新型コロナウイルスの流行により大打撃を受けている、エンターテイメント業界。数々のイベントやライブが中止や延期に追い込まれ、キャンセル料やチケット代金の返金などで莫大な損失を被っているアーティストも少なくない。そんなときにいち早くアーティストに手を差し伸べたのが、補助金前払いサービスを行っている「株式会社 PayNOAH(以降ペイノア)」だ。
その内容とは、「新型コロナウイルスによるイベントのキャンセルにかかる費用を、振替イベントを開催するまでの期間、無償で前払いする」というもの。本来はこういった前払いサービスは手数料をとるのが一般的だが、ペイノアは“アーティストを救済する”という観点から無償でサービスを提供。このアーティスト向け緊急支援サービスは、2月26日にローンチされ、Twitterなどで拡散されて多くの人から共感を呼んだ。しかも、アイデアを思いついてから20時間以内にローンチまで取り付けたというから驚きだ。ペイノアCEOの小林 秀さんと、CCOの折茂彰弘さんに詳しい話を聞いた。
「アーティストにいち早く届けたい」。
発案からサービス構築まで20時間
「このサービスをローンチした前日は、人気ダンスグループがドーム規模の公演を当日キャンセルした日だったんです。イベントのキャンセルが立て続けに起きていて、エンタメ業界が全体的に落ち込んでいる雰囲気がありました。そんなときに深夜1時くらいに弊社のメンバーから『ペイノアでアーティストを救済できる試みができないだろうか』という提案が入りまして。そこで『イベント中止で発生した費用の無償での前借りサービス』を思いついたんです。我々は元々ファイナンス面でアーティストをお手伝いさせてもらっていてノウハウもありましたし。アイデアが浮かんでから20時間くらいでプレスリリースとサービス構築まで持っていきました」(小林さん)。
プレスリリースは普通、メディアに拡散してもらうために午前中に出すのが常だが「アーティストにいち早く届けたい」という目的を優先して、サービスを構築してからすぐプレスリリースを出したという。その後、TwitterなどのSNSの拡散経由で1週間くらいでペイノアのサイトの閲覧が20万PVまで広がったと語るのはCCOの折茂さん。「100件程度の問い合わせがありまして、現在はヒアリングフォームの回答待ちの状況です。各々支援の内容について詰めていく予定です」。
自分自身の海外公演がきっかけだった
アーティスト向けの緊急支援で一気に注目を集めたペイノアだが、そのベースには“補助金の前払いサービス”で培ったノウハウがあった。2019年11月に起業したペイノアは、日本から海外で活動したいアーティスト向けの補助金前払いサービスを展開している。「“映像産業振興機構”という団体が出している“J-LOD”という『国内のアーティストクリエイターを海外にローカライズさせる補助金』がありまして。それをメインにした補助金の申請と前払いが主な事業です」(小林さん)。
ちなみにアーティストやクリエイターが獲得できる補助金は何種類か存在する。ただ大抵の補助金は申請する期間が決まっていたり、チャンスも年に数回と少ない。それに比べて、ペイノアがメインで扱っているJ-LODは2週間に1回申請でき、申請をした2週間後にその採択の結果も出る。そして申請をして2週間後に不採択だと分かったら、その日に申請をすればまたチャレンジできるという。
この補助金前払いサービスのきっかけは、小林さん自身のアーティスト活動にあるそう。津軽三味線とロックを組み合わせたバンドのメンバーでもある小林さんだが、バンドを結成してすぐに海外からのオファーがあったのだそうだ。
「そのときに海外に公演に行くための補助金制度を自分で調べ尽くして、自分たちで補助金の申請をしていたんです。それでノウハウが自然と蓄積していきました。ある時に、他のバンドの人からなぜそんなに海外に行けるの?って聞かれたことがありまして。それで補助金制度のことを教えると、大体の人たちは『知らない』か『よくそんなの自分でやるね』 という感じで、そこから彼らの補助金申請のお手伝いを始めたのが今の事業のスタートです」。
ただ、補助金は事業が完全に終わって検査報告をしてからもらえるもの。だから、費用は一旦は自分たちで負担する必要がある。たとえば、ヨーロッパの公演に行くときにどれくらいのお金がかかるのだろうか。
「私のバンドの場合だとバンドメンバーと音響スタッフを合わせると合計で10人くらい。 それで1週間くらいヨーロッパを回ろうとすると費用が300万円近くかかってしまうんです」(小林さん)。
先ほどのJ-LODを使えば費用の最大で3分の2まで補助が出るが、そのお金がもらえるのは日本に帰ってきて検査報告が終わってから。そんな大金をはじめから用意するのはハードルが高く、それゆえに海外公演を諦めるアーティストも多いという。
