近年、InstagramをはじめとするSNSが普及したことにより、これまでファッションとはおよそ無縁だった地域、あるいは “都市部の隙間”のような場所にショップが増えている。渋谷のファイヤー通りに面する雑居ビル「ダイネス壱番館」の一室に店を構える古着屋「初流乃(ハルノ)」も、そんなショップのひとつだ。
同店を知ったのは、2016年3月のこと。東京ファッションウィークの会期中に、東京ミッドの「ISETAN SALONE(イセタンサローネ)」にポップアップで出店していた某ブランドのスタッフに「渋谷におもしろい古着屋がある」と教えてもらったのがきっかけだった。
それから約1年が過ぎ、定点観測でも古着ブームが一般化しつつあるいま、比較的最近、渋谷に新しくオープンした古着店についてあらためて調べてみることにした。
「服に本気で向き合っている人たちがつくり出したものを紹介したかったんです」と話すのは、同店のオーナー山崎良太さん。
「服が好きかどうかも分からないような人がビジネスでつくり出したストリートの流行への反骨精神じゃないですが、そういう流行に乗ってみんな一緒の格好をするんじゃなくて、自分の目でものを見て、感性を鍛えた方が楽しいと思うんです。おおげさに聞こえるかもしれないけど、服で感動できますし、衝撃で生き方も変わるんです」(山崎さん)。
それから約1年が過ぎ、定点観測でも古着ブームが一般化しつつあるいま、比較的最近、渋谷に新しくオープンした古着店についてあらためて調べてみることにした。
「服に本気で向き合っている人たちがつくり出したものを紹介したかったんです」と話すのは、同店のオーナー山崎良太さん。
「服が好きかどうかも分からないような人がビジネスでつくり出したストリートの流行への反骨精神じゃないですが、そういう流行に乗ってみんな一緒の格好をするんじゃなくて、自分の目でものを見て、感性を鍛えた方が楽しいと思うんです。おおげさに聞こえるかもしれないけど、服で感動できますし、衝撃で生き方も変わるんです」(山崎さん)。
山崎さんは奈良県出身の38歳。芸大(短期)のファッション科を卒業後、ストリートブランドのプレスや、大阪の古着屋で販売員を経験し、27歳のときに上京。渋谷の老舗古着屋「NUDE TRUMP(ヌードトランプ)」に就職し、バイヤー兼店長として6年勤務した後、2014年に独立。すぐに「初流乃」をオープンした。
オープン時から現在まで、一貫して山崎さんが大事にしているのは、他の店に置かれていないもの、かっこいいのに見向きもされていないようなものを人々に知ってもらい、次の世代のために残していかなければいけないという思いだ。
「ぼくはいままでその恩恵を受けてきたので、お返ししたいという気持ちですね。次の世代に伝えていくのが、自分の宿命だと思っています」(山崎さん)
店内は、約7割が80年代以降のブランド古着で、山崎さん自身がデザインするブランド「アンチ」が約3割。ブランド古着はCOMME des GARÇONSを中心に、WL&TやDirk Bikkembergsといったアントワープ系ブランドをはじめ、VersaceやDolce&Gabbanaといったイタリア系のブランドや、Hussein Chalayan、John Gallianoといったイギリス系のブランドなど、80〜00年代に一世を風靡したデザイナーズブランドが並ぶ。なかにはガリアーノが無名時代に手売りしていたというジャケットなど、マニア垂涎のアイテムも。
「ぼくはいままでその恩恵を受けてきたので、お返ししたいという気持ちですね。次の世代に伝えていくのが、自分の宿命だと思っています」(山崎さん)
