「素人の乱」て、何。ワーキングプアの社会運動の名前? また格差社会モノか、若手学者の評論なのか、と少々斜めに構えてみたら、「1号店」だの「カフェ」だのが出てきて、これは高円寺にあるリサイクルショップの店名なのだということがしばらく読んでようやくわかった。店の名前ではあるんだけど、そこに関わった人たちが、デモをやったり、区議会議員選挙に出馬したり、映画になってそれが海外で上映されたりと、ある種のムーブメントになっているらしい。
この本は、「素人の乱」の中心メンバーが、関わってきた人たちと語りあい、これまでの活動をふりかえりまとめたもの。はじめの斜め目線、ごめんなさい。プアはプアだが、メンバーたちのとてつもないエネルギーが引き起こした、むちゃくちゃで面白い、軌跡がそこにあった。
「素人の乱」の始まりは、こんなかんじである。少し昔の高円寺、ひまを持て余し、深夜閉店したマックやケンタの前で集まって酒を飲んだりしていた若者が、やがて古着屋やフリースペースを始め、仲間とパフォーマンス集団を作り、手書きの新聞を毎日発行したり、法政大学で「貧乏くささを守る会」をやってる学生と出会い、リサイクルショップを構えることになり、インターネットラジオを始め、そのうち数々のデモをすることになっていった・・・と、まとめてしまうとつまらないが、活動のひとつひとつ、あまりに衝動的で、ストレートで、恐れいった。
手書きの「ノッピン新聞」は、発行部数10部、読者は喫茶店の夫婦2人にも関わらず、250日毎日欠かさず発行した。「これでどうやってインターネットをぶっ壊すっていう志を全うしようとしてたのかわからない(笑)。ただ「これだ!」と思ってたよね」という熱によって。
飲み屋で「リサイクルショップをやりたい」と話したら、「わらしべ長者」のように店がすぐ見つかり、古着6着でスタートしたのも「大学がもう場所じゃなくなって英会話のNOVAみたいな感覚になりつつあったのが本当につまらなかった(略)街にもコミュニケーションがなさすぎて、居場所としての街っていうのがほとんど皆無な状態だからさ」という不満によって。
「デモをやろう」と思いついて、やるんだったら絶対「NO」と言えないことをやろう、なら「お母さんを大切にしようデモ」にしようなんて案も出つつ、最終的にデモ申請に行く直前に放置自転車撤去反対の「俺の自転車返せデモ」に落ち着いた。「デモだと車出せるから、トラックの上に機材積んでDJとかバンドとかだしてやっちゃえばいいし」「「このエネルギーをどこに放出する?」ってそういう感じだったと思う」というカオス状態の中で。
こんなに思想的でなく、無計画な、だけどかなり面白い動機が今どきあることに驚きだ。読みながらふと思い出したのが、森見登美彦の小説『太陽の塔』。モテない貧乏男子が、世間が浮かれるクリスマスを呪い、イブの街で「ええじゃないか」騒動を引き起こすというクライマックスで終わる青春妄想小説に爆笑したものだが、まさにそれじゃないか。しかも妄想ではなく、現実なのだし。
いくらでも情報があり、外に出なくてもネットで人とつながっている気になれる今、内輪の言葉のなかに収まらず、わざわざ異種の人や街と関わる、ということ自体が、実はすごいことなのでは、と思う。格差社会と真っ向から戦うでもなく、流行に乗るでもなく、ビッグになるとかそういうのでもなく、ただ「なにかやりたい」「何か言いたい」「面白くしたい」という衝動で、デモを起こし、大騒ぎし、何かが確実に変わっている。帯に「キミも大塩平八郎に続け!」とあったが、ほんとに百姓一揆って、こんなかんじだったんだろうな、と妙に実感した。
結構注目されて、映画になり、こうして本も出て、カルチャー的に語られる存在になっても、主要メンバーは「素人の乱」各店でお店をやったりしているところが、地に足ついている。リサイクルショップをしながら選挙に出馬したことで、地域に根付いていることがわかって感激し、革命が目的でなく「革命後の世界を作れ!」とアジテーションする首謀者の松本哉氏は、左翼系・学者系の方々から囲い込みの手が忍び寄っているとの噂も聞くが、そんなもんに日和ることなく、素人でい続けるのだろう、と思う。とりあえず、高円寺に、生「素人の乱」を見に行きたいものだ。
[文/神谷巻尾(フリーエディター)]
「思い出した本」と「読みたくなった本」
●読みたくなった本
『貧乏人の逆襲!—タダで生きる方法』松本哉(筑摩書房)
『はじめてのDiY なんでもお金で買えると思うなよ!』毛利嘉孝(ブルース・インターアクションズ)
●思い出した本
『太陽の塔』森見登美彦(新潮社)
『テクノフォビア』清野栄一(扶桑社)
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