東北コットンプロジェクト パート1
2011.09.04
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東北コットンプロジェクト パート1

「復興」を契機に産業を通じてのスキームの蓄積やアイデア、個人レベルの意識や行動につながり、それが復興の枠を超え「産業」の創出にまでつながる、まさに“Community of Practice”!

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「支援というなら大きなプロジェクトにした方がいい。将来のビジネスにつなげる、サスティナブルな活動に」とファーストアクションを起こしたリー・ジャパンの取締役/ディレクターの細川秀和さん。
POC(プレオーガニックコットン)の推進活動してきたクルックの江良慶介さん。
「綿花畑が塩害に強いということをお話したことから、まさかこんなに大きなプロジェクトになるとは思っていませんでした」と話す大正紡績の取締役近藤さん。
11月にはこのようにコットンボールが弾けて収穫祭をする予定だ。
震災から半年を迎え、少しずつ日常を取り戻してきたかにも見えるが、被災地の生活や産業の復興は、未だ先が見えない。誰もが想定していない状況からは、しかしこれまでとは違う発想の活動が生まれている。

「東北コットンプロジェクト」は、津波被害を受け稲作ができなくなった農地を、塩害に強い「綿」に転作することで、農業再生、雇用創出を目指す、というプロジェクトである。被災地の農業生産組合・農業法人とアパレル関連企業16社が共同で、綿の栽培から紡績・商品化・販売までを一環して展開する、という計画である。すでにこの6月に、仙台市若林区荒浜と名取市の2ヵ所、計1.6ヘクタールに綿の種をまき、試験栽培を開始している。震災からわずか3ヶ月という早いスピードで、多くの企業や生産者を巻き込み進み始めたこの事業は、どのように立ち上がったのか。プロジェクト推進の中心となった、リー・ジャパン株式会社細川秀和氏株式会社クルックの江良慶介氏に話を聞いた。


今回のプロジェクトは、両社が震災以前から行ってきた事業に大きく関わっていた。リーはジーンズのトップブランドだが、2006年から国内製造のジーンズのうち、半数にオーガニックコットンを使用する、という計画を進めている。実は、ジーンズというのは「かなり環境負荷の高い商品」とのこと。染料であるインディゴは、天然ではなく合成された化学薬品で、最近主流のユーズド加工は、染めた後にさらに薬品で洗って色落ちさせる、という工程をとるそうだ。製造段階で薬品も水も大量に使ってしまうため、使う素材に関しては、オーガニックなものにしていきたいということで、この計画が始まった。 

一方クルックは、音楽プロデューサーの小林武史氏と、Mr.Childrenの櫻井和寿氏らが設立した「ap bank」の活動の一環として、「快適で環境にもよい未来に向けた暮らし」を考える事業を担う会社である。コンサートグッズの素材に環境によいオーガニックコットンを使えないか、と検討したことをきっかけに、2007年から伊藤忠商事とともに「プレオーガニックコットン(POC)プログラム」を開始させた。

「オーガニックコットン」は、3年間農薬を使わずに栽培して、はじめて国際機関に認証され、買い取り価格が通常の綿の1.5〜1.7倍程度になる。だが、移行期の1〜2年目は害虫被害や栄養不良で収穫も下がるのに普通のコットン扱いで農家の収入は下がってしまう。それならその期間のものをPOCとして、オーガニックコットンと同じ価格で買い取る、というのがこのプログラムだ。

「現在1000農家をサポート。4000農家くらいからサポートしてほしいという声がある」(クルック・江良さん)というように、生産地インドでは脱農薬の動きが進んでおり、販売先の開拓を進めている。

両社は、POCを素材に、ユーズド加工をインクジェットで再現するという「Lee/kurkku」という新しいデニムブランドを開発するなど、オーガニックコットンを媒介として結びつきを強めていたが、震災復興支援でさらに活動を共有することとなったのである。

「東北コットンプロジェクト」始動のきっかけは、5月10日に行われた「コットンCSRサミット」だった。これはコットンの生産地が抱える貧困や児童労働、農薬の被害などの課題を解決するために、コットンを取り扱う企業NGOが集まって今年初めて開催されたイベントである。

その場で出た、「綿は塩害に強い。津波被害にあった地域にまいてもらうため種を送っている」という大正紡績・近藤氏の話が、両社をはじめ多くのアパレル関係者の共感を呼び、リーの細川氏は、「支援というならもっと大きなプロジェクトにした方がいい。将来のビジネスにつなげる、サスティナブルな活動に」と、翌日に全農に話を持ちかけ、生産側の協力者を探すことに。一方、クルックは、コットンに対する意識の高い、POC売り先のルートに賛同を求めるなど、素早い行動に出たのである。まだ、瓦礫や塩害で作付け不可能、用水路も崩壊していた仙台市若林区荒浜地区で生産者に綿栽培を提案。販売先とは通常の3〜4倍の価格での買取などを交渉し、計画がスタートした。

そして6月には契約農地で綿の種まき。コットンCSRサミットからわずか約1ヶ月後のことである。種まきも、その後の草取りも、生産者はじめ参加企業の社員などに呼びかけ、自分たちの手で行った。順調にいけば11月に収穫となり、糸になるまでに2ヶ月、生地に2ヶ月、製品化2ヶ月で、来年のゴールデンウィークには「東北コットン」商品の販売をめざしている。

もちろんこれは試験的な試みで、継続的な産地になっていく、という構図はまだ未知のものでもある。日本で流通する綿の99.99%が輸入で、そもそも綿生産に関する規格、行政のサポート、補助金など何もない。生産が行われてこなかったので、収穫や加工に使う農機具や工場もなく、そのコストがかかる。そもそも日本の気候的に綿が適しているかどうかは作ってみないとわからない、と、課題は多い。

だが、「農家さんが5年10年採算を取れないと意味がない。農家も作ると言っている。紡績は糸にする準備はある。メーカーとしてがんばって商品を作り売っていく。それを国や行政がつなげるしくみができれば、いずれ東北が綿の産地として、日本の産業を担うということが成り立つのではないか」(細川さん)という言葉は頼もしい。

「復興」を契機に産業を通じてのスキームの蓄積やアイデア、個人レベルの意識や行動につながり、それが復興の枠を超え「産業」の創出にまでつながるということに、感銘を受けた。その根底にあるのが、オーガニックであり、持続可能、地産地消などの概念であるということもまた、今求められているものの正しい方向性を実感する。

取材の数日後、9月2日(金)に、同プロジェクトによる綿が初めて花を咲かせることをきっかけに、「荒浜 ワタの花見会」が行われた。生産者、関係者、地域の人々の交流をめざしたこの会には、午前中の草取りから約100名が参加。協賛企業やボランティア、県や市、農協、テレビ・新聞などのメディアも多数集まり、大変な盛り上がりを見せていた。同プロジェクトに、多くの人々が引き寄せられ、何かが生まれ、そして大きくなっていく予感を、この日確かに感じた。詳細は追って報告します。

[取材/文:神谷巻尾(フリーエディター)]


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