大規模な再開発が続く渋谷駅から数分歩き、道玄坂の途中にある百軒店(ひゃっけんだな)。戦前~戦後には渋谷の中心地として賑わっていたが、今はネオンが灯るストリップ劇場やラブホテル街に囲まれた、一見近寄りがたいエリアという印象を持っている人も少なくないだろう。しかし、ここ数年はそのイメージが刷新されつつある。デンマーク発のビールバー「Mikkeller Tokyo(ミッケラートウキョウ)」、美大出身の若い女性がオーナーを務める「小料理 百けん」、東京ピストルが運営する観光案内所としても機能するコーヒーショップ&バー「SHOT(ショット)」など、個性豊かな飲食店が続々とオープン。ゲートをくぐった入口付近には今年1月人気のタピオカミルクティー専門店「一期一会」も登場し、女子高生らの行列も見られるほど。さらに坂を上った渋谷区神泉町につながる”裏渋谷エリア”として話題を集めている。そんな百軒店の一角に昨年12月、ハイファイオーディオでレコードが聴ける「RECORD BAR analog(レコードバーアナログ)」がオープンしたと聞き、取材に訪れた。
変化しつつある渋谷のディープスポット・百軒店
「analog」があるのは「Mikkeller Tokyo」の向かいで、千代田稲荷神社に隣接する雑居ビルの3階。薄暗い店内には、劇場で使われていたという大きなヴィンテージスピーカー、スナック風のソファとテーブルが置かれている。サウンドシステムは、Altec社製のヴィンテージスピーカーとアンプ、そして英BBC用に1950年代に開発されたターンテーブルGarrard 301が2台という、オーディオ好きも垂涎の内容だ。
渋谷で遊んでいた大人の新しいたまり場に
ディレクター兼オーナーは、松鶴隆弘さん(33)。学生時代から代官山のクラブ「air(エアー)」(2015年閉店)に勤務し、2015年から系列の「SOUND MUSEUM VISION(サウンドミュージアム ヴィジョン)」の立ち上げとイベント企画に携わってきた。2年前に独立して会社を立ち上げ、現在は都内のクラブを中心にイベント企画を手がけている。
オープンの背景は、自身の周りで家族を持つなどしてクラブに行けなくなる人が増えてきたこと。渋谷で遊んでいた大人たちが、いい音でゆっくり音楽を聴きながら、お酒が飲める場所を作りたいと考えたのがきっかけだ。
同店にはターンテーブルは2台あるもののDJミキサーはなく、ダンスフロアもない。その理由は、音楽が無限にある時代だからこそ、有限の中から1曲1曲を丁寧に聴ける場所にしたかったから。クラブでは1曲を通して聞く機会はあまりないが、ここではそれぞれの曲が持つ起承転結やストーリーを楽しんでもらいたい、という思いがある。
昭和歌謡~最新のヒップホップまで
レコードは約1,000枚で、プレイされるのは中島みゆきや山下達郎、松任谷由実、松田聖子といった70~80年代の歌謡曲のほか、90年代の宇多田ヒカル、スチャダラパーなどのJ-POP、FKJといった最新のヒップホップ・R&Bまで幅広い。
「クラブではテクノやハウスを中心に聴いてきたのでジャズのような専門知識はないですし、渋谷周辺には各ジャンルを専門としたレコードバーは他にもあるので、歌謡曲や最新の曲をかける店があったら面白いかなと。アナログレコードとこのサウンドシステムを選んだ理由は、当時の音源を当時の音質で聴きたかったから。Altecのスピーカーは温かみがあって耳ざわりがよく、音が大きくても会話しやすいのが魅力ですね」(松鶴さん)。
歌謡曲の良さは「世代を超えて皆が歌える”いい曲”があること」という松鶴さん。
「昔の歌謡曲はものすごくお金をかけて作られていて、アイドルの曲でも山下達郎、松本隆をはじめ素晴らしい音楽家が楽曲提供やプロデュースをしていたりと、皆がノスタルジーを感じるような名曲がたくさんあると感じます。理想はお店に60代の人と20代の人がいて、60代の人は歌謡曲を『懐かしい』と感じるけれど、20代の人には『こんな名曲があったんだ』と発見がある。そんな風に、同じ曲でも違う感覚で”いい”と思ってもえらたら嬉しいです」(松鶴さん)。
歌謡曲の良さは「世代を超えて皆が歌える”いい曲”があること」という松鶴さん。
「昔の歌謡曲はものすごくお金をかけて作られていて、アイドルの曲でも山下達郎、松本隆をはじめ素晴らしい音楽家が楽曲提供やプロデュースをしていたりと、皆がノスタルジーを感じるような名曲がたくさんあると感じます。理想はお店に60代の人と20代の人がいて、60代の人は歌謡曲を『懐かしい』と感じるけれど、20代の人には『こんな名曲があったんだ』と発見がある。そんな風に、同じ曲でも違う感覚で”いい”と思ってもえらたら嬉しいです」(松鶴さん)。
「レコードを交換するときの“沈黙”が新鮮」
店舗はもともと会員制のスナックを改装したもので、カウンター5席・テーブル7席の20坪。青とグレーを基調に、ソファやテーブル、銅製のカウンターまでオーダーして製作。ビンテージの小物や昔のエトロの壁紙を使い、ノスタルジックな雰囲気に仕上げている。
