「地方」におけるアートフェスティバルが引きも切らない昨今、「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ2014」のユニークさは開催前から話題を集めていた。多くの人にその印象を決定づけたのは、公式ポスターの斬新なヴィジュアルだったのではないだろうか。
そこに佇むのは樹皮で編まれた蓑と野生動物の毛皮に身を包んだ子ども。凛とした表情に光が注ぎ、頭上に荒々しくも愛らしい筆致で「山をひらく」の文字。参加アーティストの名前が稜線のように連なる。野生的で力強いモチーフ。その背景には山のように深く静謐なブルー。シャープなロゴマークとともに都会的で洗練された印象を与える。
野生と洗練。その鮮やかな対比は、まぎれもなく”今”をギュッと掴みながらも、時間を越えた物語に触れているかのようだ。どこを切っても新しい。それは強烈なインパクトを放っていた。
ポスターだけではない。芸術監督に荒井良二、参加アーティストに山伏/イラストレーターの坂本大三郎、高木正勝、大友良英、いしいしんじ、梅佳代など、現代美術とは趣を異にする面々が揃う。
主催は東北芸術工科大学という教育機関。芸術祭を市民とつくりあげる方法論や、東京・荻窪のカフェ6次元と 組んだメディア戦略。さらには山形ビエンナーレの会場。そこは山形と聞いてイメージされるような山々や田園風景ではなく、市街地の近代建築群。あの毛皮を まとった少女や、「みちのおく」や、「山」はどこに?そんなことを思ったなら、もう、「みちのおく」への旅は始まっているのだ。
まずは山形ビエンナーレの全体を眺めてみよう。メイン会場となる文翔館にはエントランス前にトラフ建築設計事務所による円形のサッカー場が設置され、中庭にGoma小屋、屋内には荒井良二、いしいしんじ、梅佳代、坂本大三郎、平澤まりこの作品が並ぶ。
文翔館に隣接する議場ホールではライブイベントが行われる。荒井良二×Tenniscoats×トンチ×川村亘平斎×高取信哉のオープニングライブに始まり、鈴木昭男×鈴木ヒラク/大友良英×吉益剛造のセッション、高木正勝のほか、19日にはクロージングに佐藤那美/七尾旅人が控えている。
文翔館から徒歩15分圏内に2つの会場がある。ひとつは山形まなび館。荒井良二のふるさと山形を絵と言葉で表現していくプロジェクト「ホシミチくんと五・七・GO~!」が展示中だ。もうひとつは旧西村写真館で、和合亮一 × spoken words projectの「詩をまとう」作品を体験できる。ここから車で10分ほどのやまがた藝術学舎には山形生まれの画家スガノサカエの作品が展示されており、さらに車で10分先の東北芸術工科大学キャンパスでは三瀬夏之助の「東北画」などを見ることができる。土日祝日は各会場を結ぶシャトルバスが一時間に一本ほどの割合で走っている。
コンパクトな規模だが、じっくりすべて見るなら一日で回るのは難しいかもしれない。ということで、文翔館ほど近くの香味庵まるはちでは、参加アーティストやディープな山形を知る日替わりマスターがトークを繰り広げる「BARミチノオク」が火~土に連夜開催している。
「未知の世界に入っていくというか、途切れた道の先をみんなでつくっていくというか。『みちのく』という言葉がもってるイメージを変えて、あたらしい可能性のようなものを風景として見せられないかなと」。そう語るのは、山形ビエンナーレプログラムディレクターで東北芸術工科大学准教授の宮本武典さんだ。
たとえばメイン会場となる文翔館の中庭に建つ、創作料理ユニットGomaによる「Goma小屋」。野菜の干しかごをモチーフにした小屋にはとりどりの果実酢の瓶が並び、カラフルなロープで吊り下げられた大根、カブ、あけびやニンジンが日差しを受けて賑やかに揺れる。地元のお餅屋さんなどとコラボレーションしたお団子まで焼けて、子どもたちには絶好の遊び場だ。冬の山形に蓄積された保存食の知恵と技術が、アートという形で、市民の新たな日常風景になろうとしている。
