ーーさっそくですが、こちらの「イッテンストア」のオープン日を教えてください。
日高:令和といっしょの2019年5月1日です。狙っていたわけじゃなくて、準備していたら遅れてしまい、ちょうどタイミングもいいから、じゃあこの日にしようっていうことになりました。
——そもそもリサイクルビジネスを始めたきっかけは何だったんですか?
日高:最初は、ある意味お金のためでした。文化服装学院に通っていたころ、ある同級生が、在学中に学費を全て親に返済したんです。フリマで買付けた古着や、自分でカスタムした服をヤフオクで販売する、というのをやっていて。僕も何度も誘われたんですが、フリマでの買付けは朝早起きしなくちゃいけないし、面倒くさいし、って避けてたんです。でも、お金には困っていたし、生活しなくちゃいけないし、と悩んでいた時、『お金ないんだったら、騙されたと思ってとにかく1回やってみ!』って言われて、そこまでいうならと付いていきました。服とか小物とか10,000円分くらい仕入れてヤフオクに出品したら10万円になったんですよ。あれ、生活できるじゃん!っていうのがはじまり。その時に誘ってくれた同級生がいまの会社の共同代表です。
今でいう“古着転売ヤー”です。当時からブランドには詳しかったので、何のハードルもなく続けていった延長に今があるという感じなんです。
ーーファッションの私塾である「ここのがっこう」の同級生には、“若手東京デザイナー”として活躍する現在は奥さんでもあるkotohayokozawaの横澤琴葉さんやPERMINUTEの半澤慶樹さん、KEISUKEYOSHIDAの吉田圭佑さん、RYOUTA MURAKAMIの村上亮太さんらがいらっしゃいますね。みなさんはこのリサイクル事業についてどんなふうに言ってますか?
日高:唯一の理解者は妻だけです(笑)。他のみんなは、『あいつ、いつまでやってるのかな?』って思ってると思いますね、たぶん。
——併行してご自身のブランド、“HIDAKA”は、弊社主催の新進気鋭のデザイナーたちの商品を紹介した展覧会「絶命展」、「絶・絶命展」、「絶命店」、そして2017年4月に池袋パルコのパルコミュージアムで開催された「MEI-TEN」にも出品していただきました。
日高:はい。本格的にブランドHIDAKAをスタートしたのは2017年SSからです。デビューコレクションもシーズンテーマとか設けなくて。リサイクルビジネスで出会うたくさんの古着のひとつひとつのディテールがアイデアソースとなり、「既知への発見」というブランドコンセプトに辿りつきました。
——早い時期から会社組織にしていらっしゃいますが?
日高:23歳の冬だったでしょうか。川越の一軒家を男4人で借りて、リサイクルビジネスの最初の会社を立ち上げました。当時、ちょっと意識高い感じだったので、っていうのは冗談ですが(笑)、リアリティなく、何か新しいことがしたい!という思いが強く、毎日ブレストとかしてました。壁に模造紙貼って。まあ、単にNHKの白熱教室でやってたスタンフォード大学のティナ・シーリグ教授の影響を受ただけなんですが(笑)。その後、いろいろあって、僕らが抜けて、新しく会社を立ち上げたのが2017年12月です。