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増田セバスチャン/Masuda Sebastian ロングインタビュー★前半編
レポート
2010.05.04
この記事のカテゴリー |   |   カルチャー | 

増田セバスチャン/Masuda Sebastian ロングインタビュー★前半編

“Kawaii(カワイイ)”は、ほんとうに世界を救うと思う!

★2009年9月、日本のポップカルチャーの最新情報発信基地を目論み、サンフランシスコに誕生した「NEW PEOPLE」。そのオープニングイベントに招聘されたブランド「6%DOKIDOKI」の代表、増田セバスチャンに、海外からみたジャパン・ポップカルチャーの実態と、今年15年目を迎える同ブランドの運営を通して、「Kawaii」カルチャーの変遷を伺った。

「Jポップカルチャー」は、本当に世界を席巻していた?!

 日本のポップカルチャーが世界的に評価されるなか、2009年8月15日、米国サンフランシスコに、日本のカルチャーの最新情報発信基地を目論んだ小規模な商業施設、「NEW PEOPLE(ニューピープル)」がオープンした。地上3階地下1階の同施設を運営するのは、小学館が100%出資する米国の子会社で、日本の映画の配給を手がけるVIZ(ビズ)ピクチャーズ。日本映画を中心に上映する143席の映画館(地階)や、日本のアニメーションや現代アーティストなどを紹介するギャラリー、そして、日本発の「Kawaii(カワイイ)」カルチャーの発信元でもあるファッションブランドがテナントとして出店。日本のポップカルチャーの米の拠点として、全米中から注目が集まりつつある。

 そのオープニングイベントに招聘されたのが、日本の「Kawaii(かわいい)」カルチャーの元祖ともいえるブランド、「6%DOKIDOKI」だ。読み方は、ロクパーセント・ドキドキ。実は、同ブランドが設立された95年から2年後の97年に、『アクロス』では代表の増田セバスチャンさんを取材している。場所は原宿。今はなきアメカジショップの「プロペラ」があった通り沿いのビルの3階。弊誌『アクロス』が紙媒体だったころのことである。

 ストリートファッション・マーケティングの視点からは、97年は、一方にギャルが若年化した「コギャル(子どもギャルの略)」と、さらに進化した「ガングロギャル(ブラックミュージシャンやアーティスト、ファッションへの憧れが、肌を黒くすることへと変容し、メイクもデフォルメ化が進み、プリクラ等の普及で客体化も進んだ結果と思われる)」<ギャル系>が台頭。他方では、若手・新進気鋭のデザイナーによる、派手な色使いや奇抜なデザイン(袖が3つも4つもあったり、恐竜のような角が多用されたジャケットなど)のインディーズブランドに身を包む<ネオDC系(デコラちゃん)>が台頭するなど、大きく2つの流派に集約された時代だったと考察している。

 「6%DOKIDOKI」は、ある意味、その後者の代表的なブランド。その後、ストリートスナップ雑誌の『FRUiTS』をきっかけに2000年代前半に拡大した「原宿スナップブーム」の発展にも大きく寄与し、2010年現在、海外からの評判が高まっている。

 実は、筆者はたまたま2009年9月初頭に米国を視察することになり、ラスベガスとLAだけだった予定を急きょ変更。サンフランシスコに飛び、同ブランドの代表の増田セバスチャンが招聘された「NEW PEOPLE」を訪問した。もちろん、VIZピクチャーズの社長、堀淵清治氏にもお話を伺ったが、それは別途記事としてまとめたい。

                 *     *     *
2009年8月15日にオープンしたサンフランシスコ
の商業施設「NEW PEOPLE」。オープニングには
なんと3万5,000人が同施設のあるジャパン
タウンに集まったのだそう。

大盛況だったサンフランシスコでのイベント「Harajuku”Kawaii”Experience」ができるまで

 サンフランシスコのジャパンタウンに、3万5,000人も集まったんですよ。ジャパンタウンの代表の方にも、「セバスチャン有難う、こんなにジャパンタウンに人が来たことはないよ」って言われました。その場にいらっしゃったお客さんの反応も凄かったんですけど、現地の新聞での「NEW PEOPLE」の記事がすごい。期間限定ショップの身で申し訳ないのですが、うちがいちばんフィーチャーされていましたね。

 インタビューもたくさん掲載されました。まずは、『サンフランシスコクロニクル』。これは、地元の人は朝コーヒーと、これを読んでるっていう、いちばんメジャーな新聞のようです。あとは、「北米毎日新聞」「日米タイムズ」とか。日本語なんですけど、これがオープニングのようすです(写真参照)。建物の中から見ると、ビルの前は女の子たちがウジャーっとなってて、もう、ぎゅうぎゅうの状態でしたね。

 MTVからのバックアップがあったこともあり、もうアメリカ全土からティーンズが押しかけて来た、という感じでしょうか。うちのお客さんはヨーロッパからも来てたみたいですよ。

