1960年代、日本で一大ムーブメントとなった「前衛芸術」のスター・アーティスト、篠原有司男さん。1969年の渡米以来NYで暮らし続ける篠原さんとその妻・乃り子さんの創作と日常の現場に密着したドキュメンタリー映画『キューティー&ボクサー』は、2013年サンダンス映画祭ドキュメンタリー部門で監督賞を受賞するなど、高い評価を集めている。いよいよ日本でも公開されるこの映画を、本作が長編デビュー作となるザッカリー・ハインザーリング監督へのインタビューを交えてレポートする。
キューティー&ボクサー
1960年代に日本で一大ムーブメントとなった「前衛芸術」のスター・アーティスト、篠原有司男さん。1969年に渡米して以来NYで暮らし続ける篠原さんとその妻・乃り子さんの創作と日常の現場に密着したドキュメンタリー映画『キューティー&ボクサー』。2013年サンダンス映画祭ドキュメンタリー部門で監督賞を受賞するなど、高い評価を集めたこの作品が12月、いよいよ日本でも公開される。
グローブをキャンバスに叩きつけて描く“ボクシング・ペインティング”やジャンクアートなどの作品で知られる篠原さんは、1960年代に結成された現代美術グループ「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ(通称ネオダダ)」を代表する一人。日本初のモヒカン刈りになるなどインパクトのあるキャラクターで親しまれ「ギュウチャン」という愛称で呼ばれる伝説的存在だ。
篠原さんは現在もなおNYで創作に取り組んでいる。アメリカのアート・サーキットでは大きな成功には至っていないが、80歳を超えた彼はいまや“伝説のアーティスト”となりつつある存在だ。映画『キューティ&ボクサー』は、アメリカの映像作家ザッカリー・ハインザーリングさんが篠原さんと2008年に出会い、彼らの家をカメラを手に訪れるようになったことから始まったプロジェクトだ。
ハインザーリングさんは、本作の監督/プロデュース/撮影を一人で手がけている。これまで大手ケーブル局HBOなどでキャリアを積んできた。篠原さん夫妻に4年の歳月をかけて密着し、作り上げた本作が長編映画監督としてのデビュー作品となる。
「有司男は自分がいかに日本の美術界において中心的な存在であるか、ということを美術史の本や写真を沢山出してきて語ってくれた。彼は人に注目されることで生き生きするような人で、撮られることを望んでいました。乃り子は側に控えているような感じではあったけれど、それでも彼女には何か表現したいものがあるように思えたんです。2人の間には愛憎相半ばするような、微妙な緊張関係のようなものが感じられて、僕はそこに興味を持ったんです」(ハインザーリングさん)
彼らが30年間を過ごしてきた住居兼アトリエは、生活用品や家具に作品やジャンクが積み重なる、いかにもアーティスト然とした雰囲気の空間。ブルックリンも地価が上昇し、彼らのように70年代のソーホーを思わせるような部屋に住みながら制作を行うようなアーティストは、今はすっかりいなくなってしまった。
「彼らのアパートは洞窟のような、そしてアートを讃える神殿のようでもありました。彼らの住まいに足を踏み入れたとき、僕はまるで70年代の、世界のアートの中心がNYだった頃のSOHO地区にタイムトラベルをしたような気持ちになりました。そんな雰囲気の中で今でもアートを作り続けている彼らの様子に強く惹かれたんです」(ハインザーリングさん)
彼が訪ねるたびに、夫妻は写真やDVD、ビデオテープを家の中から探してきて、70年代以降の写真やニュース映像などの貴重な資料や、彼らの長男を含む家族の記録などを見せてくれた。本作ではこうした記録映像が効果的に使われ、それまで日本に紹介されてこなかった篠原有司男という“伝説のアーティスト”のリアルな姿を伝えている。
ある日、80年代前半に篠原さんが友人とともに自主制作した約3時間のドキュメンタリー映画を見つけたハインザーリングさんは、日本に現存していたオリジナルを取り寄せ、作品の中で用いている。とりわけ有司男さんが感情を爆発させながら、友人たちに自らの苦悩を吐露する映像があるが、これは本作のハイライトともいえる印象的なシーンである。
