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■都市のコード論:NYC編  vol.05 
レポート
2016.09.23
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■都市のコード論:NYC編 vol.05 
"NYFW(New York Fashion Week/ニューヨーク・ファッションウィーク)"の進化をどうみるか?

在NYC10年以上のビジネスコンサルタント、Yoshiさんによるまち・ひと・ものとビジネスの考察を「都市のコード論:NYC編」と題し、不定期連載しています。

上の写真はブライアント・パークのテント(BryantParkTent)でのショー(2009)。

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 ニューヨークの秋はファッション・ウィークとともにやってくる。

この秋のニューヨーク・ファッション・ウィーク (NYFW) 、いろいろな意味で転機を迎えていることでも注目された。

既に少しだけ報道されているように、アメリカ・ファッション協議会 (CFDA) NYFWのあり方についてボストン・コンサルティングに委託したレポートの結果が2016年3月に公表されたためだ。

ファッション関係者へのインタビューをもとにしたそのレポートによると、従来のモデルが機能していないこと、それを変える必要性については誰もが同意したという。

レポートはいくつかの問題点について概ね次のように指摘している。

インスタグラムなどでショーの様子は消費者もほぼリアルタイムで見ることができるようになったのに買えるのはその6ヶ月後。その間に消費者は飽きてしまい、ファストファッションにコピーする時間を与えている。 

消費者はいまの気候に合うものを買うようになっているが、従来のモデルでは暖かい頃にコートを売り始める。冬本番にはディスカウントされて、小売側も売上をディスカウントに依存する不毛なサイクルに陥っている。

オフシーズンのコレクションによってデザイナーは年中フル稼動を求められ、「クリエイティヴ・ディレクター」とは縁遠いマシンになり果てて消耗している。
 
9月8日(木)〜15日(木)、今秋も2017SSのFWが開催された。個々のメゾンが発表するクリエーションは多くの他誌(ウェブマガジン)に委ねるとして、ここでは、ちょっと違う視点、会場の“ロケーション”を中心に、考察してみることにした。
 
今秋のNYFWはこのレポートにどう反応したのか。ショーの会場をみるかぎり、変化はすでに現れているようだ。

まずは冒頭のマップをご覧いただきたい。これは、
今回ショーが行われた場所をプロットし、まとめたもので、円の大きさはその場所で行われたショーの数を示している。マウス等でドラッグすると、ブランド名が表示され、また拡大や縮小、位置を移動することも可能だ。

会場はショーのゲストのみに通知されることもあるため、マップは必ずしもすべてのショーを網羅してはいない。とはいえこのNYFWにはあきらかな変化がある。

それは会場の数が大幅に増えていることだ。ひとつのブランドだけが利用する会場が増え、より多くのブランドが独自の会場を選ぶようになっていることがわかる。

近年はチェルシー周辺の会場が多かった。ファッションのビジネスが衣類の製造業を中心に形成されたガーメント地区からチェルシーにかけて多いことと無関係ではないだろう。 

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20152月のショーの会場をみるとその傾向がわかる。

上のマップは、
20152のショーをプロットしたものである。20152月はブライアント・パークからリンカーン・センターまで続いた「テント」の時代が幕を閉じたNYFW。多くのショーがリンカーン・センターのテントを利用した。


この秋は伝統的にNYFWと無縁だった地区にもショーが拡がっている。正式会場とされる数ヵ所への集中はいくらかみられるものの、マンハッタンを超えてショーが分散し、中心がより曖昧になっている。

このNYFWでは多くのブランドが大規模な会場を避けて、静かで親密な環境を選んだ。ごく少数の人だけを招待した、よりエクスクルーシヴなショーを行ったブランドもある。

 
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2016年2月に開催されたNYFW、モイニハン駅の会場
「ショーで見てすぐ買える」という、ショーの直後から店舗やオンラインでコレクションの販売を始めたブランドもさらに増えていた。

前回
LA(ロサンゼルス)の世界最大級の旗艦店にて、「brick-and-mortar(ブリック&モルタル)」として、タッチスクリーンや試着室などでハイテクを取り込んだRebecca Minkoff(レベッカ・ミンコフは、今回、ソーホーにある自身のショップ前の路上でショーを行った。NYFWの破綻を宣言し、「See-now-buy-now(ショーで見てすぐ買える)」ということにも早くから取り組んできた彼女は従来のショーに満足できず、実際に着るところに似た場所を会場に選んだという。