 堀淵さんと初めてお会いしたのは3年ぐらい前でしょうか。ある日、堀淵さんがふらっとお店に来たんです。最初、誰だか知らないから、何だろうこの人って。パルコさんもそうだしラフォーレさんとかアルタさんとか、いろんなところから出店してくれってオファーを頂くんですが、最初、そういう中の1人かなと思ったんですね。

 最初、ご飯でも行きませんかとか会っていきなり言うんです。普通あんまりないんですよ、そういうこと。何回か重ねて、じゃあ今度ご飯でも行きましょうってなるんですけど、いきなり会ってご飯でも行きませんかって、なんだこりゃって思って。変わってて面白いので、そういう誘いには乗ってみようかなと思ったんです。

 ご飯食べてる時も、とりあえず僕がうちのお店の説明をして、ただ美味しいね、と食事を楽しむ会みたいな雰囲気でした。初対面なのにデザートみんなでまわして食べる、みたいな(笑)。帰ってネットでちょっと調べたら、この人すごい人だったんだと知ってびっくり。ウィキペディアにも載ってて、世界で尊敬される100人のうちの1人として『newsweek』にも載ってたり、本も出していたり。

 その後、何回かアプローチがあり、今度サンフランシスコに来ませんかって言うんです。おもしろい人だなって思って。じゃあちょっと行ってみようかなと思って、サンフランシスコ行ったのがそれから半年後。まだ出店という話もなく、とにかくサンフランシスコっていう街を見に来てくださいって言うから、別の仕事もあったので無理矢理くっつけて行ったんです。

 3日間か4日間ぐらいだったでしょうか。堀淵さんは、ずっといっしょにサンフランシスコの街を細かく案内してもらいました。こういうところに僕たちの会社はあって、今まで漫画とかアニメをアメリカに拡げてきたんだけど、本当の日本のカルチャーっていうのはアニメや漫画だけじゃなくて、もっといろんなものがある。それをアメリカ人に広めたいんだ、っていう話を熱心にしてくれたんです。

 アメリカ人の日本に対する興味は、最初は漫画とかアニメだったんですが、今はそれらの背景になっている日本文化に移ってきているので、本当のカルチャーを広めるタイミングなんだっていう話をしてくれたんです。とはいえ、出店してくれっていう依頼に関しては、ずっと断ってたんです。結局やろうって決めたのはそこから半年ぐらい後かな。何回も通って来てくれて、何回も何回も話しましたね。

 当初、僕が断った理由としては、今アメリカに僕たちが行ってイベントをやったとしても、インパクトはあるかもしれないけど、一時期のインパクトで終わってしまっては困るわけですよ。僕たちはずっと続けなきゃいけない。一時の浮かれたブームにしないようにするためには、まずは啓蒙するところから始めないといけない。でも、アメリカの今の文化度を考えると、そういったものに関する知識がまだ少ないないから無理だろうと思ったんです。

 アメリカはメインストリームがすごく大きな町。例えば音楽のビルボードのトップテンとか見てもわかるように、上は全部ヒップホップです。メローな歌でワルが愛を囁く曲ばっかりがビルボードを占めている。そういうメジャー志向の強い土地なので、僕たちみたいに、カルチャーの度合を掘り下げているようなブランドがある日突然行っても受け入れられないと思ったんです。だから、ずっと断っていたわけです。

 でも堀淵さんは、いやそうじゃなくて、日本の文化っていうのは本当に今世界の中でもっとも必要なもので、特にアメリカ人の若い子たちは、その文化に触れることによって将来のアメリカが良くなるに違いないから、セバスチャン、今やるべきなんだよ、みたいな感じで熱心に話すんです。「僕はもうすぐ引退するので、その集大成としてこういうものをやりたいんだ」っていう話を聞いて、じゃあわかりました、っていう話になったんです。

 ビジネスの話だったら完全に折り合いつかない話だったんですけど、それは置いておいて、堀淵さんのその精神に対して僕は全能力を捧げますっていって始まったのが、サンフランシスコのプロジェクトでした。でも、やればやるほど赤字だということはわかってたので、1か月だけ、という条件を承諾してもらいました。
増田セバスチャンがディレクションした
イベント「Harajuku”Kawaii”Experience」
の告知ポスター

SNSが育んだ、00年代のジャパン・ポップカルチャー・ブーム

 僕はショップをオープンした95年以降、ずっと原宿にいたわけですが、近年、外国人のお客様がすごく増えており、海外からのニーズは感じていましたね。お客さんに聞いてわかったんですが、うちのファンみたいなでっかいコミュニティが西海岸にできてたんです。といっても、うちの商品を買って着ているわけじゃなくて、ちょっと似たようなものを仕入れたり。それを知った時、もしかしてこれをうまく結びつけることが出来るかもって思いましたね。