グローブをキャンバスに叩きつけて描く“ボクシング・ペインティング”やジャンクアートなどの作品で知られる篠原さんは、1960年代に結成された現代美術グループ「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ(通称ネオダダ)」を代表する一人。日本初のモヒカン刈りになるなどインパクトのあるキャラクターで親しまれ「ギュウチャン」という愛称で呼ばれる伝説的存在だ。
篠原さんは現在もなおNYで創作に取り組んでいる。アメリカのアート・サーキットでは大きな成功には至っていないが、80歳を超えた彼はいまや“伝説のアーティスト”となりつつある存在だ。映画『キューティ&ボクサー』は、アメリカの映像作家ザッカリー・ハインザーリングさんが篠原さんと2008年に出会い、彼らの家をカメラを手に訪れるようになったことから始まったプロジェクトだ。
ハインザーリングさんは、本作の監督/プロデュース/撮影を一人で手がけている。これまで大手ケーブル局HBOなどでキャリアを積んできた。篠原さん夫妻に4年の歳月をかけて密着し、作り上げた本作が長編映画監督としてのデビュー作品となる。
「有司男は自分がいかに日本の美術界において中心的な存在であるか、ということを美術史の本や写真を沢山出してきて語ってくれた。彼は人に注目されることで生き生きするような人で、撮られることを望んでいました。乃り子は側に控えているような感じではあったけれど、それでも彼女には何か表現したいものがあるように思えたんです。2人の間には愛憎相半ばするような、微妙な緊張関係のようなものが感じられて、僕はそこに興味を持ったんです」(ハインザーリングさん)
彼らが30年間を過ごしてきた住居兼アトリエは、生活用品や家具に作品やジャンクが積み重なる、いかにもアーティスト然とした雰囲気の空間。ブルックリンも地価が上昇し、彼らのように70年代のソーホーを思わせるような部屋に住みながら制作を行うようなアーティストは、今はすっかりいなくなってしまった。
「彼らのアパートは洞窟のような、そしてアートを讃える神殿のようでもありました。彼らの住まいに足を踏み入れたとき、僕はまるで70年代の、世界のアートの中心がNYだった頃のSOHO地区にタイムトラベルをしたような気持ちになりました。そんな雰囲気の中で今でもアートを作り続けている彼らの様子に強く惹かれたんです」(ハインザーリングさん)
彼が訪ねるたびに、夫妻は写真やDVD、ビデオテープを家の中から探してきて、70年代以降の写真やニュース映像などの貴重な資料や、彼らの長男を含む家族の記録などを見せてくれた。本作ではこうした記録映像が効果的に使われ、それまで日本に紹介されてこなかった篠原有司男という“伝説のアーティスト”のリアルな姿を伝えている。
ある日、80年代前半に篠原さんが友人とともに自主制作した約3時間のドキュメンタリー映画を見つけたハインザーリングさんは、日本に現存していたオリジナルを取り寄せ、作品の中で用いている。とりわけ有司男さんが感情を爆発させながら、友人たちに自らの苦悩を吐露する映像があるが、これは本作のハイライトともいえる印象的なシーンである。
「その映像には僕が4年間で撮影することができなかった、有司男さんのパーソナルな面が出ていました。彼は常に演技をしているようなところがあって、自分の作品が認められない苦しさをついに見せてくれなかったけれど、彼がそういう脆さを持ち合わせていることが分かるシーンです」(ハインザーリングさん)
作品は当初、有司男さんの作品に焦点を当て、美術史家やキュレーターへのインタビューなどを交えたオーソドックスな構成になる予定だった。しかし撮影が進むにつれてハインザーリングさんの焦点は彼ら2人の関係、そして乃り子さんの変化へと移っていった。最初は有司男さんのアシスタント的な存在であった彼女が、有司男さんから独立した一人のアーティストとして作品を造り、自信をつけていくプロセスをカメラは捉えていく。
