デザイナーの横澤琴葉さんの親友でフリーランスのエディター・ライター・ディレクターの倉田佳子さんによる「ラブレター」で紹介したい。
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親友でもあるライター・エディターの倉田佳子さんによる「ラブレター」。
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コトハからショー開催をするか悩んでいると話を聞いたのは、たしか去年の冬頃だったと思う。それまでkotohayokozawaとして、ファッションウィークに合わせた枠組みの中でショーやインスタレーション発表はしてきたものの(といっても彼女は枠組みに順応であるわけでもなく、誰に言われたでもなく、常に抗いもがき続けてきたわけだが)、はじめて自主開催を行いたいという話だった。それに開催するなら、業界関係者だけではなく一般の人にもひらけた形でやりたいと。
彼女のバックグラウンドは一貫して、生まれ故郷の名古屋で感じた風景にある。もしかしたら名古屋に限った話ではなく、日本の郊外にも共通するかもしれないが、そこにはショッピングモールやファミレス、少し寂れたアミューズメントパークが立ち並び、週末になれば家族づれで賑わう。けれど、そのちょっとした「贅沢」は資本主義の権力を振りかざず、意気込んで着飾る必要もなく、ある種どこか虚しさすらも感じるパチモンの「ゴージャス」さなのだ。
今回のショー会場に選んだホテル・イースト21のエントランスは、見事にその彼女の原風景を感じさせるようなアイコン ——ファミレス、お寿司屋、スーパー、そして急なヨーロッパ式の噴水広場が並び、「この雰囲気を私ならうまく活かせると思った」という彼女の言葉にしっくりきた。
2000年代に日本で思春期を過ごした世代は、戦後の日本から続く海外のイメージを独自の解釈でインポート&リミックスしてしまう歪なムードから恩恵を受けている。例えば、決して二度と「バブル」はやってくることはないと分かっているのに、「ハッピー」を醸し出すための記号がぐちゃぐちゃにファミレスやチープな素材の建物などが詰め込まれているし、信仰に関係なく祝われる四季折々のイベントごとも然りだ。それらは海外に行けば、実際は存在しないファンタジーでしかないのだが、図らずして唯一無二の価値がついてしまうケースもある。
その代表例が、近年ファッションシーンで再熱した「裏原」だった。そして『FRUiTS』、『TUNE』、『STREET』の存在は、そういった東京のストリートで独自にかたちづくられたスタイルを記録したことで、今もなお国内外から不動の地位を獲得している。それは、今週アナウンスがあった雑誌『THE FACE』の表紙を飾ったシンガーソングライター・Beabadoobeeがフォトグラファーに、『FRUiTS』・『TUNE』・『STREET』の創設者である青木正一を選び、当時のムードをそのまま2022年に昇華していることが証明している。
もちろん 『FRUiTS』、『TUNE』にはいま新たなストリートファッションとして注目されている「Y2K」の源流らしきスタイルも残されている。それらをただ単に後追い的に真似するのでなく、先に一手を打った火付け役として、スタイリスト・Lotta Volkokaを味方につけたmiumiu は、スクールユニフォームを大胆なローライズミニにしてしまうことで中弛みしたファッションシーンにスマッシュヒットを打った。
今回のkotohayokozawaのショーでも、そういったスタイリングは度々出てきたが、それらをただ単に「Y2K」という一過性の言葉で片付けてしまうのは、ナンセンスだろう。なぜなら、36体のスタイリングに使われているアイテムは、これまで7年間にわたり発表してきたコレクションの集大成だからだ。言葉ができる前から、ブレることなくあり続けるkotohayokozawaの等身大の姿なのだ。
アイテムの中には、高校生時代につくった長襦袢や手書きのシャツもミックスされていたが、どれも2022年でも自然とハマっていたのは、スタイリスト・小山田孝司の力がある。彼もコトハと同じく、1990-2000年代の東京のストリートファッションを体験してきてるからこそ、おそらくショーまで言葉少なくファッションを通してふたりの会話は弾んでいったのだと思う。彼らが今までファッションをとおして人と心を通わせてきた体験は、ローライズを「腰パン」にさせ、そこから覗くパンツには油性ペンで書かれた名前が見え、当時流行ったベロを折ったユーズドコンバースが近日オフィシャルコラボレーションする新作シューズとともに登場した。
モデルが歩く横には、強風に煽られるパーティーバルーンがプールの端っこに追いやられている。「盛大に祝うのは自分の性格上恥ずかしくて、お祝いした後の静かな感じを出したかった」と話す姿に、コトハの好きな映画「ブックスマート 卒業前夜のパーティデビュー(以下、ブックスマート)」を思い出したりした。映画では、青春を我慢して勉学に励んだ成績優秀な主人公2人の女子高生が卒業間近に、パーティ三昧だった同級生も同じく優秀な進路を歩むことを知り驚愕し、卒業ラストの弾けた体験を期待して卒業パーティに意気込んで乗り込むのだが、なんだか最高潮なパーティに馴染めないのだ。なぜだろう、みんなが楽しそうにしてるのに。
ショー前日に書いたというコレクションノートの冒頭の言葉は、まさに「ブックスマート」で描かれるような世の中が楽しいと思うものへの懐疑心や違和感のまなざしをむけるコトハの素直さに溢れていたと思う。大人になれば、「まあ、ビジネス上仕方がない」「苦労よりも楽をしたい」「日々が生きれるくらいなら」と違和感に気づいても容易に、なんとなく自分でそれをなかったことにできてしまう。日常に少しずつしわを付けるノイズにもそっと目を瞑って、まあ平和に暮らせればいいかと笑ってしまえる。街を歩くとkotohayokozawaがいかにファンダムに愛されているのか、実際に着られている数の多さからその熱狂は感じ取れるが、コトハは平和な日常に満足することを自分で許さない。許さないというか、ファンダムになにか投げかけたくて、ムズムズしてしまってどうしようもいられないんだと思う。
居ても立っても居られず、時代に一石を投じたくなる果敢な衝動。ファッションデザイナーの然るべき態度だと自分の力で証明してみせたのではないだろうか。
[Yoshiko Kurata]