Ralph Lauren(ラルフ・ローレン )はアッパー・イースト・サイドの旗艦店前、Rachel Comey(レイチェル・コーミー)ソーホーのホテル前など、屋外の歩道(ストリート)でショーを行った。

Tom Ford(トム・フォード)は歴史に跡を残すかのように、近く移転が予定されているフォー・シーズンズ・レストランでショーを行った。消えゆく場所には独自の魅力がある、ということだろう。


ルーズベルト島やブルックリンなど、マンハッタン以外でのショーはいまや定番だ。ショーを初めてマンハッタンの外にひっぱり出したのはAlexander Wang(アレキサンダー・ワン)だった。

20142月にブルックリンの旧海軍施設内で行われた彼のショーの招待状にUberの割引コードが同封されていたことは記憶に新しい。今回はスポーツブランドのアディダスとのコラボレーションラインが登場。ショーの後に会場ですぐに購入できるようになっていたという。 


Tommy Hilfiger(トミー・ヒルフィガー)16番桟橋に観覧車をもちこみ「トミー桟橋」なる遊園地を準備して、2千人 (半分は消費者向け) をショーに招待した。会場は翌日一般に開放された。


Misha Nonoo(ミーシャ・ノヌー)にいたってはスナップチャットでコレクションを公開し、ショーは行っていない。ショーの分散傾向はロケーションだけではないらしい。
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2011年、リンカーンセンターのテントでのショーのようす

2015年に発表されたニューヨーク市経済開発公社の報告によると、ニューヨークのFWには世界中から毎年23万人が訪れているという。NYFWにやってくる人たちは、市内に約532百万ドルを落とし、1年あたりの経済効果は900百万ドル近くになるそうだ。まさに、NYFWはニューヨーク・シティ・マラソンを上回る一大イベントなのである。

そもそも
NYFWの前身、発端は1943年にまで遡る。
第二次世界対戦中にパリに行くことができなくなった編者者たちがローカルのデザイナーを集めた「プレス・ウィーク」を始めたのがきっかけだ。

その結果、ファッション誌は米国のデザイナーを真剣に受けとめるようになったという。プラザ・ホテルで始まったプレス・ウィークは個人のアパートなどさまざまな場所で続いた。


しかし1990年にMichael Kors(マイケル・コース)のショーで天井が抜ける事故が起きたことで、秩序をもたらすためにショーをひとつの場所に集めることを考え始めた。


そして1993年にブライアント・パークであらためて「ニューヨーク・ファッション・ウィーク(NYFW)」として再スタートし、拡大に伴って20109月にはリンカーン・センターへと場所を移した。


NYFWがブライアント・パークで始まったときには、すべてのデザイナーがひとつの場所に集まることに意義があった。テントはそのアイコンだったのである。


それから20年が過ぎ、NYFWは機能不全に陥っているといっても過言ではない。ショーのあり方や場所、時期など含めて、ひとつのフォーマットがすべてのブランドに等しくあてはまる時代は終わった。ボストン・コンサルティングのレポートはそれを正式に認めたというところだろう。

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従来のやり方が機能していないことがわかっているなら、その同じやり方を続ける理由はどこにもない。ニューヨークは新しい試みには積極的にチャレンジすることで知られる街の代表だ。


CFDAは今後のNYFWの可能性としていくつかのモデルを示唆しているものの、まだ、特定の指針を示してはいない。誰かが処方箋を書いてそれに従わせるのではなく、ソリューションはそれぞれのブランドが模索すべきものだ。そのアプローチもニューヨークらしくはあるだろう。

新しい試みには懸念がつきまとう。消費者を意識するあまりコマーシャルになりすぎはしないか。ファッションの主役はデザイナーなのか、小売なのか。


「着られるもの」だけを求めて人はショーに足を運ぶわけではない。クリエイティヴィティを目撃して驚かされたいがためにショーに期待して足を運ぶ人も少なくない。
そうした問いに答えるNYFWのふさわしいあり方は、それぞれのブランドが一番よく理解しているはずだ。

