英語版と日本語版が読める『Night On The Milky Way Train』(銀河鉄道の夜)。表紙は娘のルーシーさんの作品
宮沢賢治の描写は、緻密な調査と経験に基づく超リアル。どこを切り取っても21世紀の私たちへのメッセージが詰まっている
---ロジャーさんの最新刊『賢治から、あなたへ 世界のすべてはつながっている』(集英社インターナショナル)では、「19世紀に生まれた宮沢賢治は、実は21世紀の今の私たちに必要なメッセージを送ってくれていた」という見解がとても興味深いのですが、具体的にはどんなメッセージだったのでしょうか。
「自然にやさしく、自然や動植物と上手く共存することの大切さや、人間はどういう風にエネルギーを使うべきかなど、まさに21世紀の私たちにとって必要と思われるようなテーマを、賢治は約100年前からずっと考えていて、作品を通して発信していたんです。こういう考え方は、当時の日本ではほとんど理解されなかったかもしれませんが、やっと時代が賢治的な考え方に追いついたとも言えるのではないでしょうか。例えるなら、賢治は1933年(賢治の没年)に誕生した『超新星』で、その光がやっと今私たちに届いた、とでも言うような・・・」
---なるほど、賢治は一貫して21世紀的な考え方をしていたんですね。実は宮沢賢治って、多くの日本人にとっては、小中学生の時に教科書や読書で『銀河鉄道の夜』、『注文の多い料理店』、『「雨ニモ負ケズ』などに少し触れたぐらいで、何となくファンタジーを描く童話作家や『雨ニモ負ケズ』の詩人として、東北の耐える寡黙な人(の象徴)、という漠然とした印象しかない人がほとんどだと思われるので、そういう解釈は私たちにとってはとても新鮮に感じます。
「賢治の作品は、わかりやすい勧善懲悪的な対立やハッピーエンドなどのストーリーは少なく、読者にとっては消化しにくいものが多いので、まさかこれほど21世紀的なメッセージが込められているとは気づきにくいかもしれませんね」
---宮沢賢治は約100年も前に、どうしてエコロジーやインターコネクティッドネス(相互がつながり合っている世界)のような概念を持ちえたのだとお考えですか。
「それは賢治が超リアリストだったからだと思います。自然を大切にしよう、とか、人類も動植物も皆同じレベルでつながり合っている、とかいう考え方は、道徳観や宗教観に基づいているように思われがちですが、賢治の場合はそうではなかった。宮沢賢治は、自然科学者でもあり、天文学にも詳しく、また農業や鉱石類に関しても知識と経験が実に豊富でした。賢治が月や星、風や海、動植物や鉱石などについて描く時は、全てのことに対して自分で見聞きし、研究した知識や経験を持って臨んでいました。受け取る人が『ファンタジー』と感じたとしても、賢治にとってはそれは全てリアルだったんです。動物がかわいそうだから大事にしなくてはいけないとか、エモーショナルな話だけではなく、人間は自然や宇宙の森羅万象の一部にすぎなく、動植物や天然資源や惑星など宇宙全体と調和を保って生きていくことがごくごく自然なことだということに気づいたのでしょう。自然を破壊して全体の調和を乱すことは、特定の動植物の絶滅というレベルの話ではなく、人類の絶滅につながるということを深く理解していたのだと思います。動物保護や自然保護という言葉も、賢治にとっては、人間の上から目線的な意味合いを感じ、きっと使わない表現だと思います」
---宮沢賢治=ファンタジー作家ではなく、「超リアリスト」と捉えるのも私たちにとってはとても新しい解釈のように感じます。
「賢治にとっては、時間軸も現在だけでなく、過去も未来も常に視野に入っていました。例えば、何億光年の星の光には過去も未来も含まれていますし、海水や地層(石)や樹木などもそうですが、そういうものを描写する時には彼はその風景がどこから来て、今それがどういう状態で、将来はどうなって行くのだろうというところまで事実に基づき調べあげた上で、想いを馳せていたと思うんです。目の前に見えているリアルな世界のみならず、過去と未来というベクトルまで全てがみえていたんでしょうね。科学、地質学、農業の各分野に関してもスペシャリストであった賢治ならではの特長とも言えると思います。私はそれを『賢治リアリズム』と名付けました」
---ロジャーさんの宮沢賢治論を聞けば聞くほど、私たち多くの日本人が思っていた宮沢賢治像はとはずいぶん違ったイメージがみえてきます。例えば、ほとんどの日本人にとって宮沢賢治は清貧の象徴のようなイメージがあって、実は裕福で多趣味な人だったというのも意外と知らない面です。
「賢治の生家は質屋を営んでいて、とても裕福だったんです。37年という短い生涯でしたが、9回ほど上京していて、浅草も好きで、映画や芝居なども楽しんでいたようです。チェロも弾いていましたし、クラシックレコードはかなりのコレクターであり、当時のイギリス本国のポリドールの社長から花巻のレコード店経由で、賢治あてに感謝状が届いたという逸話もあります。浮世絵も何百枚も保有していたコレクターでもありました。鉱石に関する研究後、東京で人造ダイヤのビジネスを考えたこともありました。自分が興味を持ったことは、とことん突き詰めるタイプだったんでしょうね」
---なるほど、そう聞いて、ますます宮沢賢治が違ってみえてきました。最後に、賢治の21世紀的な考え方がよくわかるおすすめの作品を教えてください。
「『インドラの網』、『フランドン農学校の豚』、『なめとこ山の熊』あたりでしょうか。インドラの網は元々は仏教に由来する世界観をあらわす言葉で、すべてを取り込む網の繊維のすみずみにまで、無数の露が存在していて、それは球状で鏡のような働きもあり、ひと粒ひと粒が宇宙に存在するあらゆるものを象徴していて、賢治のインターコネクティッドネスの考え方がよくわかる作品です。『雨ニモ負ケズ』の中に書かれている『アラユルコトヲ・・・ヨクミキキシ』というフレーズは、私たちに想像力だけでなく、知識や経験、目の前のあらゆることに対する鋭い観察力をはたらかせよ、というメッセージに他ならないと思います」