Who's who:M/M(Paris), Mathias Augustyniak(マティアス・オグスティニアック)
〜多様な表現が求められる時代のクリエイティブとは?
2014.04.14
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Who's who:M/M(Paris), Mathias Augustyniak(マティアス・オグスティニアック)
〜多様な表現が求められる時代のクリエイティブとは?

僕たちがやっている“4D”表現とは、複雑な意味とビジュアルの持つエキサイトメントをひとつの作品上に融合させる民主的なリサーチの一種なんです。

 2010年以降、東京のストリートファッションの現場では、「90sカルチャー」へのオマージュともいえるエッセンスが、いろいろなところに反映されるようになっている。広告表現もそのひとつ。特にファッションにおいては、少し前までは、国民全体をターゲットにするような大掛かりでインパクトがあるTVCFとSNSによる細かいプロモーションの双方を用いた「わかりやすい」ドメスティックな表現が多かったが、ここにきて、「見る人に想像力をかきたてる」ような「(奥行きのある)クリエイティブ」が主役のものが増えてきた。

ここでいう「クリエイティブ」とは、ファッションやアート、音楽、デザインなどコンテンポラリーなカルチャーを芸術的に表現し、メディア・コミュニケーションとして成立していることをさす。


今回、ヨウジヤマモトルイ・ヴィトンジバンシーイヴ・サンローランディオールといったラグジュアリーメゾンのキャンペーンのほか、ビヨークマドンナなどのトップアーティストのアルバムジャケットなどを手がけるなど、90年代よりずっと世界の「クリエイティブ」の第一線で活躍してきたフランス人2人組のアートディレクター、「M/M(Paris)(エムエムパリス)」が、自分たちの過去20年分のアーカイブをポスターというシンプルなメディアを用いて“時代社会の系譜”に見立てた展覧会「SUGOROKU DE L’OIE(スゴロク・ドゥロア展)」を開催。そのオープニングに2人のうちの1人、Mathias Augustyniak(マティアス・オグスティニアック)が来日した(Michaek Amzalag/ミカエル・アムザラグは体調不良のため急遽来日中止に!)ので、その「クリエイティブ・表現」について話を聞いた。 ーーー聞き手は、名古摩耶(フリーランス)。


——Ms. M. Nago(以下、N)M/M (Paris)と聞くと、まず、今回の展示会でも多数展示している、写真家デュオ、イネス&ヴィノードの写真作品に、大胆にドローイングやペイントを施した作品を思い浮かべます。それ単独で一つの”作品”として既に成立している芸術作品(=写真)に、まったくの別者が手を加えることで、異なる意味を与えてしまうわけですから、非常に衝撃的な手法だと言えますね。

Mathias 
そうですね。私たちは、今や写真は昔ほどプレシャスなメディアではなくなったと思っています。それこそ、誰だって携帯片手に写真を撮り、インスタグラムで他者と共有することができる時代であり、私たちの身の回りには、文字通り写真が溢れているわけです。加えて、写真というメディアは、今も昔も実際に存在したものの証左であり、それこそがリアリティであると信じられてきましたが、歴史を遡ってみると、写真という芸術は、常にフェイク・リアリティであったことがわかります。

皆さんご存知のように、ライティングやレタッチ、あるいはヘアメイクなどが施され、撮影場所にしたって、あたかもそこで撮影されたように見せてはいるものの、実はそうでない、というケースも非常に多いわけです。写真は、真実ではそもそもないのです。だから我々は、ドローリングやタイポグラフィを加えることで、そういった写真に足りていない要素や言語を補い、目に見えない潜在意識を可視化しようと試みているのです。これは、イネス&ヴィノードとも同意の上で行う共同作業です。


今回の展示会で見せているポスターのシリーズはどれも、そういった、写真やタイポグラフィ、そしてドローイングの真のミックスです。これを私たちは、4Dの表現と考えています。

 

——N   4Dとは面白い発想ですね。M/M (Paris)の作品はいつも平面で、つまり、それ自体では2Dですが、そこには何かしらの物語が含意されているという意味で、小説のような奥行きがあります。フラットな世界の裏側にあるレイヤーを可視化させるという試み、ということですか?