Goma小屋では、エプロンと手ぬぐいをつけたスタッフらしき女性の姿を多く目にする。彼女たちはビエンナーレ開催に先立つこと1年前、「みちのおくつくるラボ」として開かれたコミュニティスクールの受講者たちだ。BOOK/FOOD/ARTの3つのクラスに分かれたこの「ラボ」は、市民に企画段階から芸術祭をつくるプロセスへの参加を促した。1期と2期を合わせて定員120名に対し300名を越える応募があり、関心の高さを伝えている。
会期中、受講者たちはボランティアスタッフとして運営を支え、さらに常時70人の東北芸術工科大学学生スタッフがいる。彼・彼女らもまた日々走り回りながらビエンナーレを形づくっている。まちに「街をつくる人」の姿がある。これもあたらしい「みちのおく」の風景といえるだろう。
「かちっと完成されたものを音楽やアートとしてみるだけじゃなくて、その場の集まった人、雰囲気や気分、オーディエンスの反応、そういったものがちゃんと作品の内容に反映されていくのがいいなって」(宮本さん)。
たとえばメイン会場となる文翔館の中庭に建つ、創作料理ユニットGomaによる「Goma小屋」。野菜の干しかごをモチーフにした小屋にはとりどりの果実酢の瓶が並び、カラフルなロープで吊り下げられた大根、カブ、あけびやニンジンが日差しを受けて賑やかに揺れる。地元のお餅屋さんなどとコラボレーションしたお団子まで焼けて、子どもたちには絶好の遊び場だ。冬の山形に蓄積された保存食の知恵と技術が、アートという形で、市民の新たな日常風景になろうとしている。
Goma小屋では、エプロンと手ぬぐいをつけたスタッフらしき女性の姿を多く目にする。彼女たちはビエンナーレ開催に先立つこと1年前、「みちのおくつくるラボ」として開かれたコミュニティスクールの受講者たちだ。BOOK/FOOD/ARTの3つのクラスに分かれたこの「ラボ」は、市民に企画段階から芸術祭をつくるプロセスへの参加を促した。1期と2期を合わせて定員120名に対し300名を越える応募があり、関心の高さを伝えている。
会期中、受講者たちはボランティアスタッフとして運営を支え、さらに常時70人の東北芸術工科大学学生スタッフがいる。彼・彼女らもまた日々走り回りながらビエンナーレを形づくっている。まちに「街をつくる人」の姿がある。これもあたらしい「みちのおく」の風景といえるだろう。
「かちっと完成されたものを音楽やアートとしてみるだけじゃなくて、その場の集まった人、雰囲気や気分、オーディエンスの反応、そういったものがちゃんと作品の内容に反映されていくのがいいなって」(宮本さん)。
公式ポスターの高い完成度に始まり、配慮されたプロジェクトプランによって、「山形ビエンナーレ」は用意周到に計画された印象を受けるかもしれない。だが実際に訪れてみると、そこは日ごと自己形成を遂げるようなライブ感に溢れ、同時に文化祭のような“ゆるさ”が漂う。この“いい感じ”の隙間や柔軟性は、山形ビエンナーレのレスポンシブな即興性を支え、創発を促してもいる。「山形ビエンナーレ」でこの“ゆるさ”を体現する人こそ、山形出身のアーティストで絵本作家で、「山形ビエンナーレ」の芸術監督でもある荒井良二さんに他ならない。
「僕らは芸術祭をつくったことがないし、何がベストかもわからない。だから即興的に、ブリコラージュで、そこにある素材と人でつくってるんですね。荒井さんはその先生というか、ナビゲーターというか、ファシリテーターみたいな存在でしょうか」(宮本さん)。
ビエンナーレのオープイングライブでの荒井さんは、あたかもトリックスターのようにあちこちステージを移動しながら、ライブペインティングや即興のポエトリーリーディングを行い、わくわくしながらそこに人が乗り込める空間をつくっていた。その動物的な瞬発力が固定観念を突き崩し、人に反応を促し、巻き込んでゆく。そこに指揮系統を司るような権力的な姿はない。