「もしその補助金が先に出たら、海外に行けるような人たちが増えるはずだと思い、補助金前払いサービスを思いついたんです」(小林さん)。
2019年11月にサービスをスタートしてから、ペイノアには多くのミュージシャンやカメラマン、クリエイターからの問い合わせが相次いでいる。具体的には、アーティストがペイノアに問い合わせるとまず、ヒアリングを実施。それをもとに補助金の申請や清算はペイノアが代行する、という手順。アーティストは面倒な手続きは一切不要で補助金を手にできる。 また海外の大型フェスへの出演に関する相談や現地でのエージェント的な役割を担うこともあるのだそう。
ペイノアだからこそできる”アーティスト目線”のサービス
サービスを立ち上げるときに気を付けたのは“アーティスト目線”だという。
「『我々は補助金の申請代行やってます』なんていう言い方をしたとしてもアーティストには絶対に伝わらない。ペイノアのホームページをご覧いただいていると分かると思うのですが、ポップかつ可能な限り分かりやすいように作りました。たとえば、アーティストが気軽に相談できるように『応募してみる』っていうボタンを設計しています。よくある『問い合わせ』だとちょっとカタいですし、ホームページを見た人が『とりあえず応募してみよう』と思わせるためにディテールまでこだわりました」(折茂さん)。
また、会社名のペイノアにも特別な思いがあると折茂さん。「小林から補助金前払いサービスの内容を聞いたときに、すごいポテンシャルを持ったサービスだなと感じました。ただの前払いサービスではなくて、才能のあるアーティストが世界に羽ばたくことができる素晴らしい事業だと。会社名の“ペイノア”も、アーティストにとって日本から世界に漕ぎ出すための“ノア”の箱舟になって欲しいという思いと、ファイナンス領域をイメージさせる言葉の“ペイ”から来ています」。
さらにペイノアでは、新しいサービスがローンチ予定だという。
「“制作費の前払いサービス”を行う予定です。例えばミュージシャンが『レコーディングをしたい』『PV を作りたい』ときに、その制作費を前払いします。ただその代わりとして、将来決まっている公演収入や、サブスクの音源収入などの“将来発生するであろう売上げの一部”の権利を買い取らせていただきます」(小林さん)。
「これも私の経験から考え出したサービスです。本当に才能あるアーティストなのにお金がないからレコーディングができない、という人がたくさんいる。作品さえ作れば絶対に有名になるはずなのに......。そういうアーティストに資金面で苦労せずに世界に羽ばたいてほしい思いからなのです」。
この新サービスはまだ検討中の段階で、よりアーティストが納得のいくカタチでのローンチを目指している。
「今までは補助金という“もらえるはずがなかったお金”から手数料をいただいていましたが、この新サービスでは“もらえるべき将来のお金”から手数料をいただくことになる。その辺がアーティストからすればどう思うのかを議論を重ねています。まだ検討中ですが、その対価を“保険”で賄うのもアリかと。機材が盗まれたときの保険や地方でツアーをする際の自動車保険、健康保険などをつけてもいいと思っています。多少なりとも手数料いただくからこそ、アーティストたちが安心してもっと大胆なクリエイションが行えるサービスを構築していきたいですね」。
そんなペイノアが目指しているのは、才能あるアーティストが資金面で困らずに自由に制作できる世界。
「最終的にはアーティストやクリエイターたちの才能を与信として、お金を借りられるような世界を目指しています。5年後10年後には、たとえ話ですが、才能のあるお父さんお母さんの子供とか、アーティストのサラブレットみたいな人が、子供でもお金を借りられるとか。そんな世界を目指して動いています」(小林さん)。
アーティストの視点から現場の状況を把握しつつファイナンス面から解決策を模索できるのは同社の強みだ。
新型コロナウイルスの影響による損失を受けたアーティストへの支援策も難しい局面に差し掛かっている。その理由として“先が見えない”ことが大きいという。本来であれば、前払いする料金は延期されたイベントの売上から回収しなければならないが、その延期の日程が決められずにいるアーティストが非常に多いのだそう。
代表の小林さんも自身のバンド ROA(ロア)で、クラウドファンディングを立ち上げ4月12日に無観客配信ライブを実施予定だったが、コロナ対策の影響でやむを得ず配信ライブ 自体が中止・延期に。
刻々と状況が変わるいま、代表の小林さん自身のアーティスト活動が大きなヒントとなる。 才能のあるアーティストたちがより自由にクリエイションを行える世界を目指して、これからも新サービスを展開していく。
【取材/文:すずきおさむし+『ACROSS』編集部】