「日本初のカフェ」といわれている「カフェー・プランタン」や「資生堂パーラー」など、明治より文化人が集まり、日本文化の中心の場であった銀座八丁目。現在も多くの観光客、そして夜になると職場へ足早に向かう盛り髪の女性や仕事帰りのサラリーマンなどで賑わう。
大通りから外れるとギャラリーやクラブなど築年数の長い建物が所狭しと並び、昭和の風景が残る。そんな銀座の街で、若者たちの新しい活動が始まっている。
「銀座金春通り煉瓦遺構の碑」の建つ金春通りに、瓢山会館という雑居ビルがある。尾崎士郎著『人生劇場』の主人公の名前(青成瓢吉)から建物名をつけたとされる。1人が通れるくらいの、一見すると見逃してしまいそうな細い入口の前に、手書きで「カレーライス 目玉焼付」という控え目な看板が出ていた。
その奥の細い階段を上がった4階に「CREATORS SNACK@GIN」はある。銀杏モチーフの扉を開けると80年代風の重厚な内装が現れる。ここは建築事務所「Soi」の大和田栄一郎さんが実験的に運用している一年間限定のスペースだ。
「実験的で即興的な場所です。使いたい人には提供するし、仕事のパートナーとここでお酒を飲みながら打合せをすることもありますよ」(大和田さん)。
建築家である大和田さんはふだん、自身が手がけた「明祥ビル(中央区新川)」を拠点に活動されている。東京都内外にて、地方との連動や地域コミュニティの再編提案などを行う。
今回、瓢山会館にてスタジオを開設したのは、3階にあるカレー屋「ブラン亭」オーナーの佐藤ちえ子さんからの依頼だそう。
今回、瓢山会館にてスタジオを開設したのは、3階にあるカレー屋「ブラン亭」オーナーの佐藤ちえ子さんからの依頼だそう。
「ブラン亭」は元々コリドー街で40年以上営業していた人気店で、ビルの取り壊しのため2017年3月に閉店。移転先を探していたところ、この物件を見つけた。「瓢山会館」という名前に強く惹かれ、3階から5階の屋上までを借りた。元々銀座での知名度も高く、お客の中にも芸術家や作家の多かったブラン亭。新しい拠点でもそういう人達を繋ぐようなことができたら、と考えていた佐藤さんは、明祥ビルでの「Soi」の取り組みに興味を持ち、声をかけた。
「若い人がどんどんおもしろいことをやってくれたらいいなと思って。今度も、屋上でライブペインティングをやってもらったりするし、この辺は元々土地柄なのかそういう人が集まってくるのよね」と佐藤さん。
「若い人がどんどんおもしろいことをやってくれたらいいなと思って。今度も、屋上でライブペインティングをやってもらったりするし、この辺は元々土地柄なのかそういう人が集まってくるのよね」と佐藤さん。
4階の運営を任された大和田さんは、内装はそのまま残し、天井にアンカーを取り付けたり、壁面に展示ができるような下地を加えたり、打合せをしやすいようテーブルの高さを高くするなど、空間を作り替えるのではなく、上書きするような手の入れ方にした。
「お店の名前は、『ギン』と読むことにしています。店名を決める時、看板を変えるのに10万円くらいかかると聞いて、それなら元のお店の名前のままにすればいいんじゃない?という話になって。ちょうどその時、私が銀色にはまっていて(常滑市にある堀口捨己設計の常滑市立陶芸研究所に感銘を受けたそう)、偶然ここの名前も『GIN』だと知って盛り上がって。ここは銀座だし、内装も銀杏モチーフだし、『ギン』でいこうと決めました。ところが、後日、スナックだったときのお客さんが間違えて来店した時に聞いたら、実は『ジン』だったという(笑)」(大和田さん)。
「お店の名前は、『ギン』と読むことにしています。店名を決める時、看板を変えるのに10万円くらいかかると聞いて、それなら元のお店の名前のままにすればいいんじゃない?という話になって。ちょうどその時、私が銀色にはまっていて(常滑市にある堀口捨己設計の常滑市立陶芸研究所に感銘を受けたそう)、偶然ここの名前も『GIN』だと知って盛り上がって。ここは銀座だし、内装も銀杏モチーフだし、『ギン』でいこうと決めました。ところが、後日、スナックだったときのお客さんが間違えて来店した時に聞いたら、実は『ジン』だったという(笑)」(大和田さん)。
内装だけでなく看板なども全てスナックの時のまま(3階のブラン亭のみ新調)だという。いまでも時々スナックだった頃のお客さんが「あれ?やってないの?」と来店することも。