客層は20代後半~30代の音楽好きが中心で業界人も多く訪れるというが、レコードに初めて触れるという20代や、周辺クラブの行き帰りに立ち寄る同世代、家族連れや近所の60代の夫婦まで幅広く、実は松鶴さんの両親や家族も訪れるそうだ。現在は知人や口コミで訪れる人が多いが、同店のインスタやウェブマガジンなどを見て来店する客も増えているという。店内のレコードラックからレコードを選んでリクエストすることも可能で、ジャズ喫茶やレコードバーから連想しがちな”敷居の高さ”のない、オープンな雰囲気を感じさせる。
初めてレコードを聴いた若者から「音がいい」と反応があったり、「レコードを交換するときの”沈黙”が新鮮」という声もあるという。同店でレコードを聴いたことがきっかけで好きになり、初めてレコード店で新譜のアナログを買ったとレコードを持参した客もいるそうだ。
デジタルネイティブ世代にとっての新しい音楽体験
世界的なアナログレコードの人気復活については度々伝えてきたが、一般社団法人日本レコード協会によると、国内レコード市場の生産枚数は2009年が10万2000枚に対し、2017年は約106万3000枚と、ここ10年で約10倍に増加。2014年には中古レコード店「HMV record shop 渋谷」が復活し(当時の取材記事はこちら⇒http://www.web-across.com/todays/srnrj2000002j0qt.html?ra=1)、昨年はソニーミュージックグループが29年ぶりにアナログレコードの生産を再開、3月にはタワーレコードも新宿店の10階にショップ・イン・ショップ形式でアナログ盤レコード専門店「TOWER VINYL SHINJUKU(タワーヴァイナルシンジュク)」をオープンしたほか、デジタルネイティブ世代のアーティストがこぞって新譜をアナログ盤でリリースし、若い世代にもレコードを買い求める動きが見られている。最近は、街でレコードショップの袋を持って歩く外国人や若者の姿を見かけることも少なくない。デジタルネイティブ世代にとっては、アナログならではの温かみのある音だけでなく、サウンドシステムで”曲をかける”という能動的な行為が、新しい音楽体験となっているのかもしれない。
東京の音楽シーンを牽引してきた渋谷
百軒店という場所を選んだ理由のひとつは、「音楽に縁のあるお店が多いこと」と松鶴さん。もともと関東大震災後に作られたこのエリアは、戦後は食堂や飲み屋、喫茶店、さらに映画館が軒を連ね、渋谷で一番の繁華街として知られていた。エリアの代名詞といえる1926年(昭和元年)創業の「名曲喫茶ライオン」、今年50周年を迎えるロック喫茶「BYG」は今も健在。かつて日本でジャズが流行した60年~70年代には、「スイング」「DIG」といったジャズ喫茶が何軒も並び、音楽ファンが集まった背景もある。
「ライオンやBYGをはじめ界隈にはレコードバーも数件あり、レコードをかける焼き鳥屋や、音楽をやっている人が経営する店など、音楽に紐づいたお店が多いんです。元勤務先の『VISION』をはじめ、付き合いのあるクラブが周辺に多く、お客さんを呼びやすいのも百軒店を選んだ理由です」(松鶴さん)。
「ライオンやBYGをはじめ界隈にはレコードバーも数件あり、レコードをかける焼き鳥屋や、音楽をやっている人が経営する店など、音楽に紐づいたお店が多いんです。元勤務先の『VISION』をはじめ、付き合いのあるクラブが周辺に多く、お客さんを呼びやすいのも百軒店を選んだ理由です」(松鶴さん)。
90年代には渋谷系音楽や“世界一レコード店の多い街”として、様々な音楽の発信源となってきた渋谷。レコード店はもはや数えるほどしかなくなってしまったものの、現在もクラブやライブハウス、小箱といわれるDJバーが多く存在するほか、「カフェ・アプレミディ」出身の店主が営む「bar music(バーミュージック)」、ロック/AORが中心の老舗「Grandfather’s(グランドファザーズ)」など、音楽を愛する店主や街の個性を感じるレコードバーも点在し、東京の音楽シーンを豊かにしている。
“都市のスキマ”がおもしろい
「百軒店には商店会もあって、今どき珍しく横のつながりや交流があるところも魅力。10年ほど前は違法カジノもたくさんあって怖い印象もありましたが、ここ数年は女性の1人客や海外の観光客も増えてずいぶん雰囲気が変わりましたね。特に渋谷駅周辺の再開発で地価が高騰してからは、比較的家賃の安いこのエリアに面白い個人店が集まってきているように感じます。何より渋谷には中学生のころから買い物に来ていたし、自分の“ホーム”という感覚ですね」(松鶴さん)。
幅広い年代や文化を受け入れる、渋谷の縮図のような百軒店。大手資本の手で再開発が進み整理されていく渋谷駅周辺とは対照的に、開発を逃れユニークな店が増える百軒店のような“都市のスキマ”にこそ、リアルで新しいカルチャーが生まれているといえそうだ。
【取材・文=フリーライター・エディター/渡辺満樹子】