暫定的とはいえこの秋のショーには、すでに各ブランドのファッションに対する考え方をみてとることができるだろう。


CFDA議長でもあるDiane von Furstenburg(ダイアンフォン・ファステンバーグ)によると、「NYFWには“レヴォリューション (革命) ”ではなく“エヴォリューション (進化)”が求められている」と話す。

NYFWの後はロンドンファッションウィーク、ミラノファッションウィーク、そしてパリファッションウィークときて、最後が東京とソウルとなる。ロンドンやミラノ、パリなどの“進化”については、在住欧州のコントリビューテッド・ライターらにレポートを委ねたい。

(取材/マップ作成:yoshi)


Follow the accident. Fear set plan. (写真をクリックしてください)

25万ユーロ
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25万ユーロ

一年半ぶりのアテネは生憎の荒天で、パリに備えて詰め込んだ厚手のものを早速引っ張り出して着込まなければいけない思った以上の寒さだった。それでもいくつかのフライトと空港を経由して辿り着いた都市で、最初の一歩を外に踏み出す時ほど、未知の期待に胸が高鳴ることはない。それがアテネとくれば尚更のこと。歩道にテーブルがせり出す多くのカフェの中でもとりわけ世間話が賑やかな店を選んで入り、その日の最初のコーヒーを注文する。コーヒーでもビールであっても、大きな水のグラスが必ずついてくるのがアテネだ。ここの気候を考えれば理に適っている。この寒さで真っ先に水が出てきたのを怪訝に思いつつ、そうかここはアテネだったと気づくのには少し時間が必要だった。 頼りない記憶をGPSで補いつつ、いくつかのネイバーフッドをゆっくり歩きながら、以前のアテネでの出来事とマップを少しずつ呼び戻してリロードしてゆく。18ヶ月も経てば通りの名前はすっかり忘れてしまっている。大雨が降り始めて足止めを食ったファラフェルの店は確かこの辺りだったはずだ。アテネ市長の広報が飛び入りし、パブリック・スペースをめぐる論争が延々と続いたクレタ料理の店が入る小さなアーケードはここだったのか。記憶のあちこちに散乱したピースを一つのマップ上に配置できるようになるには、たっぷり一日は歩くことになる。 二杯目のコーヒーを求めて、何度も通った旧市街地のカフェを探したもののなかなか見つからない。それもそのはず、ようやく発見したのは畳んでしまった店の跡の憐れな姿だった。夜はバーとして人気のあったその店が、常連客にふるまっていたあのドストエフスキーという正体不明のカクテルが実のところ一体何だったのか、その真相が明らかになることはもうないのだろう。 市場の方に向かって歩くと、その界隈は変わりなく混沌としている。市場のすぐ西は以前から移民が多い地区だが、間に合わせの祈祷室に入りきれない多くの人たちが歩道に跪き礼拝しているところをみると、このあたりの移民構成もまた変わったのかもしれない。地中海やアフリカからやってくる多くの難民にとって、EU最南のギリシャは欧州の玄関口の役割を果たすことになる。それなのに難民と移民の流入が何よりも喫緊の大問題として、遥か北の国々で世論を二分しているというのだから何ともおかしな話だ。 昼間から外で薬物を打っている人たちがいるのは以前と変わらない。そこから角を曲がると風景は一変し、ぞっとするほど殺伐とした雰囲気の通りに出るものの、それでも治安は悪くはなく、危険を感じることがないのはアテネの特徴の一つと言える。5年ほど前にこの地区で放棄されていた建物を改修した、スタートアップ向けのオフィスが営業を続けていたことは良い知らせだ。そこから数ブロック先の観光客が多いモナステラキへと歩くと、ハイシーズンもすっかり終わった11月末だというのに随分人が多く混雑している。前回はなかったはずの店が多くオープンしていて、この国の主要産業である飲食店の移り変わりが速いのは相変わらずだ。 中心部のスタディオウ通りに出ると、大規模なデモが行われている。通りは封鎖されていて、暴動鎮圧の機動隊が出動し、デモ隊を取り囲むように動き始めていた。毎日のように何らかのデモが続いているアテネでは、道路が封鎖されるのは毎度のことで、その度にバスや自家用車は迂回して別の道を利用することになる。