ここ数年、コーヒーの話をよく耳にする。ニューヨークではコーヒーハウスがあちこちでオープンしており、そのなかのいくつかは日本にも出店し、話題となっている。書店でコーヒーが飲めるのは当たり前になり、コーヒーを出すアパレルの店舗も少なくない。
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11月4日に行われた投票の結果、大方の予想通り、ゾーラン・マムダニが次期ニューヨーク市長に選出された。といってもそれが「大方の予想」になったのはつい数ヶ月前のことである。 昨年10月の選挙戦開始時点では無名だった一候補者が、今年6月の民主党予備選挙で元ニューヨーク州知事のアンドリュー・クオモを大差で破ったことで、「マムダニ」という耳馴れない名前とあの満面の笑顔が、文字通り一夜にして誰もが知るところになった。投票率はこの50年超で最高水準に達し、1百万票以上の得票があったのは1969年のジョン・リンゼイ市長以来だというから、今回の選挙への住民の関心の強さをうかがうことができる。 マムダニがどんな市長になるのか、この時点では明らかではない。ニューヨーク州知事の承認を要する案件もある。とりあえず一連の選挙戦から浮かび上がってくる傾向について、簡単にメモしておこうと思う。 あらためて確認すると、ゾーラン・マムダニはニューヨーク州の州議会議員を務める34歳で、アメリカ民主社会主義者のメンバーである。 父親のマフムード・マムダニはコロンビア大学教授、母親は映像作家のミーラー・ナーイルというわけだから、本人の弁によると「比較的特権的な」生まれ育ちではあるものの、いわゆるエリート家系ではなく、むしろ移民家族ということもできる。 選挙キャンペーンでは市民の生活費対策に焦点を絞り、バスを無料にすること、住民全員を対象とする (低所得者だけではない) 無料のチャイルドケアの提供、食費高騰対策として市営食料品店のオープン、一部のアパートの家賃凍結、富裕層や大企業への課税を主張した。 キャンペーン期間中には市内全域をくまなく駆けめぐり、なかでもハラルのカート、家族経営のボデガ、ラガーディア空港で深夜に客を待つタクシーの運転手、病院の夜勤者—つまり彼が言うところの「ニューヨークを動かし続けている人たち」—、そして移民コミュニティ、高齢者住宅などを精力的に訪れて有権者に訴えた。 「ビリオネアは存在すべきではない」と言う人物が市長になりそうだというわけで、エリートやビジネス界は上を下への大騒ぎを始め、6月の民主党予備選挙前に「マムダニを止めろ」とパニックになったことについては以前のポストに記した通り。それもそのはずだ。なにしろマネーが通用しない選挙に初めて彼らは出会したのだ。 マムダニが多くの注目を集め、また多くの批判・誹謗中傷を集めているのは、その「ラディカルで危険な」社会主義的主張と関係しているらしい。マムダニが市長になったら大挙してニューヨークを離れる人が出てくるだろうといった予測の類はその一例である。しかし近年諸都市に現れている市長たちをみてみると、彼の主張は異例というにはほど遠く、むしろ他の市長たちと多くを共有していることがわかる。 マムダニがロール・モデルと呼ぶボストン市長のミシェル・ウーは、2021年以来、一部のバス路線の無料化や、子供のケアを手厚くする社会プログラムの強化を進めていて、マムダニのキャンペーンと呼応するところが多い。不動産産業やエスタブリッシュメントからの風あたりは強いウーだが、今回の選挙では、スポーツや不動産事業を所有するビリオネアのロバート・クラフトの息子ジョシュ・クラフトが勝算がないことから選挙戦を離脱したことで再選が確実になり、その人気を裏付けた。 シアトルでは一児の母ケイティ・ウィルソンが現職市長と接戦を展開し、このポストの時点で結果はまだ出ていない。夫と子供の3人で1ベッドルームのアパートに住み、どこにでも自転車で出かけるウィルソンの焦点は公共交通機関であり、またパブリック・ハウジングの拡張、チャイルドケアの必要性を訴えてもいる。シカゴでは2023年に元公立校教師のブランドン・ジョンソンが市長に選出されて、大企業などへの課税を導入している。 マムダニも1百万ドル以上の所得に2%を課税するといわれているが、彼がモデルとするマサチューセッツ州のミリオネア税は、導入後の二年で57億ドルの追加的税収を得ていて、公共交通機関の予算不足などへと充当されている。これまでのところ懸念されていた富裕層の流出は多くはみられない。いずれにしろ、富裕者への課税はマムダニが初めての試みではない。それどころかエコノミストのガブリエル・ズックマンの旗振りの下でフランスでも進んでいて、むしろ世界的な傾向になってきている。 こうした市長たちの登場は、ここ20年の大都市のありようを急速に色褪せた過去にしつつある。