ニューヨーク市内で新しいホテルのオープンが相次いでいる。
2015年時点で市内には696件のホテル (107,000室) が営業していたとされているが、その後新規オープンが続き、2017年10月時点では、ホテル数はおよそ785件、 部屋数は115,000室に達したと考えられている。
1年半ぶりの起稿。テーマは“HOTELと都市“です。日本でも異業種からの参入が増え、新しい展開をみせていますが、NYでは? データとともに解析します。
ブルックリンはというと、ダウンタウンやウィリアムズバーグからグリーンポイントにかけて、そしてクイーンズではロング・アイランド・シティのほかにジャマイカでもホテルがオープンしている。
ロング・アイランド・シティは、マンハッタンのミッドタウンまでイースト・リバーを超えてすぐの場所にあり、マンハッタンよりも手頃な宿泊料金に設定されている。さらには部屋から川の向こうにマンハッタンの眺めを楽しむことができる。マンハッタンに滞在していたら目にすることができない贅沢だ。JFK空港行きのエアトレインが発着するジャマイカは、空港と市街地との両方へのアクセスの良さからホテルができているようだ。
ホテル数が急速に増えていることから、ニューヨークのホテル需給は緩和すると予想されている。激化する競争に生き残るためのカギは、差別化にあるようだ。
ニューヨーク市シティ・プランニングのレポートによると、市内のホテルの部屋数のおよそ38%は独立系のホテルだという。チェルシーにあるハイライン・ホテル (http://thehighlinehotel.com/)、ミッドタウンのルーズヴェルト・ホテル (http://www.theroosevelthotel.com/)、ロジャー・スミス (https://www.rogersmith.com)、ブルックリンのウィリアムズバーグのウィリアム・ヴェイル (https://www.thewilliamvale.com/) などが独立系に相当する。
これらのホテルは全国展開する大手ブランドとは提携していない。戦略的な選択だ。
市内に43,600室あるとされる独立系ホテルの部屋のうち、49%は広義のハイエンドに属し、エコノミーのセグメントに相当する部屋数はその28%にすぎない。独立系のホテルがハイエンドをターゲットとしていて、独立系であること (大手ブランドの一部ではないこと) を高付加価値化に利用していることがわかる。実際に、大手を避けて、独立系のホテルでの宿泊を選ぶ人は増えている。
独立系のホテルは、マンハッタンではダウンタウン、ブルックリンの一部、クイーンズのロング・アイランド・シティなどでオープンしている。典型的な観光地ではない場所の選定がその価値の欠かせない一部であり、ハイエンドのイメージとロケーションが分かちがたく結びついていることがわかる。ロケーションはそのブランドの一部といってもいい。
パリをよく訪れるアメリカ人の友人が、パリのコーヒーときたらひどいもので、何を飲んでいるのかわかったものじゃないとこぼしている。たしかにパリは美味しいコーヒーで知られるところではなく、特に欧州の南の国々から訪れる人たちは、パリのコーヒーは飲めたものではないと決まって不満を漏らすことになるのだが、それにしても他所のコーヒーにケチをつけるようにまでなったとは、アメリカのコーヒーは信じられない飛躍を遂げたものだ。 東海岸ではまだ温い泥水のようなものをコーヒーと呼んでいた1990年代半ばのある冬に、気まぐれで立ち寄ったシアトルのあちこちにはエスプレッソ店が並んでいて、しかもどの店も美味しいことに驚いたことがあった。川が凍る厳冬の大学街から訪れたシアトルは拍子抜けするほど暖かく、それでもあの鈍重の空から足下を惨めにする小雨が降っていたけれど、シアトルはアメリカらしくなくずいぶんコーヒー偏差値が高いところなのだなとすっかり印象を良くしたのだった。いまにして思えば、スターバックスがシアトルから本格的な全国展開に乗り出した頃になる。 スターバックスの躍進のおかげで、アメリカのコーヒーの平均値が引き上げられたことに疑いはない。コーヒーの味は大きく改善した。それならコーヒーにまつわる文化面はどうだろう。パリのコーヒーは冴えなくとも、パリには優れたカフェ文化がある。 それに比類するものをアメリカに求めるとすると、サード・プレイスということになるのかもしれない。