と言いました。今からちょうど1年前のことです。

当時は「極度な貧困」という言葉もまだ整理されていなくて、イギリスでのキャンペーンを直訳したようなものでした。3つのキーワード「援助」「債務」「貿易」があり、それをどう噛み砕いて説明していくかという話になりました。7月のグレーンイーグルスのG8サミットを山場に盛り上げよう、という世界のNGOの協力体制はできたのですが、結局、日本はその日にホワイトバンドがなんとか間に合う、という超過密スケジュールになってしまった。

ヨーロッパ、特にイギリスでは、オックスファムという国際援助NGOがたくさんの会員を持ち「メイク・トレード・フェア」というキャンペーンをここ数年行っている。グリーンピースの全世界の年間予算は250億円ぐらいと言われていますが、オックスファムは400億円とも言われています。寄付額が多くていいなあ、ということが言いたいのではなく、そのくらいの経済規模で活動している、そのくらい情報発信している、ということが言いたいのです。基本的な情報の蓄積量が圧倒的にちがう、そこを、どう説明するか、どうフォーメーションを組むか。言葉がどのように社会に響いていくのか。「貧困」「援助」「債務」「貿易」「アドボカシー」そういう言葉の伝わり方がイギリスとはかなり違いました。

たとえば「これはチャリティではありません」「お金ではなく、あなたの声をください」というナレーションがありました。それは、単にお金を集めて送金するのではなく、お金のかわりにあなたの政治力(つまり署名)をください、それを政策に変えていきましょう、という意味でした。さらにそれは世界中でNGOが取り組んでいる共通点でもありました。要するに政策に働きかける「アドボカシー型のムーブメント」です、という意味なのですが、日本ではそれが伝わる素地がほとんどなかった。「政治的な」というのは別に悪いことではないはずなのに、なんだか「ネガティブ」に受け取る人が多かった。本来、民主主義の国で選挙権があるというのは、政治に参加する権利がある、という意味で喜ばしいことだし、それはつまりは「政治的な存在」というわけだし、20歳を過ぎた社会に責任のある大人です、という意味でもある。なのに、なんで「政治的」という言葉がネガティブな意味を持つようになってしまったのでしょう。謎です。

具体的な提言については、コピーライターが勝手に作るわけではありません。こういう言葉は誤解を受けるから使わないでほしいとか、この言葉はぜひ使ってほしいとか。経験値に基づいてコミュニケーション戦略を建てるのが通常です。でも今回はそのコミュニケーションの蓄積を待っている時間はありませんでした。キャンペーンをやった成果として「政策に働きかける」では分からない、チャリティじゃなくて「アドボカシー」と言われても分からない。チャリティじゃないってことは詐欺なんですか?というメールも来ました。「チャリティ」=「非営利」という理解の人に、「お金をめぐんであげてああよかったという旧タイプの慈善チャリティ事業ではなく、自分たちの社会のしくみを変えてより大きな助けを送る新しいタイプの変革アドボカシー事業」といっても、分からない。非営利だと思っていたのに、営利なの?だまされたの?ということになってしまう。政策提言活動(アドボカシー活動)や啓発活動といっても、要は広告でしょう、みたいな誤解が渦巻くわけです。啓発活動も、結局は広告業界にお金がいくことじゃないか、と言われたりして。ひとつ、ひとつ、丁寧に、誤解を解いていくしかない地道な作業です。

社会がNGOのキャンペーン活動に対して、一般的なもの、必要なもの、と思える日をめざしています。公共的なものは自分たちで作る、購う、という意識が大事です。それが民主主義の基本ですから。税金を使う、ということは、政治家を通して私たちが選択した、ということです。異議があるなら、異議申し立てをしないといけない。うかうかしていられません。民主主義を保つには大人は油断できないのです。税金を使っているのですから、ただではありません。コストがかかっています。税金か、税金でないか、の差はあるにせよ、国がやるか、民間か市民がやるか、の差はあるにせよ、公共的なものにはコストがかかります。人間が働いて労力をさくものには、コストがかかります。広告も情報産業もコストがかかっています。自分たちの社会を自分たちで作り、決めていく、その話し合いにもコストはかかります。なので、どれだけ効率の良いコミュニケーションを作れるか、ということが大事です。