Mathias
 我々は、3Dの表現はあまりに安直であると思っています。今や、優れたソフトウェアを用いて意味のない落書きをスカルプチャー作品にするのは、とても簡単なのです。もちろん、3D作品すべてが劣悪だと言っているわけでも、反対しているわけではありませんが、地球環境が懸念される現在において、意味もなく、役にも立たないオブジェクトをあえて作り出す必要はありません。となると、自分たちにフィットするのが4Dの考え方なのです。

ポスターは実在する物質ですが、モノとしてコンパクトであり、ディスプレイするのも非常に簡単なメディアです。でありながら、
多くの人々がそれを見ることで物語を”共有”できる。さらには、永続的に残ってしまうものではなく、簡単に消失できる。我々は、立体というフェティシズムに対して、何らこだわりを持っていないんです。

先ほど、ギャラリーツアーの終盤で、ギャラリーのスーベニアショップでお土産を買ってくださいね、と言いましたが、あれは完全なるジョークです(笑)。私が言いたかったのは、もし、あなたが見たこと/ものをすぐに忘れてしまうほど記憶力が弱いならば、あるいは、記憶したくないならば話は別ですが、本当は、そんなお土産を買わずとも、自分自身の目で見て記憶するのが一番いいわけですから。

——N では、ポスターというメディアの魅力や強さとはなんでしょうか?

Mathias ポスターは、もはや前時代的なメディアかもしれませんし、近い将来、なくなってしまうかもしれません。ソーシャルメディアもあり、実体がなくとも、仮想世界の中でたくさんの人々と共有し、表現できるようになりましたが、だからこそ逆に、フィジカルであること、強い意志を表明することが難しい時代だとも思います。

その意味で、私たちは、自分の意見やアイデアを焼き付けるためのもっとも効率的かつ効果的なメディアが、ポスターであると考えています。


—— N 一方で、サイズなど、ポスターには様々な制約もありますね。あるいは、例えば公共の場所に掲示されるポスターなどは、社会的なルールなども付きまといますが、それは表現することの妨げにはなりませんか?

Mathias
 なりません。そういった制約があるからこそ、メッセージや意味といったことに、よりフォーカスできるのです。それは例えば、俳句も同じですよね。制約やルールがあるからこそ、高いクオリティが担保できる。あるいは、ある方向から見たら表現の幅を狭めていそうなルールと遊ぶことも可能です。

ポスターは人間が見ることを前提としたサイズですから、ポスターの前に立つことで、そこには1対1の濃密なコミュニケーションが生まれます。同時に、より多くの人とも繋がることができる。大声で語りかけずとも、サイレントに人々とエンゲージできるという意味でも、とてもユニークなメディアだと思います。

—— N それは、あなた方のアーティストとしての在り方にも共通するような気がします。つまり、M/M (Paris)はアーティストでありますが、アートディレクターやグラフィックデザイナーという、よりコマーシャルな存在であることを楽しんでいるように見えます。

Mathias 真に優れたアーティストほど、非常に厳格なルールや制約に則った作品づくりをしていると、我々は考えています。他方、才能に自信のないアーティストの方が、実は”マーケット”というルール以外に、何ら制約も法則も持っていないことが多い。それが現代アートが抱える大きな問題ではないかと思います。

我々以前のアートディレクターたちは、作品やメディアそのものに”意味”を与えることをあまり重要視していませんでした。表現メディアがキャンバスしかなかった時代とは異なり、今は、マルチコミュニケーションの時代です。そこでは、メディアそのものが、メッセージと同じくらい重要な意味を持つのです。
私たちは、そんな多様なメディアで表現が求められる時代のグラフィックデザインやアートディレクションにおいて、M/M(Paris)独自のルールや表現を発明したという意味で、アーティストであると自負しています。グラフィックデザインやアートディレクションという殻を被ったアーティストである、と。