全身黒ずくめに覆面で、石を手にしたデモの群衆に向かって機動隊が一斉に走り始めたところで、その東に位置するエクサルヒアに向かって歩き始め、友人の建築家の事務所を訪ねてみることにした。 弁護士の父親から引き継いだ、エクサルヒアを見渡す広いバルコニーが特徴的な5階のオフィスで、彼が最近手がけたミコノス島のホテルのことを少し話したあたりで、せっかくだからランチに行こうということになり、数ブロック先の人気店に移動して席に座ってしばらくすると、ワインやクレタ風パスタなどがテーブルに並び始めてしまった。アテネの食事は美味しい。とはいえ時差ボケが重い到着翌日の昼間にアルコールや炭水化物は禁物、明日以降を台無しにするわけにはいかない。なにしろ体はここにあっても、高速で移動できない魂はまだまだフランクフルトあたりで乗継ぎのフライトでも待っている頃のはずだ。適当な事を言って早々にランチを切り上げようとしていた時に、友人が面白い話を始めた。 1. スイスからアテネに遊びにきたバンカーの女性が、エクサルヒアに滞在し、アパートを二件買って帰ったという話だ。50歳前後とみられる彼女はエクサルヒアが気に入ったらしく、個人としてエクサルヒアのアパートを買い、その買ったアパートをairbnbで観光客に貸しているという。アテネの中心地にairbnbが増えていることは随分前から聞いている。誰に聞いても、airbnb向けの改修工事とホテル建設が、出口の見えない経済危機のアテネで唯一活発なビジネスだと口をそろえる。通りを歩いていても外からはわからないものの、観光客が多い旧市街地の建物の上の階はかなりの割合でairbnb向けの部屋が占めているらしく、中心地はちょっとした建設ラッシュの様相さえ見せている。アクロポリスの麓に広がる観光客に人気のクカキは、欧州のairbnb市場の中でも最も高価なネイバーフッドだという調査結果を数年前に聞いたことがある。 中心地の東の坂に張りつくように広がるエクサルヒアは、大学があることから学生も多く、生活感のある落ち着いたネイバーフッドだ。狭い通りがグリッド状に走る小規模なスケール感にふさわしく、個人が経営する書店や小さなカフェがひしめき、週末は朝まで狭い通りに人が溢れる。バーではなく、外の歩道上に一晩中多くの人がたむろしているのは、生活の欠かせない重要な一部が屋外にあるアテネでは当たり前のこと。外に人がいるのはそのネイバーフッドが健全な証でもある。隣接する瀟洒なブティックが並ぶコロナキが暗くなると活気を失うのとは対照的に、エクサルヒアは飾り気こそないものの一晩中人通りが絶えることはない。 一年半前に訪れた時と比べて、エクサルヒアの建物の状態は全般的に悪化しているように見える。改善の兆しのない経済下では仕方のないことなのかもしれない。スクワッターが占拠する建物も少なくなく、建物の多くは隅々までグラフィティが描かれている。それにしても、観光名所が多い中心地でairbnbが増えているのは容易に想像がつくものの、観光地でもなく、どちらかというと荒廃感が漂うエクサルヒアになぜアパートを買うのだろう。友人によれば、エクサルヒアはアテネの中でも左翼活動の中心地であり、アナーキズムの活発な活動の歴史がある、それがクールだと言って観光客がここに滞在するのだという。 2. 2008年12月にエクサルヒアの路上で15歳の学生が警官に射殺されたことで、ギリシャ全土に暴動が広がったことはまだ記憶に新しい。それから10周年にあたる2018年の12月6日にはエクサルヒアで再び暴動が起こり、その一角では火の手が上がり、機動隊との激しい衝突が続いた結果、60人以上の逮捕者を出すことになった。複雑な過去のあるこのネイバーフッドに様々なストーリーがあるのは事実だ。近頃流行りのオーセンティックな体験とやらが、アナーキズムにまで触手を伸ばす世の中らしい。そしてそれをクールだと考える観光客向けにairbnbが増えているとは、自らの尻尾を食い始めた後期資本主義もいよいよ袋小路の奥の奥へと入り込んでしまったというところなのかもしれない。エクサルヒアには政治ツーリズムの一環としてやって来る人も増えているらしく、いまやプラカなどと並んで、欧州でも最も高価なairbnbのネイバーフッドの一つにさえなっているという。 世界の多くの都市では、大学があるネイバーフッドには書店 (そして映画館) がつきもので、その界隈には左翼的な傾向の人が多い。