スタバ・スタディーズ
〜「スタバらしさ」をめぐる消費文化論講義〜
第10回(最終回) 「分裂」を分析する
レポート
2024.10.02
カルチャー|CULTURE

スタバ・スタディーズ
〜「スタバらしさ」をめぐる消費文化論講義〜
第10回(最終回) 「分裂」を分析する

批評家・ライターの谷頭和希による「スタバらしさ」から消費文化を考える連載、いよいよ最終回です。最後は連載のなかで大きなキーワードとなった「分裂」について更に広げ、企業における「分裂分析」の視点を探ります。(編集室H)

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さて、スターバックスの歴史を「分裂」というキーワードで見てきた「スターバックス・スタディーズ」も今回が最終回となります。ここまでの連載の流れを簡単に見ていきましょう。

この連載では最初に、スタバが持つ独特の「スタバらしさ」を考えることから始めました。その結果、スタバの独特さとは、そこが持つ「分裂」にあるのではないか、と指摘しました。どこにでもあるが、どこにでもないような特別感を持っていること、ファストコーヒー店なのに、スローなコーヒー体験を押し出していることなど、ありとあらゆる分裂がそこにはある。

そのことについて、日本でのスターバックスの展開やアメリカのスターバックス創業時のエピソードなどを見ていきました。その結果分かったのは、スターバックスは、自社が押し出す理念と、実際の経営戦略の間にズレがあることです。これが、「分裂」の正体です。例えば、スタバの歴史を紐解いていくと「本物のコーヒー」を重視してきたことがわかりますが、その反面、コーヒー的な要素をまったく持たないフラペチーノも提供していて、それが同社の代表的な商品のひとつとなっています。なぜフラペチーノが提供されるのかといえば、消費者がフラペチーノを求め、それが受け入れられてきたからです。顧客の要望を取り入れ、柔軟に変化を繰り返してきた結果が、「分裂」を生み出すのです。

ある種の消費者志向が、こうしたスタバの分裂、ひいては「スタバらしさ」を生み出してきたのではないでしょうか。

さて、最終回で試みたいのは、スタバの考察で見えてきた「分裂」を、スタバ以外の話へと接続すること。これまでに私が提示してきた「分裂」は、スタバだけで問題となっているのではなく、さまざまなビジネスを分析する際に有効な視点になると思っているからです。

ビジネスにおける「分裂」は、なぜ起きるのか

そもそも、ビジネスにおける「分裂」はなぜ起きるのでしょうか。

それは、どのようなビジネスにしても、そこに「人間」が関わるからではないでしょうか。人間とは矛盾に満ちた存在で、理屈では割り切ることのできない存在。そのような人間の欲望を満たすのがビジネスだとすれば、顧客に合わせれば合わせるほど、ビジネス自体も複雑になってくるはずです。

スタバが押し出す概念のひとつとして「サードプレイス」概念があることはお話した通りです。これは家庭でも職場でもない第3の空間を表しますが、本来のサードプレイスは、人々がお互いに家庭や職場などとは異なる気軽な関係性で繋がる空間のため、そこでコミュニケーションが生まれやすい空間だといわれています。しかし、スタバで顧客同士が積極的に関わることは少ない。むしろ、スタバでは、お互いに干渉しないことが一種のマナーのようにさえなっています。社会学者のゴッフマンは同じ状況にいるだけの人々が、お互いに敵意も関心もないことを示すために行う振る舞いを「儀礼的無関心」と呼びましたが、スタバでの顧客の振る舞いはそれに近いと思います。

▲休日でも混み合うスタバ
この点でスタバの「サードプレイス」には分裂が生じていると述べましたが、そのような空間に人は集まっているわけです。それはある意味、他人とは積極的にコミュニケーションを取りたくないが、1人だけの空間で1人きりでいるのは嫌だ、と思う人々が多いからかもしれません。ただ、人々がいる空間に何もせずにいたい、そんな欲望です。表現するのが少し難しいですが、とても人間らしい欲望だと私は思います。そんなニーズが潜在的にあったからこそ、スタバの「サードプレイス」には矛盾が生まれたのではないでしょうか。つまり、人間に合わせてビジネスを行うと、必然的にそこには分裂が生まれるのではないでしょうか。