「ホワイトバンドはファッションだよね」とよく言われます。きっかけは、ファッションでいい。でも単なるファッションにとどまらない運動に、今後していかなければならない。それがホワイトバンドの挑戦です。今年も来年もずっとずっと貧困がなくなるまで続いていく。スタートはファッションだったけど、すごくしぶとく続いていく。一過性の人もいると思います。でもそうじゃない人がその中から出てきてくれるといい。そういえば家に1個あったな。1回買ったな、そういえば最近は着けてないけど、またしようかな。それでもいいと思うんです。知っている、ということと、知らない、という差は、意外と大きい。

定番化にはテクニックが必要になります。「キャンドルナイト」はじわじわ系。派手にやろうと思ってもなかなか出来ません。どうも盛り上がっているな、ぐらいしかわからないのが面白い。どうも地方で盛り上がっているらしい。でも事前には分からない。キャンドルナイトはうちの県から始まった、と思っている県もたくさんあるようです。うれしいことです。岩手、岡山、広島、長野、どこもかなり盛り上がっているみたいです。ご当地キャンドルナイトにどんどんなっていってるのがすてき。キャンドルナイトもホワイトバンドも、まだまだ、これからです。前例のない世界だからおもしろいんです。
2005年からスタートしている経済産業省の
「リスペクト・スリーアール」プロジェクトも担当。

ソーシャル・クリエイティブ・チームが向かう先

「サステナ」設立のきっかけになったのは、レインボーパレードのときの「NGO貧乏脱出大作戦」というラウンドテーブル。NGO業界にも幸せになってもらいたいし、クリエイティブ業界だって幸せになってもらいたい。でも、クリエイティブチームのモチベーションもすごく大事だし、コピーライターやデザイナーたちの自発性も大事にしたい。でもNGOはいっぱい頼みたい。関わる人たちが疲れないようにしたい。

NGOからのコミュニケーションに関する相談は確実に増えています。自分が小さい頃遊んだ川がせき止められてダムになっちゃう、そういうときに、やめてください、自然を守りましょうって周りに呼びかけるにはどうしたらいいんでしょう、などなど。資金づくりも含めて、コミュニケーションの相談ですから。

そういう意味では、今はすべてが手探りです。今どきの大学生はNPOやNGOへの関心が高い。環境についてひと通り勉強しているし、環境を仕事にしたい、という人も多い。いずれは、そういう若者たちがたくさん集まって自分たちで採算を合わせていく、というのが理想だけど、それが本当に成立する時代がもう来ているのか、という話も一方にはあるわけで、まあ、大実験です。

今は、世の中全体がエコシフトを起こして、日本の経済が環境経済に置き換わることが真の目的だと感じています。「サステナ」という場で、最高のクリエイティブワークをする人たちが、自分のプライベードな時間を使って、社会のために、そして自分のために、生き生きと仕事して、いい作品が次々と世の中にムーヴメントを引き起こして、話題になる。いざとなったらあそこに頼めばなんとかなるっていうような、そういうコミュニケーションの駆け込み寺みたいな位置づけになりたい。

いい意味で、おもしろいものがないと、世の中ってダメになるのではないか、とうすうす、思っています。ろくな方向にいかない、そんな気がしてしまいます。つまんなかったら死んでしまう人っているんじゃないかな。無知なままで死にたくない〜、って、思うのです。ほんとは、どこまで行っても無知なんだけどね。どこかで健全になりたいっていう気持ちが、みんなの中にあると思っています。だから大人たちは一生懸命あの手この手でおもしろいものを作り続けなくちゃいけないのかな、と。そう思ってます。


[取材日] 2005年12月19日(月)13:00-16:30 @汐留/インタビュー・文:高野公三子]


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