もっとも思想といえるようなものは特になく、煽動的な言語や過激な行動に身勝手に酔いしれて、現実感を欠いた世間知らずもいる。そしてそれを当て込んだ商売が存在するとは、何と抜け目なくよく出来た世の中だろう。アテネを走る地下鉄の車両は、1980年代のニューヨークさながらに、ことごとくグラフィティで埋め尽くされている。清潔になったニューヨークではもう目にすることのできない光景があちこちに存在するアテネは、古き良き壊れた都市を疑似体験するためのテーマパークとでもいったところなのかもしれない。 観光客がエクサルヒアにやってくることを快く思っていない人は少なくない。そのことは容易に想像がつく。エクサルヒアや移民の多いキプセリの通りには、airbnbの観光客を指弾し、その代わり難民は歓迎するという趣旨のタグがあちこちに書き込まれている。どちらも「ゲスト」には違いないairbnbの観光客と難民のどちらがアテネにとって望ましい人なのか、考えてみるに値する問いではある。皮肉なことがあるとすれば、どうやら観光客はこのネイバーフッドの反エスタブリッシュメントでグラスルーツの雰囲気を求めてやって来ているらしく、住民がairbnbの観光客を非難すれば、それがさらに多くのairbnbの客を集めることにもなり得るかもしれず、住民と観光客の対立の構図さえも観光ビジネスの回路に取り込まれていることだ。ありとあらゆるものを希薄化する資本の解体力には目を見張るものがある。 近い将来、世界の都市は裕福な者とそれに仕える移民、そして観光客だけのものになるだろうと言われる。airbnbが占拠して、学生が市内にアパートを借りることができずに市外の遠くから通っているアテネは、すでに未来を半ば体現している。21世紀の経済から取り残されたかに見えるアテネは、実は資本の未来を先取りしていて、ギリシャこそが来るべき未来の姿ではないか。アテネを訪れるたびに、その先頭と最後尾がどこにあるのかわからなくなり、両者の境界線が曖昧になるちょっとした目眩に似たものを感じる。 3. 外国人が不動産を買っているのはアテネに限ったことではなく、ギリシャの島々でも多くの外国人が不動産を買っている。そのマネーは世界中からやってくる。なかでも中国、トルコ、ロシア、イランからが多い。 外国人がギリシャで25万ユーロ以上の不動産を取得すると、取得者とその家族にはギリシャで5年間の居住権を得る資格が与えられる。ゴールデン・ビザとして知られる、投資と引き換えに居住権を与えるプログラムは欧州の多くの国が実施しているが、ギリシャは居住権を得るための最低投資金額が低いことや、EU国であることなどから人気は高い。 レジェップ・エルドアン大統領の下で不安定化するトルコでは、資産を国外に持ち出す人が増えている。政情が不安定な地中海や中東の国に住む者にとっては、ギリシャは比較的近くで好都合なのだろう。国外に資産を保管することができて、いざとなったらEU内に住むこともできるとすれば、25万ユーロは最悪の場合に備えたコンティンジェンシー・プランとしては悪くない。 アパートを買い、ギリシャでの居住権を得ても、彼らの多くはギリシャに住むことはない。その多くは自国での生活を望んでいるものの、予期できない事態によって、いついかなる時に自国を離れることを強いられる状況に陥ることになるかわからない。その時のための備えとしてアパートを買っている。その意味では彼らは自発的な移民ではなく、潜在的な移民予備軍といえる。 ギリシャのアパートそのものに興味があるわけではない彼らは、アパートを買ってもそこには住まず、第三者に貸し出すことになる。airbnbはその便利な方法だ。家賃収入として得たキャッシュはギリシャまたはEU内に保有することができる。トルコや中国だけでなく、自国に送金したくない様々な理由が存在する。そうした投資家にとっては有難いスキームといえる。 レバノンの投資家向けの案件に取り組んでいる友人は、アテネの住宅地にある放棄された建物を改修する準備にとりかかっている。その物件を見に行ってみたところ、5-6階の建物で、もちろん改修の必要はあるものの、それほど状態は悪くない。だが中心地から遠くはないとはいえ、地下鉄の駅のすぐ近くというわけでもなく、特に便利なロケーションではない。建物全体を買い上げ、改修した後にアパートとしてレバノン人に売るのか、それとも短期貸しにするのかはわからないが、レバノン人が買ったとしても彼らがそこに住むことはまずないだろう。 