2002年から2013年までニューヨーク市長を務め、「企業のように市を運営する」と公言したマイク・ブルームバーグには当時から批判はあったものの、それでもビジネス界だけではなく市民の間でも少なくない支持を得たかにみえたのは、ピーク新自由主義の賜というべきか。結局のところ経済しかないと、諦めとも開き直りともつかないなかで、それでも辛うじてまだ望みを見出すことができた時代だったのかもしれない。富があり、ビジネスの運営に長けていれば市も任せられるはずだという考えには、あらゆることのモデルをビジネスに求めようとした当時の風潮を色濃く反映していたといえる。 それに対して近年の市長選に繰り返し現れるのは「ビリオネアと普通の人」が争う構図である。ボストンの例もしかり、マムダニと争ったクオモはビリオネアたちのマネーを背負う代理人だった。新人のウィルソンとシアトルで争っている現職市長のブルース・ハレルには不動産デベロパーやオリガルヒたちの支持が背後にある。ロサンゼルスでは2022年にコミュニティ・オーガナイザー出身のカレン・バスと不動産デベロパーのビリオネアであるリック・カルーソが市長の座をめぐり一騎打ちとなった結果、バスが市長に選出されている。いずれも大都市であることに注意したい。 このように見てくると、マムダニの登場は唐突なものではなく、むしろパズルの足りなかった大きなピースが揃うことになる。9月にバーニー・サンダースをブルックリンに迎えたとき、マムダニは「ニューヨークは売り物ではない」と聴衆に訴えた。1980年にサンダースがヴァーモント州バーリントンの市長選挙に出馬した際に用いた「バーリントンは売り物ではない」をもじったものだ。バーリントンの水辺に高価なコンドミニアムやホテルを建設する再開発に反対し、普通の人たち向けの住宅や公園、パブリック・スペースをつくる提案をしたことでサンダースは住民の支持を得た。ニューヨークでも同じことをしよう、それがマムダニの主張だったはずだ。 こうした動向は必ずしも「保守かリベラルか」といった構図におさまるものではない。(その実態は別として) ニューヨークのビリオネアの多くはリベラルを自称するだろうし、「リベラル・エリート」の代名詞であるニューヨーク・タイムズは熱心にマムダニの評判を落とそうとしている。そもそも新自由主義を推進したのはリベラルのエリートたちである。そこにあるのはリベラルか保守かではなく、エスタブリッシュメントと普通の人たちとの間の深い溝である。「マムダニでなければ誰でもいい」とビリオネアたちは反マムダニのキャンペーンに大金を投じ続けたが、誰よりも多額の合計13百万ドルを寄付したのはブルームバーグだった。 ブルームバーグやビジネスのリーダーたちが、いまだビジネス最優先の2000-10年代的な世界に首まで浸かっているのは不思議ではない。しかし人びとの考えは変わった。経済生産や成長を無邪気に信じることができたそれまでの世代とは違って、若い世代は今日についても未来についても楽観とはほど遠いところにいる。マムダニを最も支持する層である。 運良く定職にありつければいいが、学資ローンを抱えながら、家賃をはじめ生活費に追いつくことができない人は多い。そして社会的意識や倫理感が強い世代でもある。アマゾンやスターバックスなどで従業員の組合組織化を進めているのはこうした若い層であり、コントロールを取り戻すために意識的にオンラインを離れてIRL (リアルな世界) に向かおうとしている世代でもある。 「社会主義が自分を変えたわけではなく、資本主義が変えたんだ」というマムダニの支持者がいた。社会主義に入れ込んだわけではなく、資本主義の烈悪な支配にうんざりして自然と離れるようになったというわけだ。 マムダニ支持者のコアが、白人で大卒の高所得者とされていることも興味深いことである。ビジネスのリーダーたちはマムダニを忌み嫌うが、その従業員たちは熱心に支持していることになる。その深刻な亀裂を雇用主たちはどう考えているのだろう。 大テクノロジー企業、大企業に対する不信感は強い。ソーシャルメディアは言うまでもなく、2000年代にイノベーションとされたUber、airbnb、ストリーミング・サーヴィス、デリバリーの各種アプリなどに対する世の中の見方は正反対に変わってきた (もちろん当初からこうした企業に批判的な見方はあったが)。大企業、政府、大メディアへの信頼感が歴史的な低水準にまで落ち込んでいることは各種調査が示している通りである。 マムダニの主張のひとつは「無料で速いバス」だった。市内を走るバスを無料にして、渋滞が当たり前のバスをもっと速く走らせようというものだ。米国最大の都市で市長を目指すにはずいぶん控えめな訴えにもみえるが、そこにも潮の変わり目を見ることができる。 マムダニが好んで例に出すのは「下水管社会主義」のことである。