鈴木さんは1984年、埼玉・大宮の生まれ。服好きの母親のもと、小学生の頃から『アニエス ベー』を着せられていた少年だった。そんな彼が自ら服を買った記憶として挙げたのが、小学6年生の時のこと。
「大宮にいまもある『ホワイトヘッドイーグル』というお店に、『ステューシー』を親と一緒に買いに行きました。今思うと、母親は寛容だったと思います。古着の『ステューシー』のTシャツを小学生で買っていたわけですから」。
実家が酒屋を改装したコンビニだったこともあり、雑誌を自由に見ていたという鈴木少年は、ファッションに関心を持つのも早かった。中学1年生で『NOWHERE』に並んで『アベイシングエイプ』の服を買っていたというから、かなり早熟といえる。
「中高が野田だったので、大宮や柏へもよく行きました。当時から古着も新品の服もよく買っていましたね。今から考えると、ストリートブランドや最新のものは東京で買って、ちょっと変わったものはあえて地元や柏で買ったりして、もうかなりひねくれていました」
高校の時からアパレルで働きたいと思い始めたが、親の意向もあり、4年制の大学に進んだ鈴木さん。1〜2年次で早々に単位を取得し、3〜4年次は原宿のGAPで週5〜6日アルバイトをする生活を送っていた。
「その頃はいろんな格好をしていました。高校のときにヒップホップにハマり、ニトロ(マイクロフォン・アンダーグラウンド)とかの日本語ラップをよく聴いていて、彼らのようなオーバーサイズのアメカジを着ていました。かと思うとモードの服も着たり。あと大学生の時にスケートボードも始めて、サンフランシスコに行ってダウンヒルみたいなこともやっていました。向こうのスケーターって、古着の517穿いて、ちょっとタイトなTシャツ着て、ボサボサの髪にスケートシューズ履いてるみたいな感じで、日本にまったくいないスタイルだったんです。それにも影響されましたね」。