Creators' Book Review Vol.4:篠田ミルさん/yahyelメンバー・音楽プロデューサー・DJ
レポート
2022.02.14
カルチャー|CULTURE

Creators' Book Review Vol.4:篠田ミルさん/yahyelメンバー・音楽プロデューサー・DJ

さまざまなクリエーターがいま、もしくは過去にどんな本を読んでいるのかを尋ねる連載企画「Creators' Book Review」。4人目はバンドyahyelのメンバーであり、音楽プロデューサー/DJとして活躍する篠田ミルさんです。お気に入りの書店は丸善京都本店だそう。

篠田ミル / Miru Shinoda:
yahyelのメンバーとしてサンプラー/プログラミングを担当する傍ら、プロデューサー/DJとしても活動。多数のアーティストへの楽曲提供やアレンジ、リミックスのほか、ファッションブランドのルックやムービーの音楽まで幅広く手がける。また、プロテストレイヴ、D2021といったイベントの企画・運営を通じて社会問題や政治参加に関するメッセージの発信も積極的に行う。
Instagram: https://www.instagram.com/mirushinoda/
Twitter: https://twitter.com/shinoda_man
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読書という経験を学びによる何らかの自己の成長という目的に還元してしまうのは、あらゆる本を自己啓発本にしてしまうようでどこかさもしさがつきまとう。生きることのあらゆる場面を生産性に奉仕させていく態度はこの時代に順応するためにはもちろん有用なのだが、読書は本来的には、順応とは程遠いところにあるものだと思う。本を読めば読むほど、世界の解像度が高まり、つまりは見えなくてよかったものが見えるようになって、どんどんじめじめとした不幸な人間になっていく。このような読書の効用は歩調を合わせて生きていくことに明らかに支障をきたすものだ。

戦前日本において働かずに本ばかり読んでいる高等遊民たちの存在が社会問題視されたのは、そのような人々が社会主義や無政府主義などに感化され「危険」だからという論理においてであった。読書を通じて外部を想像する力を得ることは社会にとっては危険な行為なのだ。ブラッドペリやオーウェルのような古今東西のディストピアSFを持ち出すまでもなく、秦の始皇帝の時代から本を燃やしてしまうことは人類にとってごくありふれた統治のテクニックだった。
だから毎日できるだけ本を読もうと思う。全国の小学校に鎮座する二宮金次郎になるためではなくて、危険人物になるために。

スタニスワフ・レム,沼野充義/工藤幸雄/長谷見一雄 訳『完全な真空』,国書刊行会,2004/02/16
スタニスワフ・レム,長谷見一雄/沼野充義/西成彦 訳『虚数』, 国書刊行会,1998/02/19

ちょうど生誕百年にあたることもあり、2021年はレムの名前を目にすることが多かった。このポーランドのSF作家の作品群はいまだ色あせることを知らない。

『完全な真空』は実在しない本の書評集という体裁をとったもので、レムの途方もない想像力と博識と悪ふざけが凝縮されている。『完全な真空』それ自体の書評を冒頭に配置することで、『完全な真空』自体が架空の書物であるかのように見せてしまうその茶目っ気よ。


架空の書物というコンセプトは『虚数』においても引き継がれていて、そちらは架空の書物の序文集としてあつらえられている。言語能力を獲得した微生物にまつわる研究書、コンピューターによって書かれた「ビット文学」なるものの文学史、といった架空の書物の序文が収録されている。

近年の思想界における「ポスト・ヒューマン」というトレンドを専門家に怒られてしまいそうな粗雑さでまとめてしまうならば、近代的な主体概念である「人間」を批判して、機械や他の生物も視野
にいれながら人間の特権性を切り崩して主体概念を再考しようということになるが、レムの悪ふざけははるかにはやくその見地に到達していたようだ。

『完全な真空』『虚数』ともに、国書刊行会の〈文学の冒険〉シリーズで出されたものが、マーク・コスタビによる装画を表紙にあしらっていて可愛いのでおすすめ。

国書刊行会
https://www.kokusho.co.jp/np/index.html

ロレイン・ダストン/ピーター・ギャリソン, 瀬戸口明久・岡澤康浩・坂本邦暢・有賀暢迪 訳『客観性』,名古屋大学出版会,2021

「客観的」であるということは正しさの源泉として広く認知されている。客観性なるものは、日々の些細な口論からビジネスマンのパワーポイント資料まで日常生活のいたるところで信仰されている。ハレルヤ客観性。

この書物は「客観性」なるものが科学と結びついていった歴史を取り扱う科学史の研究書だ。客観性が科学史に登場し、科学的であるということとほぼ同義にまでのぼりつめていくのは、19世紀半ばのことで意外と最近なのだ。客観性の歴史を取り扱うことは、それと対をなすものである主観性の歴史を取り扱うことでもある。この書籍の記述は、科学史の研究として一級のものであるだけでなく、日々客観的であることを求められる万人にとって興味深いものであるはずだ。

この本に限らず、いま当たり前だと思っていることの歴史について書かれたものを読むことは、知らないうちに自分に埋め込まれてきた刻印を解き放つ効果をもっていて、読書がもたらす快感をわかりやすい形で示してくれると思う。

名古屋大学出版会『客観性』:https://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-1033-7.html
 

Nick SNICK, Alex Williams, "Inventing the Future: Postcapitalism and a World Without Work",Verso, 2015

Twitterをひらけば誰かが必ず「労働はクソ」とつぶやいている。どれだけ自己啓発本をオーバードーズしても、みんな本当は心の底で思っている。労働はクソなのだ。でも「資本主義の終わりよりも世界の終わりをなんとやら」という近頃流行りの文句にもあるとおり、賃労働に下支えされたこの社会システムが崩壊するシナリオを思い描くのは難しい。

この本はその道筋を描くためのとりあえずの取っ掛かりとなるものだ。本書の主張はいたってシンプルだ。ネオリベ的な世界から脱出するために、左派はテクノロジーの進歩に仮託した大胆なビジョンを打ち出すべきだ。具体的には、フル・オートメーションを実現して、人類を賃労働から解放し、ユニバーサル・ベーシックインカムを要求せよ、と。テクノロジーの進歩に対する素朴な楽観視を内包しているし、議論の進め方も雑なのだけど、それでもとりあえず脱出のビジョンを描きはじめることが今は大事なのだと思う。去年邦訳されたアーロン・バスターニ 『ラグジュアリー・コミュニズム』も本書と主張していることは近い。

VESOBOOKS: ”Inventing the Future; Postcapitalism and a World Without Work”:


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