ビジネスの「分裂分析」

この点について、ある書籍が参考になります。フランスの哲学者であるジル・ドゥルーズと、精神分析学者のフェリックス・ガタリの共著『アンチ・オイディプス』です。

▲『ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症』(河出書房新社)
この著作の中で彼らは、それまでの精神分析で使われてきた人間の欲望のモデルが、いわゆるエディプス・コンプレックスとよばれる「父-母-子」の三角関係のモデルで考えられてきたことに対して大きな疑問を投げかけます。欲望とは、ひとつのモデルケースがその他全ての例に当てはまるような単純なものではなく、もっと複雑なものではないか。そして、その複雑な欲望を満たす資本主義を見ていくと、そんな複雑に「分裂」した人間の姿が見える、と彼らは書きます。やや難解ですが、少しだけドゥルーズ=ガタリの言葉を抜き出してみましょう。

資本主義はこの自分の極限にたえず接近するのであり、これはまさに分裂症的なものである。資本主義は[…]全力をあげて分裂者を生みだそうとするのだ。[…]分裂症者は、資本主義の極限に位置する(ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症 上』、p.69-71)

まさに資本主義が生み出した「分裂」の顕著な姿が、スタバに現れているのではないでしょうか。 いずれにしても、現代における資本主義を考える際に「分裂」が有効な視座をもたらしてくれることが、『アンチ・オイディプス』からはわかりますね。同書では、こうした視座での分析を「分裂分析」と呼んでいて、まさにビジネスにおける「分裂分析」の可能性が、スタバの事例から見えてくるのです。

マクドナルドの「分裂分析」

ここまで述べてきたことから、こう言えるのではないでしょうか。ある企業の経営でどれほどの「分裂」が発生しているのかを見ることで、その企業がどれくらい人間に寄り添っているのか、わかるのではないか。これを、ビジネスにおける「分裂分析」と呼んでみたいと思います。

「分裂分析」の視点に立って、ひとつのケーススタディを行ってみましょう。

日本マクドナルドです。特に、その創業者で、マクドナルドを日本に紹介するのに大きな役割を果たした藤田田(ふじた でん)さんについてです。

▲マクドナルド創業者と握手を交わす藤田田(『日本マクドナルド20年のあゆみ〜優勝劣敗』より)
彼は「銀座のユダヤ商人」とも呼ばれ、誰よりも冷酷に資本の動きを捉え、掌握しようとする一面がある一方、日本マクドナルドの経営においては、きわめて家族主義的な、温情主義の経営を行う側面も持っていました。藤田の伝記には次のような言葉があります。

藤田田の素顔を探っていくと、原理原則に忠実なユダヤ教的合理主義者の面と、義理人情に厚い古風な面とが矛盾なく同居していることに驚かされる。怪物ぶりを発揮する反面、優しさを忘れないところに、藤田の人間的な魅力が感じられるのである。(『日本マクドナルド20年のあゆみ〜優勝劣敗』、p.118)

こうした藤田の「古風な面」と共に、マクドナルドは「ピープル・ビジネス」を押し出しています。これは、マクドナルドの実質的な創業者ともいえるレイ・クロックの言葉であり、彼は「マクドナルドはハンバーガーを提供するピープルビジネスである」と言いました(『日本マクドナルド 「挑戦と変革の経営」』、p.153)。ある意味、その言葉に従うように、藤田は顧客や従業員のことを考えつつ、しかし合理的に進めるべきポイントでは徹底的に合理的に振る舞いました。こうしたふたつの面が「矛盾なく同居している」ことは、ある意味でやはり「分裂症」的な状態だったといえるでしょう。「分裂」する企業は、スタバ以外にも多くあるわけです。

スタバの「分裂」はまだまだ続く

さて、スタバから始まり、ずいぶんと大きなことを話してきた気がします。それだけ「分裂」という言葉にはポテンシャルがあるのです。いずれにしても、スタバの分析を通して見えてきた「分裂」は、おそらく現在の消費文化やビジネスを見るときの、大きな武器になると思います。全10回の、長いのか短いのかわからない回数でこの「分裂」についてしっかりと考えることができたのは幸運なことでした。

とはいえ、おそらくまだまだスタバに眠っているさまざまな「分裂」をすべては語り尽くせていませんし、そもそもそれを語り尽くせることなんてできるのでしょうか? 語り落としたことは、今後、私自身も考えていきたいですし、ぜひみなさんも一緒に、スタバの「分裂」について考えてみてほしいと思います。

おそらく、今、この瞬間もスタバは分裂を続けています。そして、今回見てきたようにさまざまなビジネスにおいて「分裂」は発生し続けています。そんな時代に、ここで提唱した「分裂分析」を使って、さまざまなビジネスを見ていきませんか?そこにはきっと、現代の消費文化を考えるための、重要な視点があるに違いありません。


【文:谷頭和希/ライター・作家】


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