ひと頃話題になった言葉だけれど、流行りは過ぎ去ったようだから、そろそろあらためて考えてみるのにはいい頃だ。それは昨今のコーヒーショップについて、どんなことを教えてくれるだろう。 スターバックス大成長の立役者であり、辣腕で知られた元CEOのハワード ・シュルツは、同社をサード・プレイスとして熱心に売り込んだことでも知られている。スターバックスが生み出したのはコーヒー商品ではなく、サード・プレイスをつくりたのだと言ったこともあった。 経営者としてのシュルツの手腕についてはビジネス方面に任せておいて、ここでの関心は場所としてのコーヒーショップである。 サード・プレイスという言葉をスターバックス経由で知った人は少なくないらしく、そのためか、それがシュルツの発案だと思っている人もいるらしいけれど、それは社会学者のレイ・オルデンバーグが考えたもので、サード・プレイス論を展開した1989年のオルデンバーグの著書The Great Good Place: Cafés, Coffee Shops, Bookstores, Bars, Hair Salons, and Other Hangouts at the Heart of a Communityの一部がフランスのカフェに割かれて検討されていることをシュルツが大いに気に入り、同社のマーケティングに取り入れたというのがそのいきさつになる。 自宅 (第一の場所) でもなく、仕事場 (第二の場所) でもない、「第三の場所」。それがスターバックスなのだとシュルツは主張した。その規定の仕方はいかにも明快で、それゆえ多くの人たちに響いたのかもしれないが、オルデンバーグの本を読むと、それがサード・プレイス概念のほんの一面にすぎず、実際のサード・プレイスは単純にみえて一筋縄ではなく、機微と矛盾に満ちた、それゆえ豊かな場所であることが、さまざまな角度から吟味されていることがわかる。 そのオルデンバーグのサード・プレイスの考え方を手っ取り早く知るためには、いくらか皮肉なことかもしれないが、スターバックスとの対比をみてみるのがいい。 テンプル大学のブライアント・サイモンは、サード・プレイスの観点からスターバックスをどのように評価するのかとオルデンバーグに尋ねたことがある。それに答えて、スターバックスはいいこともしていることをオルデンバーグは認めつつも、同社のコーヒーショップはサード・プレイスの部分的実践であり、模造だという評価を下している。 その場所がどんなところであるのかを知るには、人がその場所をどのように利用しているのかを見てみるといい。サイモンはスターバックス店内で人が何をしているのかを観察し、そこにはたしかにいろいろな人たちが集まってはいるかもしれないが、セカンド・プレイスとして利用している人が多く、一人でスクリーンに向かっている人も多いことに気づく。典型的なサード・プレイスである近所のダイナー (食堂) に集まり、おしゃべりに興じる人たちとは異なる人たちなのだ。 スターバックスは独りでいるのに優しい場所をつくった。もちろん一人客が悪いというわけではない。その需要も少なくないだろうが、オルデンバーグのいうサード・プレイスからみると、そこには大きな疑問符が付されることになる。というのも彼にとってのサード・プレイスは、なによりも人と人が話しをするところ、特に知らない人と話しをする場所のことであるからだ。 ことさらシュルツが二枚舌を操ったというのではない。シュルツの理解はオルデンバーグのものとは異なっていたようだけれど、それでも彼流のサード・プレイスを信じていたようだし、その初期にはゆったりとした椅子に深々と腰掛けて店内に長居できるようにしたり、また一時期はホームレスの人たちを店内に招いていたことがあったのも事実である。 それにシュルツ自身は人と話しをする場所を意図していたものの、それにもかかわらず、人はその意図を裏切る使い方をしたのかもしれない。もしそうだとしたら、その方がずっと興味深いことなのだ。 サイモンとの会話で、サード・プレイスを構成する要素として、店主が大事であることをオルデンバーグは指摘している。ここでいう店主は、カウンターの向こうで立ち働く人たちのことだ。コーヒーショップではないけれど、マンハッタンのダウンダウンにある、よく行く馴染みのバーをひとつの例としてみてみよう。 その店は曜日によってカウンターの向こうに立つ人が変わる。