その物件は警察本部の真裏にあり、見学した数時間後の夜中には警察に火炎瓶が投げ込まれたらしい。そうしたことを聞くと、その建物が投資案件として適切なのかどうか疑問に思わずにはいられないが、そういえばアナーキズムがクールだと思っている人がいるらしいのだから、そうした事件も滞在先のアトラクションの一つとして折り込み済みなのかもしれないと思い直したりもした。 4. 居住権取得の資格を得るための不動産投資の最低金額は25万ユーロで、その金額を上回ってさえいればよく、それ以上大きな金額を出す理由は投資する側にはない。25万ユーロを超えていて、25万ユーロに近ければ近いほどいいのだ。とはいうものの、都合よく25万ユーロの物件ばかりあるわけではないから、要件をクリアするために様々な方法を考える。二件の安価な不動産を取得し、合計額が25万ユーロを少し上回るようにすることもある。複数の不動産を買い、利が乗ったところで一件を売却しても、別に保有している物件があることで居住権は維持できる。最近のギリシャでの不動産取引の平均価格は31.2万ユーロということだから、何が起きているのかおおよその見当はつくはずだ。 25万ユーロならどんな物件でもいいわけではない。取得した物件がキャッシュを生み出す必要がある。ある建築家によると、アパートよりも小規模なホテルを好む投資家もいるという。ホテルの方が取得後にキャッシュフローを期待できると考えるためだ。アパートを買う場合でも、すでにテナントがいた方がより確実にキャッシュが入ってくることから、テナントが入っているアパートを探し、テナントごと買うことも多い。airbnbで短期貸しした方が一日あたりの家賃収入は高くなるものの、コンスタントに借り手が続く保証はない。テナントがいるアパートの方が確実と考えることもできるだろう。初めから外国人投資家向けに売ることを目的として計画された建設プロジェクトも進んでいる。 2018年の夏には中国人がエクサルヒアのアパートを100件買ったというニュースが流れたが、それは事実ではないと否定する人もいる。そもそもエクサルヒアの住居ストックはそれほど豊富ではなく、アパートを借りるのも容易ではない。短期間で100件も買うのは難しいはずだ。統計の精度の高さで知られるわけではないギリシャでは、その数字を確認することはできそうにない。2009年にヨルゴス・パパンドレウ政権が誕生した後に、同国の財政赤字がそれまで公表されていたよりも実際には遥かに大きく膨らんでいたことが明るみになったことから財政危機が始まったことを思い出すだけで十分だろう。 ギリシャを訪れる観光客は増え続けている。ギリシャを離発着するフライトの数は増加し、アテネ市内にも観光客の姿は明らかに増えている。近隣諸国が政治的に不安定化していることも、間接的にギリシャに観光客を集める結果になっている。経済的には疲弊していても、圧政に移行するリスクが少なく、比較的安定していることがギリシャにマネーを集めることになり、また経済危機にあることも、それを後押ししている。 瀕死状態にある不動産市場の活性化の名目で、2013年に導入されたゴールデン・ビザのプログラムは、2018年7月にはギリシャ国内の銀行への40万ユーロ以上の預金をした者などを含むように変更され、その資格対象範囲が拡大された。2018年前半だけで、ギリシャは3千件近いゴールデン・ビザを発給し、2013年のプログラム導入以来累計8千件以上、申請者の家族を含むと2万件以上のビザを発給していると言われる。難民よりもairbnbのゲストの方が望ましいと政府は判断したのだろう。そしてアレクシス・ツィプラスが率いる自称左派政権がそれを推し進めていることは、よく覚えておく必要がある。 5. そのツィプラス首相の下で財務相としてEUとローンの交渉にあたり、首相よりもはるかに高い知名度を世界中で得たヤニス・ヴァルファキスは、現在も一部に熱心な支持者を集めている。ゲーム理論家であり、テキサス大学で教鞭をとっていたヴァルファキスはEUとの交渉の役割を引き受け、危機の最中にアテネに戻った。2015年に財務相に就任し、欧州各国の要人を訪れる際に、アテネのタクシーの中に荷物を忘れたヴァルファキスは、借り物の間に合わせの革のコートにジャケットもネクタイもなく、当時の英国財務相ジョージ・オズボーンをロンドンに訪ねたことで、少なくともその服装においては革命的だと取り上げられて、一躍世間の注目を集めた。 