「最初は“お姉ちゃんいないの?”って残念そうな顔されちゃいましたけど、事情を知ると、“ものづくりをする若い人と喋りたい”って言われて、そのままここでお酒だしてしばらくお話しました。そういうおもしろいことが起きるのも、この場所ならではですよね」(大和田さん)。
貸しスペースとしては、ブラン亭のお客さんの音楽ライブや、美大生の展示など。それ以外は大和田さんのアトリエとしてミーティングに利用したり、「明祥ビル」でのイベントを小規模な形で実施したり。特にコンセプトは決めずに自由な場としている。
「最初は“お姉ちゃんいないの?”って残念そうな顔されちゃいましたけど、事情を知ると、“ものづくりをする若い人と喋りたい”って言われて、そのままここでお酒だしてしばらくお話しました。そういうおもしろいことが起きるのも、この場所ならではですよね」(大和田さん)。
貸しスペースとしては、ブラン亭のお客さんの音楽ライブや、美大生の展示など。それ以外は大和田さんのアトリエとしてミーティングに利用したり、「明祥ビル」でのイベントを小規模な形で実施したり。特にコンセプトは決めずに自由な場としている。
「僕はこの場を提供するだけです。このスペースは内装も場所も“おもしろい”のですが、決して使いやすくはない。入口は狭くて搬入などは大変だし、集客が特別しやすいわけでもないですし。でもそれをどうおもしろく使うか、と考えられるクリエイティブな人に使ってもらえたら嬉しいですね」(大和田さん)。
新川の明祥ビルや他の案件でも、大和田さんは“一緒に作り上げていける能動的で構築的な関係”であることを重視しているという。
「明祥ビルでは、建物の運営に関しても定期的に住人の皆さんと話し合っています。例えば、建物の掃除に関しても、業者に頼んでしまうと月々の共益費が上がってしまう。それならば当番制にしようと決めました。問題が起きたらそれをどう変えていくか、何ができるかを一緒に考えていける関係を大事にしたいし、それができる人が “クリエイティブな人”だと思っています」。
新川の明祥ビルや他の案件でも、大和田さんは“一緒に作り上げていける能動的で構築的な関係”であることを重視しているという。
「明祥ビルでは、建物の運営に関しても定期的に住人の皆さんと話し合っています。例えば、建物の掃除に関しても、業者に頼んでしまうと月々の共益費が上がってしまう。それならば当番制にしようと決めました。問題が起きたらそれをどう変えていくか、何ができるかを一緒に考えていける関係を大事にしたいし、それができる人が “クリエイティブな人”だと思っています」。
“問題を創造に変える”。『CREATORS SNACK@GIN』に関しても、“ハザード”はあってはならないが“リスク”はクリエイティブのきっかけとして積極的に受け入れていきたいという大和田さん。このスペースの利用規約も、禁煙や万が一の修繕費など以外は特に設けていない。 スペースを利用する人にとっても、運営する大和田さんにとっても、実験的で即興的、かつ学びの場であることを目指している。
今後の展開については、「即興的に突発的に何か起きる場なので、特にハッキリと決まってはいません(笑)。1年間という期限はありますが、『GIN』ではなくなっても『CREATORS SNACK@ ◯◯』という形で続けていくかもしれませんし、続けないかもしれません。でも、ここで構築した情報空間をまた別の場所で実験して物理空間に落とし込んで、またそれを他の場所で実験して、という風に繋げていきたいです。」とのこと。
今後の展開については、「即興的に突発的に何か起きる場なので、特にハッキリと決まってはいません(笑)。1年間という期限はありますが、『GIN』ではなくなっても『CREATORS SNACK@ ◯◯』という形で続けていくかもしれませんし、続けないかもしれません。でも、ここで構築した情報空間をまた別の場所で実験して物理空間に落とし込んで、またそれを他の場所で実験して、という風に繋げていきたいです。」とのこと。
「銀座の路地裏は、どんどんなくなっています。下で商売して上で住むという商業のまち銀座でした。4階は若い皆さんにガツンと利用していただきたいです」とブラン亭の佐藤さん。
明治や昭和の名残を感じさせる銀座の街並に惹かれ、築年数の長い物件をギャラリーやコワーキングスペースとして利用する動きは後を絶たない。若い人にとっては「おもしろい」、昭和に青春時代を過ごした世代にとっては「懐かしい」と感じる、そんな世代を繋げる自由な空間としても注目されそうだ。
【取材・文:堀坂有紀(『ACROSS』編集部)】
【取材・文:堀坂有紀(『ACROSS』編集部)】