オシャレであることと、街を好きなこととはイコールだ。
オシャレであることは、街の気分を読まないとできない。
時代の気分を読まないとできない。
そしてその<気分>は、日々刻々と移り変わっていく。
その奥には見えない巨大な歯車があって、それはするするとお祭りのように回る時もあれば、突然音を立てて軋み始めたりもする。
それは、時には河川敷の草むらの中に隠された死体の腐敗の進み具合で測られることもあれば、女の子が飼っているワニのお腹の中でゆっくりと時を進めていくこともあれば(そうだ!『Pink』 のワニはきっと海賊・フック船長の片腕ごと時計を呑み込んだあのワニに違いない!)、『へルタースケルター』の場合のように、定期的な投薬治療と手術を受けなければしだいに崩壊していく身体に対して、破滅への時間を刻一刻と刻んでいくこともあるのだ(でも「タイガーリリーの冒険」は、破滅の後から始まるんだけどね)。
そうだ、街の中では時計が動いている。
岡崎京子はそのことに誰よりも敏感な作家であったように思う。
そしてその時間は、場所によって進む速さが違うのだ。
もちろん田舎では時間はゆっくりと流れるし、都会では早い。とりわけTOKYOでは、ビルはすぐに壊され、また新しいビルが建てられる。『ジオラマボーイ・パノラマガール』で何度も描かれているように。しかし一方で、海外から来た青い目の女の子が東京を見物して回る『東方見聞録』では、そこに出てくる、銀座・国会議事堂・中野ブロードウエイ・国立・原宿・江の島・井の頭公園・代々木公園・青山墓地・神田神保町……などは、30年近くたった今でも、風景の小さな変化はあれ、そのたたずまいはそれほど変わっていない。
変わらぬゆりかごとしての東京と、変化するTOKYO。
この街は、いったい何を失って、何を失わなかったのだろう?
そして私たちは、90年代半ばから今なお変わらない何と、対峙し続けているのだろうか。
文/藤本由香里(明治大学国際日本学部教授/マンガ研究家)
明治大学国際日本学部教授。東京大学教養学科卒業後、筑摩書房の編集者を経て、2008年4月より明治大学にて教鞭を取る。専攻はマンガ文化論。コミック・女性・セクシュアリティなどを中心に評論活動を展開。講談社漫画賞、手塚治虫文化賞の選考委員、日本マンガ学会理事。著書に『私の居場所はどこにあるの?—少女マンガが映す心のかたち』(学陽書房)、『快楽電流 女の、欲望の、かたち』(河出書房新社)、『少女まんが魂 現在を映す少女まんが完全ガイド&インタビュー集』(白泉社)、『愛情評論「家族」をめぐる物語』(文芸春秋社)、『きわきわ「痛み」をめぐる物語』(亜紀書房)など。