レオス・カラックス監督の衝撃のラブストーリー『ポンヌフの恋人』(92年27週上映、興収1億4千万円)、ダニー・ボイル監督の青春映画『トレインスポッティング』、(96年33週上映、2億3千万円)、ウォン・カーウァイ監督が男たちの愛を描いた『ブエノスアイレス』(97年26週上映、1億5千万円)、インド映画ブームの火付け役となった『ムトゥ踊るマハラジャ』(98年23週上映、2億円)など斬新な感覚の話題作を連発して、渋谷の最先端の映画の発信地となった。
特に96年の『トレインスポッティング』は当時の宇田川町のちょっとすさんだ雰囲気とスコットランドのジャンキーたちの青春像が重なることで、渋谷のミニシアターの興行記録を塗り替え、社会現象的な大ヒットとなった。さらにブラーやアンダーワールド等、90年代のUKポップ満載の映画のサントラ盤もロングセラーとなり、タワーレコードやHMVなど渋谷のレコード店でも売れまくった。21世紀以後は『ブエナビスタ・ソシアルクラブ』(00年25週上映、1億8千万円)の公開で埋もれていたキューバの老ミュージシャンに注目が集まり、さらにこの劇場の歴代興行記録1位となった『アメリ』(01年35週上映、2億8千万円)はフランスのスイーツ、クレーム・ブリュレを世間に広める役割も果たした。
また、ガス・ヴァン・サント、トッド・ヘインズ、クエンティン・タランティーノ、ペドロ・アルモドヴァル、ソフィア・コッポラなど、その後、大きく羽ばたくことになる才能も発掘した。
93年にかけられたタランティーノのデビュー作『レザボワ・ドッグス』の場合、当時の興行成績は今ひとつだったが、その後、彼はアメリカ映画界を代表する人気監督となり、来日の際、ライズの近くにあるルノアールのケーキを買って、デビュー作をかけてくれたこの劇場に挨拶に来たという。かつて雑誌『ダ・ヴィンチ』で「2番煎じはやっていない、という自信はある」と答えたこともある頼さんだ。
そんな中で頼さんのパートナーの頼香苗さん(泰和興行専務)が特に忘れがたい映画人してあげたのが『ガンモ』(98年上映)のハーモニー・コリンだ。
「こんな映画は見たことがなく、彼にはすごい才能があると信じました」(香苗さん)。
また、印象的な時代としてあげたのが『ラン・ローラ・ラン』(20週上映、1億1千万円)と『π』(レイトショー、20週上映)が大ヒットしていた99年の夏。
「その頃、隣のシネクイントでは『バッファロー66』、シネセゾン渋谷では『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』も大当たり。入れ替えの時、うちやクイントのお客様が重なり合うようにどっと出てくるという光景が、夜な夜な続き、渋谷以外ではああいうことはなかったはずです」と香苗さんが当時を振り返った。
ストリートの活気あふれる90年代の作品が若い観客を集めることで、不思議な熱が生まれていた。