店内は、約7割が80年代以降のブランド古着で、山崎さん自身がデザインするブランド「アンチ」が約3割。ブランド古着はCOMME des GARÇONSを中心に、WL&TやDirk Bikkembergsといったアントワープ系ブランドをはじめ、VersaceやDolce&Gabbanaといったイタリア系のブランドや、Hussein Chalayan、John Gallianoといったイギリス系のブランドなど、80〜00年代に一世を風靡したデザイナーズブランドが並ぶ。なかにはガリアーノが無名時代に手売りしていたというジャケットなど、マニア垂涎のアイテムも。
一方「アンチ」は、店のオープンと同時に山崎さんが始めたブランドで、大量生産・大量消費に対するアンチテーゼという意味を込めて命名したという。スウェットやスカジャンなど、古着を解体してつなぎ合わせたリメイクものや、無数の安全ピンや缶ビールのプルタブなどを全て山崎さんが1人で縫い付けたというものなど基本的に1点ものばかり。古着を集めて店で売るのも山崎さんなりの世間に対する反骨だが、同ブランドの活動はそれ以上に直接的な反骨精神の発露だと山崎さんは話す。
また、服だけでなく、「ファッションを伝える」ための手段として、店内には大きな本棚があり、いろんなブランドのアートブックをはじめ、『i-D』などの海外カルチャー誌、『FRUiTS』『STREET』『ジャップ』など、メッセージ性が強い80〜90年代の雑誌や書籍が揃う。これらの雑誌を手に取ることで、店内のそれぞれの服がつくり出された時代背景やブランドの世界観も感じることができる。ときには20年前の雑誌でスタイリングに使用された服とまったく同じ服が売られていることも!貴重な服を美術館のように展示するというのではなく、手に取りやすい古着価格で売るというのが同店のスタイルだ。
客層は山崎さんと同世代の30代がメインだそうだが、最近は文化学園などのファッション専門学校生を中心した10代〜20代の若い人が増えてきたという。
「オープン当初に比べると、最近はおもしろいものを探している子が増えたなと思いますね。そういう子たちに『こういうブランドがあったんだよ』っていう話を絶対にするんです。そういう話をおもしろがっているようで、目を輝かせて聴いてくるんです」(山崎さん)。
そういう学生さんはもとより、現役のデザイナーや古着のコレクター、古着屋の店員など、訪れるのは“極端な服好き”が多いため、1人あたりのお店での滞在時間は約1時間と長い。
「今後は、古着屋としてだけでなく、「アンチ」の活動をさらに広く知ってもらうことでしょうか」と山崎さん。昨年12月には中目黒の「Gallery JIB」で開催された「パンクな茶会」に衣装や掛け軸を提供したり、今年2月には京都大丸で「アンチ」のポップアップストアを開催するなど、これまでの顧客とは異なる層にも作品を見てもらう機会を増やしていく予定だそうだ。アングラ感のあるビルの一室に軸足を置きつつも、より多くの人々に山崎さんの思い描くファッション観を伝える4年目になりそうだ。
「オープン当初に比べると、最近はおもしろいものを探している子が増えたなと思いますね。そういう子たちに『こういうブランドがあったんだよ』っていう話を絶対にするんです。そういう話をおもしろがっているようで、目を輝かせて聴いてくるんです」(山崎さん)。
そういう学生さんはもとより、現役のデザイナーや古着のコレクター、古着屋の店員など、訪れるのは“極端な服好き”が多いため、1人あたりのお店での滞在時間は約1時間と長い。
「今後は、古着屋としてだけでなく、「アンチ」の活動をさらに広く知ってもらうことでしょうか」と山崎さん。昨年12月には中目黒の「Gallery JIB」で開催された「パンクな茶会」に衣装や掛け軸を提供したり、今年2月には京都大丸で「アンチ」のポップアップストアを開催するなど、これまでの顧客とは異なる層にも作品を見てもらう機会を増やしていく予定だそうだ。アングラ感のあるビルの一室に軸足を置きつつも、より多くの人々に山崎さんの思い描くファッション観を伝える4年目になりそうだ。