ツィプラスと袂を分かち、半年後に政権を離れた後、汎欧州的民主主義運動を組織しているヴァルファキスは、2019年5月に予定されている欧州議会の議員選挙にドイツから出馬することを最近発表している。EU市民は国外で欧州議会の選挙に出馬することが可能であり、ベルリンで友人からアパートを借りることで、彼はドイツで出馬することが可能になる。アパートを買って居住権を得ることも可能だが、国外のアパートを借りることで、その国の政治に参加することもできるとは、アパートは実に万能なツールではないか。 資本と情報に関する限り、国境といえるものはもはや存在せず、自由な移動がほぼ保証されているというのに、人の移動については相変わらず大きな障壁があちこちに立ちふさがっている。自ら英国で学び、その後オーストラリアや米国を転々としたヴァルファキスは、誰に対しても移動の権利を保証することを繰り返し主張している。 国外の不動産を買う人たちの事情は様々なのだろう。彼らが世の中の動向に先んじて、いざという時のためにそれぞれリスクを回避する方法を探っているとしたら、それを非難することはできるだろうか。そもそも不動産の取得を通じて居住権を得ることは合法であるばかりか、国民は別にしても、少なくとも政府はそのプログラムを喜んで推進している。それはギリシャだけではないのだ。 英国のEU離脱を前にして、英国に住むユダヤ人がドイツの市民権取得に動いているし、英国からのアイルランドのパスポート申請数が増加している。安定していた社会が急速に崩壊するのを目撃した人なら、生き残る方法を真剣に考え、自分や家族のための行動を考えるのは当然だ。バブルの中で惰眠を貪っているのでもなければ、いざという時のためにどうしたらいいのか一人一人が考えている。最終的には自分のことは自分で決めて、自分で守るしかないのだ。 歴史が伝えるところによると、大きな出来事よりも先に人の移動は始まる。人が動き始めることでわかることは少なくない。そして人の移動は離れてゆく国にも大きな影響を与える。危機後にはギリシャから多くの人が国外へ出て行き、近年わずかに帰国の傾向が見られるとはいうものの、高等教育とスキルを持つ比較的若い層が国を離れる頭脳流出は、依然この国の大きな問題だ。 6. 短い滞在が終わる頃には天候も回復し、12月にしては暖かな陽気がやってきたと思ったらもうアテネを離れる時だ。案の定時差調整には失敗したものの、なにしろ夜出かけるといったら夜中の12時頃にようやく人が集まり始めるアテネでは、その生活の最も活発な時間帯は深夜なのだから、夜眠くならないのはかえって都合がよかったとは言える。数日の限られた滞在では、ブラジル大使館内で続いていたオスカー・ニーマイヤー展に立ち寄ることもできなかった。 もっとも、アテネにはそうした展覧会や店舗以外にこそ見るべきところがたくさんある。中心地の外れの自動車修理など軽工業ビジネスが多いところに、ボタニコという新しいネイバーフッドが現れつつあり、人通りの少ない薄暗い通り沿いにレストランやバーが少しずつオープンしていた。次にアテネにやってきた時にはもうその通りは人で一杯で、面白い時期は終わってしまっているのかもしれない。ほんのちょっとしたスペースがあればあっという間にカフェなどにしてしまうのは毎度のことで、誰かが勝手に何かを始めて、そこから新しいネイバーフッドが生まれたり変わってゆくことが、止めようもなく常に起きているのがアテネのもう一つの姿だ。 世界の大都市が調子よくダメになり、どんどん都市的な部分を失っているというのに、アテネときたらそれに抵抗するかのように相変わらず都市的なのだ。エクサルヒアに観光客がやってきているのは、ひょっとしたら、いまや目にすることが難しくなった都市性を求めてやってきているのかもしれない。 アテネで何かをやってみるのも面白いかもしれない。一年のうち1-2ヶ月をアテネで過ごすというのも魅力的な生活に違いない。そんなことを話していたら、いい考えがあると、ある友人が提案をしてくれた。25万ユーロで不動産を買えばいい、そうすればここに住めるし、アパートを使わない時はairbnbで貸して…。 Advertisements

FAFSPさん


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