「僕らは芸術祭をつくったことがないし、何がベストかもわからない。だから即興的に、ブリコラージュで、そこにある素材と人でつくってるんですね。荒井さんはその先生というか、ナビゲーターというか、ファシリテーターみたいな存在でしょうか」(宮本さん)。
ビエンナーレのオープイングライブでの荒井さんは、あたかもトリックスターのようにあちこちステージを移動しながら、ライブペインティングや即興のポエトリーリーディングを行い、わくわくしながらそこに人が乗り込める空間をつくっていた。その動物的な瞬発力が固定観念を突き崩し、人に反応を促し、巻き込んでゆく。そこに指揮系統を司るような権力的な姿はない。
彼の作品には子ども時代の豊かな世界を表現しうる繊細さがあるが、それは傷つきやすさとも言い換えられるだろう。バルネラブルであることは、様々な声に耳を傾けることを可能にする。その力が、あたらしい「みちのおく」をつくっているのだ。
山形ビエンナーレに横たわるのは、用意周到な設計や計画が立ち向かうことのできなかった、東日本大震災の経験である。
「みちのおく芸術祭 山形ビエンナーレ」のはじまりを訪ねてみよう。
東日本大震災後の9月、東北芸術工科大学の根岸吉太郎学長は山形新聞に山形県民、市民に宛てた文章を寄せた。そこで初めて山形でアートフェスティバルを開く夢が語られた。今こそ東北の復興と日本の再生にアートとデザインの力を注ぐときだと。
同大准教授の宮本武典さんは別のアプローチから芸術祭を探っていた。荒井良二さんと出会い、2010年に学生や市民とともに「山形の入り口を探す旅」を制作する展覧会「荒井良二の山形じゃあにぃ」を開く。そして2011年、東日本大震災がおこった。翌年、「荒井良二の山形じゃあにぃ2012」が開催される。その間の様々な取り組みについて、ここで紙幅を割くことはできないが、被災地の隣県に位置し、「東北」の名を冠した大学に何ができるかを自問し、できることを実践し、形にする中で培われた構想と経験は「山形ビエンナーレ」につながっていった。
「山形ビエンナーレ」の参加アーティストたちは、その多くが福島復興のワークショップなどに関わった人たちだ。今回の参加も、宮本さんがクライアントとして仕事を発注したというより、震災を経て自ら変化していったアーティストが、東北で東北を表現するきっかけとして提供したという。
和合亮一 × spoken words projectの「わたしは鬼」は、復興における関係性がなければ成立しなかった作品のひとつだ。会場の旧西村写真館には、和合の詩の断片がspoken word projectの衣服となってラックに並び、来場者はそこで「詩をまとう」ことができる。着衣は人の意識を変えるもの。躊躇なく服に身体を通そう。すると 常駐するスタッフは「あなたは何の鬼ですか」と声をかけてくるだろう。
震災に対する表現は今、ともすれば一瞬で風化してしまう。だから問いかけが生む時間や答えまでの距離が必要になってくる。詩という本来まとえないものをまとうことが、それを可能にさせるのだ。
複雑で繊細な問題に、軽やかに一着をまとうことで、従来とは別の角度からアプローチしてゆく。その軽やかさが、「みちのおく」の風景をつくりだしている。
震災に対する表現は今、ともすれば一瞬で風化してしまう。だから問いかけが生む時間や答えまでの距離が必要になってくる。詩という本来まとえないものをまとうことが、それを可能にさせるのだ。
複雑で繊細な問題に、軽やかに一着をまとうことで、従来とは別の角度からアプローチしてゆく。その軽やかさが、「みちのおく」の風景をつくりだしている。
「震災を経て痛感するのは、地域づくりは人づくりだなと。場をつくる人を育てていきたいんです。だからこのビエンナーレのターゲットは誰かと聞かれたら、それは僕たちと一緒につくってくれる人たち、と答えます。実はビエンナーレ自体が、“街をつくる人たち”“人をつくる人たち”をつくる、大きなワークショップなんです」(宮本さん)。