 その他にも、かわいいものを直接的に身に付けてファッションにしているっていうジャンルの子たちがいて、「MySpace」とかで、バンドの追っかけみたいな子たちとか、「emokids(エモキッズ)」とか「scene kids(シーンキッズ)」とかいわれてるんですけど。あとは「sucide girl(スーサイドガール)」っていうWEBとかもあって、アダルトサイトなんですけど、髪の毛をいろんな色に変えて、わりとフェティッシュ文化とかゴシックとかと結び付いているファッションもあります。

 それらのルーツはもちろん日本。1990年代の後半〜末の原宿、特にストリートファッションの雑誌『FRUiTS』の全盛期以降でしょうか。その書籍版が外国ではすごく人気があるそうなんですが、それを見て取り入れている子たちが集まれば、結構うまくいくかなと思ったんです。

 そこで、まずは「MySpace」で呼び掛けて、そういう子たちが集まれるような環境をつくることから始めました。それが、サンフランシスコに出店する少し前の話ですね。あとはうまく僕たちがサンフランシスコに行くタイミングと、そういう子たちが買いやすいものとか集まりやすいところとかそういうものをうまく結び付ける必要があったので、そのへんはちゃんと考えてアプローチしていきました。

 彼女たちはマリリン・マンソンとか好きなんです。日本とちょっと違ってゴスロリにはいかなくて、タトゥーとかフェティッシュとかと結び付く。だから「カワイイ」とか、僕たちみたいなカラフルなのもクレイジーなものの1つとして取り入れてるんでしょうね。それがわかったことが、堀淵さんと僕がサンフランシスコでやるって決心したきっかけもあります。

 イベントは、まあやり切ったな、と思っています。その後1ヶ月間お店をやったんですが、オープン1週間後、2週間後と徐々にうちの店への集客が増え、最終的には6%DOKIDOKIだけがいつも満員状態だったんですよ。

 「これは何なんだ、これはどんなものなんだ、アメリカにはないものだ」ってイメージがどんどん積み重なっていったんでしょう。クローズ2週間ほど前の週末にやったイベントでは、人が入りきれなくなったんですよ。2階に上がってすぐのところに行列が出来たので、ディスプレイを全部外して対応しました。100人ぐらいだったしょうか。「MySpace」と店頭ぐらいでしか告知出来なかったんですけど気が付いたらものすごい人が集まりましたね。

 案外、大人の方も多かったですよ。みなさん、カラフルなファッションをしてきてくれるんです。フランスとかドイツとかからも来てくれて。周りの人も店を閉めてうちに来る(笑)。みんなうちで買った商品を着てくるんです。

 なかにはロンドンから来てくれた子もいました。他にも、「MySpace」でも結構有名な子で、自分で服のブランドをつくってて、日本にも隠れファンがいる子とか。そういう人が来てるから、さらに相乗効果でファンが集まる。

 また、サンフランシスコの期間限定ショップをクローズした後にアトランタに行ったんですけど、サンフランシスコでのインパクトが凄かったらしく、アトランタでまさかうちのファンなんかいないだろうと思っていたら、みんな待ってたんです!と、もの凄いたくさんの人たちに囲まれて驚きました。

 そのイベントは、アニメと日本のカルチャーのコンベンションみたいもので、ホテルのホールを貸し切って夏フェスみたいに3日連続で行われたんですが、ミニショップとライブで招待して頂いたんですね。だから待遇はVIP扱い。カードキーを挿さないとエレベーターも動かないようなすごいいい部屋で。アメリカってわかりやすいですよね(笑)。
米国発の本格的な日本ポップカルチャー総合誌
『OTAKU USA』のウェブサイト。編集長は日本
でも『オタクinUSA 愛と誤解のジャパニメーシ
ョン輸入史』の著者としても知られるパトリック
・マシアスさん。

いろんなものを工夫してアレンジする日本のストリートファッション感覚が「逆黒船」旋風に

 アトランタでは、サンフランシスコで人気だった商品だけピックアップしてミニショップ2日間やりました。驚いたのは、1日目に来店して買ってくれたお客さんが、2日目に自分の持ってた服と組み合わせて、うちっぽくアレンジして着て見せに来てくれるんですよ。

 その「アレンジする」「組み合わせる」っていう感覚が、アメリカ人にしてみれば衝撃的な感覚だったと思いますよ。日本のコスプレに代表されるように、アニメとかの衣装を同じように真似する文化が日本の文化だと思ったのに、こうやって自分たちでお金をかけなくても、工夫してアレンジしてファッションを楽しむことができるわけですから。

