今年はサブカルチャー論の当たり年のようだ。「ヤンキー文化論」に続き、今度は「コスプレ社会」。本書は、コスプレ、女装、タトゥー、改造制服など、独自の身体文化を生み出したグループについて、調査考察を行った論評集である。
これまでサブカルチャーとしての分類にさえなっていなかったであろうこれらの文化について、社会学的なことばで分析されているのが新鮮だ。確かに最近、女装した男性を街でよく見かけるし、近所にコスプレ好きな女子高校生もいる。この夏は、プールで長袖のラッシュガードやテーピングでタトゥーを隠しているカップルが増えている気がした、もはやこれらは特殊な趣味でなく、現代の若者を象徴する文化だとしたら、分析の対象としてまさに旬なのであろう。
テーマごとの執筆者が、現場をフィールドワークしたり、実際にそのカルチャーを楽しむ当事者であったりするため、彼らの実態を垣間みることができて、とても面白い。それらのカルチャーに流れる、現代の若者の行動や意識のあり方にも、発見感があった。
たとえば、コスプレ愛好者は女性が多く、八割程度が男性キャラのコスプレをしているという。着飾り、メイクするという女性的な行為、また衣装制作で裁縫という旧来の家庭科的な実践をしながら、男性を演じるというジェンダーのゆらぎが生じている。当事者は無意識だとしても、そこにはこれまでになかった意識があり、そこにコスプレ独特の快感の装置があるのではないか。また、画像の公開やSNSなど、ウェブの普及によってコスプレが広く浸透していった、という点もなるほどと思う。衣装を作り、イベントで人に見せるというリアルな場での行動が、ネットによってさらに普及ということが、あらゆる場面で起こっていることを実感する。
また実際に女装愛好者の執筆者が論ずる女装文化の変化も興味深い。古来はあいまいだった異装と異性装を区別し、異性装だけを変態性欲として罪悪視するようになったのは近代のこと。さらに、性同一性障害という概念が普及してから、性別違和感に「まじめ」に立ち向かっている性同一性障害者と、商売や娯楽で性別越境をしている「ふまじめ」なニューハーフ、女装者、という見方がされるようになったともいう。それが近年、ファッション的に優位に立つ女性が関わるようになって広がりを見せるようになった、など当事者ならでは言及は、説得力がある。
日本のサブカルチャーは確実に進化し、その進化のスピードも早く、垣根も低くなっていることを、あらためて感じる。プールで、タトゥー隠しにガムテープをぐるぐる巻いている女の子や、「テニスの王子様」や「NARUTO(ナルト)」を、萌えの対象としてBL(ボーイズラブ)二次創作で妄想するのではなく、自分がコスプレしてキャラになりきる、といった姿をコスプレサイトで見たりすると、もうなにがなんだかとは思いつつ、彼女たちはさまざまな方向に解放され、自由になっているのだろうと思う。
引きこもったりメンヘルになったりする若者も多いけれど、今の日本には結構面白い若者メディアも文化も次々生まれ、絶望する前に何かが見つけられるのでは、という話を先日したばかりなのだが、本書のような昨今のサブカルチャーの広がりを見ると確かにそう思う。
一方、件のコスプレ好きの女子高生は、親が「そんな日本の文化に染まっては困る、インターナショナルに育てたい」と、イギリスの学校に留学させた、と聞いた。日本からコスプレ好きの子が来たといったら、向こうのOTAKU(オタク)にリスペクトされて、逆にはずみがつくのでは、と思うのだが、やはりサブカル認知度は未だ低いようである。日本社会、グローバル、家庭、さまざまな場に、サブカルチャーがどのように波及していくのか、というのも興味深い点である。
フリーエディター・神谷巻尾
コスプレは解放する装置か?!
「思い出した本」と「読みたくなった本」
●読みたくなった本(見たくなったDVD)
『女装と日本人』三橋順子(講談社現代新書)
『イレズミの世界』山本芳美(河出書房新社)
『「見た目」依存の時代』井上政之・石田かおり(原書房)
●思い出した本
『ストリートファッション1945-1995』アクロス編集室(パルコ出版)
『増補サブカルチャー神話解体』宮台真司他(ちくま文庫)
『ウェブ社会の思想』鈴木謙介(NHKブックス)
『女装と日本人』三橋順子(講談社現代新書)
『イレズミの世界』山本芳美(河出書房新社)
『「見た目」依存の時代』井上政之・石田かおり(原書房)
●思い出した本
『ストリートファッション1945-1995』アクロス編集室(パルコ出版)
『増補サブカルチャー神話解体』宮台真司他(ちくま文庫)
『ウェブ社会の思想』鈴木謙介(NHKブックス)
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