一方、表現メディアが例えばキャンバスしかなかった時代では、キャンバス上に、ある特定の時間や空間を閉じ込めることで、アーティストたちは自分の世界を創出した。そして、観客たちの世界を見る”視点”をずらそうと試みたんです。

例えば、日本のコンテンポラリーアートの第一人者、河原温の日付絵画の作品群は、ある”時間”という”空間”がキャンバス上に表現されているわけですが、そうすることで、人々が世界を異なる角度から見ることを促した。自分が生きている時代や社会と何かしらの繋がりを持つための表現方法として、絵画というメディアの中に、自分だけの独自の時空をつくりだしたわけです。現代とは異なり、70年代というのは、それが文脈的にも可能だったのです。

—— N あなた方は広告作品も多数手掛けられていますが、そこには他者によって既に定められたテーマやニーズがありますね。それに対しては、どのように捉えていますか?

Mathias クライアントのニーズを聞く、というのは、自分の人生をどんなふうに生きるか、ということと同じようなものだと思っています。そこには様々な方法がありますし、我々に向けられた期待といったものがあります。けれども一番大切なのは、そこで、何がもっとも重要かを考えることです。例えばクライアントが”ピンク”がいい、と言ったとする。そのときに大切なのは、ピンクを受け入れるか否か、ではなく、なぜピンクなのか、という”理由”を探し出すことが大切なのです。


——N あなた方の作品には、ビジュアルもさることながら、言葉がとても重要な位置を占めていますね。読める、読めないに関わらず。ビジュアルと言葉、その2つが合わさることで生まれる力とは何でしょうか。

Mathias 前述の河原温の作品にも通底しますが、日本は歴史的にも文化的にも、非常にシンプルな中に複雑性を秘めた表現が多いと思います。他方、例えばフランス文化は、その2つが融合したときの強さが脅威と捉えられるきらいがあります。私たちは、そうしたフランス文化において、少なくともグラフィックデザインにおいて、未だかつて誰も挑戦したことのない表現をしたいと思っています。つまり、言葉の意味とビジュアルの持つエキサイトメントをひとつの作品上に融合させることです。アーティストのマルセル・デュシャンは、それを挑戦し続けた芸術家ではありますが、彼の作品がアートの文脈から逸脱することはありませんでした。要は、美術館の中から出ることはなかったわけです。私たちは、そういった実験的なリサーチを、より民主的な環境にさらしたいという欲求があります。

あるいは、フランスのインタレクチュアリズム、つまり、ヴィジュアル対インタレクチュアルの構図に対する問題提起でもあります。シンプルな表現が必ずしも難解でない、という捉え方に対して、河原温の作品を例に挙げたのは、そういうことです。ここでは、意味の複雑性が、とても重要なのであり、どのように、表現し難いことをキャンバスやポスターといった時間や空間に閉じ込められるか、ということなのです。
——N 演劇などのポスター作品と並んで、ファッション業界での仕事も多数手掛けられていますね。その面白味とは?

Mathias ファッションは、身体という言語を用いて、自己を他者と繋げたり、コミュニケーションするための手段である、という部分に惹かれます。そこには、人間性、時間、空間、物語といった要素が全て詰まっています。今、そこには昔以上の奥行きが生まれているのではないかと思います。だからこそ、我々は、そのシーズンだけで完結してしまうような一過性の分かり易い表現には興味がありません。

それよりも、シーズンを経て連続していくことで、ある物語の全容が次第に明らかになっていくような手法をとるようにしています。先にも述べたように、私たちの興味を触発するのは時間と空間です。そして、そういった時間と空間を、人間の行為が満たしていくわけです。翻って考えれば、そんな時間と空間における人間の共通項を見出して行くことが、作品制作において、とても重要だと思っています。

アーティストを、自分ならではの人生や生き方=時間や空間をつくり出していく人であると定義するならば、なおのこと、それを作って終わり、ではいけません。それを満たし続けなければいけない。そう思います。

[インタビュー/文:名古摩耶、写真:Yasuyuki Takagi]




M PARIS



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