山形ビエンナーレはライブを除き入場が無料。山形ビエンナーレが生み出す価値をサービスとして提供してしまえば、そこにはサービスを消費するサイクルが発生し、そこで輪は閉じられるだろう。価値を表現として差し出すからこそ、その価値を楽しむ人が生じ、同時にあらたな楽しみをつくる次のアクションを促すことができる。その連鎖が街をつくり、人をつくり、世の中を動かしてゆく。
「僕らはある種ドキュメンタリーショーをやってるようなものですね。どこにいくかわかんないんだけどどうなっていくんだろうって、みんながハラハラしながら観てるような。これはインディーズだからできることです」(宮本さん)。
山形ビエンナーレがどのように業界のクリエイティブに刺激を与えていくのかはわからない。たしかにいえるのは、山形ビエンナーレが始まり、山は開かれた、ということ。
「げんしくんは、本当はそこらじゅうにいるんだけど、見えないんです。でもビエンナーレ期間中には見えているんですよね」(荒井さん)。
山形ビエンナーレはライブを除き入場が無料。山形ビエンナーレが生み出す価値をサービスとして提供してしまえば、そこにはサービスを消費するサイクルが発生し、そこで輪は閉じられるだろう。価値を表現として差し出すからこそ、その価値を楽しむ人が生じ、同時にあらたな楽しみをつくる次のアクションを促すことができる。その連鎖が街をつくり、人をつくり、世の中を動かしてゆく。
「僕らはある種ドキュメンタリーショーをやってるようなものですね。どこにいくかわかんないんだけどどうなっていくんだろうって、みんながハラハラしながら観てるような。これはインディーズだからできることです」(宮本さん)。
山形ビエンナーレがどのように業界のクリエイティブに刺激を与えていくのかはわからない。たしかにいえるのは、山形ビエンナーレが始まり、山は開かれた、ということ。
「げんしくんは、本当はそこらじゅうにいるんだけど、見えないんです。でもビエンナーレ期間中には見えているんですよね」(荒井さん)。
文翔館のバルコニーに立つ「げんしくん」は荒井さんが制作した「山形ビエンナーレ」のモニュメントであり、公式ポスターのもとになった原始と原子のこども だ。「みちのおく芸術祭 山形ビエンナーレ」は、いるけど見えない「げんしくん」のように匿名的な存在が共同作業でつくりあげた、あたらしいお祭りだ。
2年毎に山形で芸術祭が開かれることの楽しみを味わいたい。
◆取材・文: 成瀬正憲/日知舎(http://hijirisha.jp/)代表・山伏
2年毎に山形で芸術祭が開かれることの楽しみを味わいたい。
◆取材・文: 成瀬正憲/日知舎(http://hijirisha.jp/)代表・山伏
【みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ2014】開催概要
みちのおくの芸術祭
山形ビエンナーレ2014 開催概要
会期:2014年9月20日(土)~10月19日(日)
会場:山形県郷土館「文翔館」(旧県庁舎/県会議事堂)、
東北芸術工科大学、やまがた藝術学舎、他
入場無料(一部音楽プログラム有料)
主催:東北芸術工科大学
URL:http://biennale.tuad.ac.jp/
お問合せ:みちのおくの芸術祭山形ビエンナーレ事務局
TEL:023-627-2091
E-MAIL:museum@aga.tuad.ac.jp
山形ビエンナーレ2014 開催概要
会期:2014年9月20日(土)~10月19日(日)
会場:山形県郷土館「文翔館」(旧県庁舎/県会議事堂)、
東北芸術工科大学、やまがた藝術学舎、他
入場無料(一部音楽プログラム有料)
主催:東北芸術工科大学
URL:http://biennale.tuad.ac.jp/
お問合せ:みちのおくの芸術祭山形ビエンナーレ事務局
TEL:023-627-2091
E-MAIL:museum@aga.tuad.ac.jp