20世紀前半にウィスコンシン州ミルウォーキーでは社会主義者を自称する市長が相次いで誕生し、その任期中に公園、学校、ゴミ回収施設などのインフラを建設した時期があった。 ニューヨークでもフィオレロ・ラガーディアが市長として同様の役割を果たしたことがあり、マムダニとラガーディアを重ねて見る人は多く、マムダニ自身が選挙の勝利宣言スピーチでラガーディアに言及している。空港やコミュニティ・カレッジなど、市内で「ラガーディア」の名を冠するものに公共のものが多いのは偶然ではない。 「縁の下の力持ち」こそが市政府の役割であり、インフラを滞りなく運営し、バスを予定通りに走らせ、ゴミをちゃんと回収する。そうした退屈で当たり前のことこそ人が必要としていること、少なくとも労働者階級が求めていることではないか。大開発、大イヴェントの集客合戦に明け暮れて、ガヴァナンスをマーケティングととり違ってしまった2000年代からの軌道修正である。 振り返ってみると、アマゾンの第二本社プロジェクト (HQ2) に転機をみることができるかもしれない。2017年にアマゾンがシアトルに次ぐ第二本社を設置することを発表し、北米各都市から誘致提案を募ったことがあった。ニューヨークを含む数百もの都市圏が候補地として名乗りをあげた結果、アマゾンはニューヨーク市とヴァージニア州アーリントンを第二本社地に選んだと正式に発表したが、その後、住民など一部に反対の声があることがビジネス環境に好ましくないとして、アマゾンはニューヨークのHQ2計画を撤回した経緯がある。 2.5万人の雇用を生み出すと言われ、ニューヨークは20億ドル以上の公的資金を与えることになっていた。大金を投じて大企業を誘致して雇用をつくる。その手口はいかにも前時代的ではなかったか。HQ2プロジェクトを熱心に推進していたのが当時州知事のクオモであったことも数奇なめぐりあわせである。アマゾンがキャンパスの建設を予定していたクイーンズのロング・アイランド・シティの場所に、いま新たな住居の建設計画が進んでいることは、わずか10年近く前が別の時代になったことを告げているようでもある。 一方、第二本社に選ばれたアーリントンといえば、アマゾンの雇用は予定より遅れていて、オフィス建設は停止していると伝えられている。アマゾンでは全社的な大規模解雇が進行中である。 近年の諸都市でもうひとつ気になっているのは、犯罪対策へのアプローチのこと。たとえばボストンでは信頼にもとづくアプローチを進めている。黒人の住民は、何かあっても、警察が彼らの話しをまともに聞かないことを知っているから警察に連絡しない。それを変える試みを長年にわたり続けている。まずは警察と住民の信頼関係を築こうという考えだ。 犯罪の問題に信頼をもちこむなどナイーヴだと思うかもしれないが、そのアプローチは良好な結果をもたらしていることが報告されている。マムダニも治安に関して似たアプローチをとると言われている。 長年犯罪に悩まされてきたボルチモアでは、2021年のブランドン・スコット市長の就任後、急速に犯罪が減っていることでにわかに注目されている。銃を伴う暴力を、犯罪問題としてではなく、公衆衛生への脅威として取り組んでいる。 そして夏の若者キャンプや文芸プログラムに投資したり、レクリエーション・センターの開館時間を延長し、ブロック・パーティーを計画し、公共のプールをオープンし、夏季クラスの学校をオープンしてもいる。ブロック・パーティーを政策として導入する都市がほかにも増えていることをつけ加えておきたい。 キャンプやブロック・パーティーで犯罪は減るのか。犯罪に直接関係がないようにもみえるし、施策と結果の二地点を直線で結びつけることは難しいが、犯罪は減っていて、効果を示しているように思われる。従来のように取締りを強化したり、懲罰を重くするやり方とは根本的に異なり、人の行動を変えるには金銭的インセンティヴを与えるか、懲罰を与えるかだという考えを覆すものである。 人の行動には必ず金銭的動機があり、それ以外に人は動かない。それは現実の世の中のあり方というよりも、そうした策を考案しているテクノクラート自身の信条を投影したものではないか。いずれにしても、テクノクラティックなアプローチからの転回がみられることは興味深いことである。 またマムダニは、市内幼稚園や公立校での「ギフテッド・アンド・タレンテッド 」のプログラムを中止すると言われている。彼自身の言葉によると「子供が子供でいられる時期が必要」ということらしい。 このようにみてくると、マムダニを含む市長たちの取り組みはたしかに住民の生活支援ではあるものの、もっと奥深いところで、世の中の見方や価値観に修正を迫るところがある。エリートたちが彼らを恐れているのは、課税などよりも、そのためではないかと思えてくる。 (おわり)
yoshiさん