月曜の早い時間はタイラーで、火曜日はジョンの日、木曜日の遅い時間はダンといった具合に、曜日と時間帯によって、かかる音楽も客層も雰囲気さえも少しずつ変わることになる。もちろん同じ店である。そのわずかな違いを言葉で説明するのは難しいけれど、たとえばジョンとダンは共にフレンドリーではあるものの、同時に対照的な性格の持ち主でもあり、話し方も、オーダーのとり方も、人との接し方も距離感も、冗談の種類も異なる。二人は別々の人なのだから、違っているのは当たり前ではあるけれど。 店としても「火曜日はこういう感じにしよう」と思ってそれに相応しい人を雇い、運営しているわけではない。ジョンがやっているから火曜日はいわばジョン流で、木曜深夜はダンだからそうなっているわけで、もしジョンが辞めたら別の人が火曜日の人になり、それによって火曜日の店はまた少し違ってくることになる。 特にバーのような場所なら、カウンターの向こうに立つ人が変われば違う店のようになるのは当然のことだろう。考えてもみればいい。誰が立っても変わらないような店だとしたら、それはずいぶんつまらない場所である。そんなバーに座ったところで、じっと黙ってビールを飲むくらいしかすることはないはずだ。人はビールのためにバーに行くわけではないのだ。 コーヒーショップやバーで働くたちは、その時、その場で、実に多くの判断をしている。バーをとり仕切るのは大変なスキルであるし、その人たちの好みやクセを含めて、そこで働く人たちに多くを依存している。 どんな人たちが客としてやってくるのかも、その店の性格を大きく左右する。店側で選別するようなことをしなくても、不思議と広い意味で似たような人たちが同じ店に集まるものだ。客はその店の性格を築く上で欠かせない役割を果たしていて、ある意味では、その店で働く人たちよりもその貢献度は大きいといえるかもしれない。店主と客のやりとりからその店は成り立ち、そこで初めて「場所」になる。あらゆる場所は、その多くを、店主であれ客であれ、そこにいる人たちに負っている。 サード・プレイスは店主が意図した通りになるものではないし、むしろその収まりきらないところにこそ面白味があり、そこを豊かな場所にしている。それは一貫して非一貫性を貫くことといえるかもしれない。 そうした厄介でもあり面白くもある機微を覆い隠したうえで、サード・プレイスを自宅でも仕事場でもない場所と大幅に単純化して、小綺麗に仕立てあげたところが、シュルツのビジネス・パーソンらしい持ち味だったのかもしれない。それに世界中に店舗を展開する大企業になると、ブランドと品質の統制に関する懸念も大きくなるに違いない。 そうした意味でも注目に値するのは、米国書店最大手チェーンのバーンズ・アンド・ノーブルである。2019年に英国からジェイムズ・ドーントを新CEOに迎えて以来、同社はそれぞれの店舗に選書や発注、そしてディスプレイに関する自由裁量を与え、統制とは正反対に思われるやり方で、各店舗を独立書店のように運営しようとしていることから、並々ならぬ注目を集めている。なにしろ店舗によって、ロゴや店名まで変えたりする念の入りようなのだ。 書店もサード・プレイスとされることが多い場所である。ドーント自身ロンドンで独立書店を始めて6店舗にまで拡大したのちに、破綻寸前の英国最大手書店ウォーターストーンズのCEOに就任し、黒字化させた経歴の持ち主だ。巨大チェーン・ビジネスのCEOでありながら、「チェーンのモデルはうまくいかない」と明言する人でもある。 今年の夏には、コロラド州デンヴァーで50年以上地元の人たちに親しまれてきた独立書店のタタード・カヴァー (Tattered Cover) が破産申請し、その書店をバーンズ・アンド・ノーブルが買ったことが話題になった。ローカルの独立書店が米国最大のチェーン書店の傘下に入るというわけで、その後の運営に懸念と注目が寄せられたが、タタード・カヴァーの店舗とチームはそのまま残し、バーンズ・アンド・ノーブルとは別の書店として運営することがあきらかにされている。 ドーントによると、「タタード・カヴァーとはそこで働いている人たちのこと」であり、それが物理的な書店なのだという。書店で働く人たちはおよそ考えられる限り甚だ非商業的な人たちなのだが、ただ、その商業的な部分を気にしなくなると、商業的にうまくいくというのが彼の経験則らしい。 […]
yoshiさん