 恐らく、今までアメリカにはそういうアレンジするというカルチャーがなく、GAPとかに代表されるように大量生産大量商品が生活のベースで、安いものものをどんどん買いなさい、消費しなさいっていう文化だったんです。それが、日本的な感覚っていうのは、わりとお金とかそういう問題じゃなくて、いろんなものを工夫してアレンジしてファッションを自分のものとして着て、楽しむ文化っていうのが彼女たちには衝撃的で、これでいいんだ、っていう共感を呼んだわけです。逆黒船ですよね。

 サンフランシスコの時なんかは、次はいつ来るのかってずっと聞いてくる子とかいたんですよ。日本人と違って反応がわかりやすいから嬉しかったですね。最後はユカ(6%DOKIDOKIショップガール)も僕もサイン攻めにあった(笑)。そういう意味でも、サンフランシスコでのイベントをやってよかったな、って思いましたね。

95年、LAの今では世界中で有名になった某アパレルブランドの小さな工場の片隅にミシン1台を借りてつくってたんです。

 アメリカ、LAには、実は、ブランドを始めた1995年ごろから雑貨の仕入れでよく行ってたんです。商品もいろいろつくってたんですよ。某大手アパレルの横のミシンの1台を借りて。その横は、今、そこもでかくなっちゃったんだけど、Mighty fineっていうキティちゃんの販権を持っててROCKテイストのキティTシャツとかを出してる会社だったんですが、ミシンが5台ぐらいだったかな。

 そこの社長とは友だちで、当時はMighty fineの商品とかも仕入れてたんですけど、その関係から、ミシンを1台借りて「6%DOKIDOKI」のオリジナル商品もつくってたんです。その頃人気だった水野純子ちゃんのTシャツとかもそこでつくってました。

 彼との出会いは、当時マイケル・エコノミー(Michael Economy)っていうニューヨークのイラストレーターがいて、パルコで展覧会をやるので来日していた時に、原宿のうちのお店に来てくれたのが始まりです。一目でおもしろい!って気に入ってくれて、それ以後、お互いに連絡取るようになったんです。

 彼の住まいはLA。じゃあLA行った時に遊びに行くよ、みたいな感じでしたね。Tシャツ屋さんだって聞いたから、マイケルエコノミーのTシャツ出すけど、こっちにもおもしろい、水野純子ちゃんっていう子のTシャツがあるからやらないかって、それで繋がっていった。

 彼とは、今でも会うし、たまに日本に来た時はちゃんとうちに挨拶に来てくれますね。周りが皆出世して助けられてるって感じですね(笑)。
2000年に発売され大ヒットした
「革命ブローチ」がリバイバル!
10年代も大人気だそう。
6%DOKIDOKI原宿本店
渋谷区神宮前4-28-16
TX101ビル 2F
3Fはギャラリー「LOV-LAB(ラブラブ)」

ショップから始まるカルチャーの発信

 先日は、パリの文化施設から呼ばれて、ミニショップとショーをやってくれっていうオファーで行って来ました。あとは、ベルリンとロンドン。今本当に日本の「カワイイ」カルチャーというか、いちばん最先端のムーヴメントとして外国の方がニーズが高いですよね。それこそアニメとか漫画とか、みんなマニア層だなっていうのがなんとなくわかってると思うんです。

 アジアでは、香港とか台湾、タイにうちのファンがいっぱいいるみたいなので、いずれはショップとイベントをやることになるんじゃないかと思いますね。最近、買付の人とかも来るんですよ。まあ順番的にはヨーロッパの後にアジアの波がくるんじゃないかと思っています。

 2010年の今になって、回りまわってやっとやりたいことが出来てるって感じでしょうか。時代性もあって、1990年代リスペクトっていうのが最近やっと出てき初めているので、あの時にはお金も力もなくて出来なかったことが、今素直に表現できているのが結構楽しいですね。15年待った甲斐があったっていうんでしょうか(笑)。

 当時はもっと小さなコミュニティで、僕も24歳だったので、同い年の若い子が集まってやるしかなかったので、そんなに大きなことは出来なかったんだけど、今39歳になって、経験も実力も増えた中で、もうちょっと人に届きやすく、あと実績っていうか説得力もあると思うので、そのへんがやっぱりやりやすくなってきていて、あの時に思ってて出来なかったことを今ぶつけてるって感じはありますね。

 日本の文化って日本人だとわからないんですよ、日本に住んでる日本人だから。それが、海外に出てみるともの凄く評価され、文化的な説得力を持つことが、まわりまわって日本人であることを誇りに思ってくれるようになってくれればいいなと思いますね。

 実は、僕、海外に向けてやってるようで日本人に向けてやってるんです。信じて突き詰めて15年間続けてきたことによって、やっぱりそれは間違ってなかったんだって思います。だから、皆も自分がやりたいと思ったことがあったら諦めないでずっとやっていくことが一番大事なんじゃないかなって思いますね。

★ ★ ★ 後半へつづく。 ★ ★ ★


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