【渋谷との関係性について】
オープンから3年が経ち、順調に推移している同店だが、“渋谷の雑居ビルの一室”で営業するというスタンスはこれからも変えるつもりはないという。
「RAIN(レイン)」や「BIBA(ビバ)」など、山崎さんの青春時代に大阪でブームだったアンダーグラウンドな古着屋が、家賃の高い路面店で大きく展開するのではなく、雑居ビルの一角に店を構えるそのスタイルに憧れ、「“怪しいビルをあがっていったらピンクの空間でとんでもないものが売られている”という店にしました」と山崎さんは話す。
アンダーグラウンドな雰囲気の店にするには、渋谷が山崎さんにとって最も理想的な街だったという。
「ものすごくいろんな人種がいるのが渋谷がおもしろい理由です。そこまで“ファッションファッション”している人がいないっていうのかな。原宿だとカルチャーができあがっていて、“原宿っぽい人”がたくさんいる。そういうところで店をやると、どうしてもファッションっぽくなりすぎてしまうので」(山崎さん)。
渋谷は巨大なターミナル駅であり、巨大な歓楽街だ。だからこそ、何かしらファッション的なものを求める人々が集まる原宿や代官山などに比べて、より多様な人々がいる。ファッションという点でも、109やマルイ、そして現在は建替えのため休業中だがパルコなどのファッションビル、東急と西武の両百貨店、神南の古着屋やセレクトショップ、道玄坂のクラブやライブハウスなど、あらゆるファッショントライブが集うスポットを数多く擁する街であり、同じターミナル駅の新宿や池袋に比べてファッションの幅が広い。異種混淆性が高く、フラットな渋谷という街だからこそ、同店の個性がより際立ってみえるのかもしれない。
オープンから3年が経ち、順調に推移している同店だが、“渋谷の雑居ビルの一室”で営業するというスタンスはこれからも変えるつもりはないという。
「RAIN(レイン)」や「BIBA(ビバ)」など、山崎さんの青春時代に大阪でブームだったアンダーグラウンドな古着屋が、家賃の高い路面店で大きく展開するのではなく、雑居ビルの一角に店を構えるそのスタイルに憧れ、「“怪しいビルをあがっていったらピンクの空間でとんでもないものが売られている”という店にしました」と山崎さんは話す。
アンダーグラウンドな雰囲気の店にするには、渋谷が山崎さんにとって最も理想的な街だったという。
「ものすごくいろんな人種がいるのが渋谷がおもしろい理由です。そこまで“ファッションファッション”している人がいないっていうのかな。原宿だとカルチャーができあがっていて、“原宿っぽい人”がたくさんいる。そういうところで店をやると、どうしてもファッションっぽくなりすぎてしまうので」(山崎さん)。
渋谷は巨大なターミナル駅であり、巨大な歓楽街だ。だからこそ、何かしらファッション的なものを求める人々が集まる原宿や代官山などに比べて、より多様な人々がいる。ファッションという点でも、109やマルイ、そして現在は建替えのため休業中だがパルコなどのファッションビル、東急と西武の両百貨店、神南の古着屋やセレクトショップ、道玄坂のクラブやライブハウスなど、あらゆるファッショントライブが集うスポットを数多く擁する街であり、同じターミナル駅の新宿や池袋に比べてファッションの幅が広い。異種混淆性が高く、フラットな渋谷という街だからこそ、同店の個性がより際立ってみえるのかもしれない。
ちなみに渋谷は現在、駅周辺と公園通り上で大規模再開発の工事が進行中だが、「渋谷の街がさらに整備され、駅前の利便性が高まれば、駅から少し離れたうちの店との対比がより鮮明になって、アンダーグラウンド感が強調されるので歓迎です」と山崎さん。熱い反骨精神を持ちながらも、冷静に渋谷の変化を見据えているのが印象的だった。
取材・文/大西智裕(『ACROSS』編集部)
取材・文/大西智裕(『ACROSS』編集部)