乃り子さんは美術を学ぶために留学してきたNYで有司男さんと出会い、結婚と出産に伴いアートの道から一度は遠ざかった。夫のアルコール依存など苦労の絶えない生活などについて、乃り子さんはカメラの前で自分を表現し始める。やがて自分自身のスタジオを設け、40年に渡る夫婦の歴史を自分の分身であるヒロイン「キューティー」に託して作品化することで、乃り子さんは一人のアーティストとして再生していく。その過程が、映画の後半ではドラマチックに描かれている。
アメリカ人の一般的な考え方からすれば、なぜ乃り子さんがそんな大変な思いをしてもなお離婚を申し出さないのか、と疑問に思われることも多いという。しかしハインザーリングさん自身はむしろ、辛い状況にありながらも、他の何を犠牲にしてもアートを作ろうとする2人のピュアな姿勢に強くインスパイアされたという。
「彼らがユニークな生き方を選ぶ理由を知りたいという気持ちから、僕は5年間もの間彼らに興味を持ち続けることができた。この映画を作ることは、僕が彼らについて新しいことを知っていく作業でもあり、新しい世界に飛び込むような経験だったんです」(ハインザーリングさん)
近年、アートと映像の関係はより密接なものになり、アートを題材とした優れたドキュメンタリー映画が生まれている。高性能でコンパクトなデジタル機材が普及したことで、若い世代の映像クリエイターが作品を制作するチャンスが増えていることもその理由の一つだが、さらにクラウドファンディングで観客から直接制作資金を調達することも可能になり、ニッチなジャンルの映画にもチャレンジできるようになってきたことも大きい。
古い映像がデジタル化され、YouTubeなどのデジタルメディアで若い世代の観客が古い世代の映像や音楽などのアーカイブを楽しむことも簡単になった。古いものと新しいものを同目線で楽しめる20代のクリエイターたちは、先行世代のクリエイターにリスペクトを捧げつつも、フラットな関係で世代を超えたコラボレーションを実現させる。そんな現象が今、さまざまなジャンルで起こっている。
この『キューティー&ボクサー』も、そうした異世代クリエイターがコラボレーションすることで生まれた作品の一つだといえるだろう。国も言葉も違う、1984年生まれという若い世代のハインザーリングさんだからこそ、篠原夫妻を“伝説のアーティストとその妻”ではなく、魅力的な2人のアーティスト同士という形で描くことができたのかもしれない。
【取材・文: 本橋康治(コントリビューティングエディター/フリーライター)+ACROSS編集部 】
作品は当初、有司男さんの作品に焦点を当て、美術史家やキュレーターへのインタビューなどを交えたオーソドックスな構成になる予定だった。しかし撮影が進むにつれてハインザーリングさんの焦点は彼ら2人の関係、そして乃り子さんの変化へと移っていった。最初は有司男さんのアシスタント的な存在であった彼女が、有司男さんから独立した一人のアーティストとして作品を造り、自信をつけていくプロセスをカメラは捉えていく。
乃り子さんは美術を学ぶために留学してきたNYで有司男さんと出会い、結婚と出産に伴いアートの道から一度は遠ざかった。夫のアルコール依存など苦労の絶えない生活などについて、乃り子さんはカメラの前で自分を表現し始める。やがて自分自身のスタジオを設け、40年に渡る夫婦の歴史を自分の分身であるヒロイン「キューティー」に託して作品化することで、乃り子さんは一人のアーティストとして再生していく。その過程が、映画の後半ではドラマチックに描かれている。
アメリカ人の一般的な考え方からすれば、なぜ乃り子さんがそんな大変な思いをしてもなお離婚を申し出さないのか、と疑問に思われることも多いという。しかしハインザーリングさん自身はむしろ、辛い状況にありながらも、他の何を犠牲にしてもアートを作ろうとする2人のピュアな姿勢に強くインスパイアされたという。
「彼らがユニークな生き方を選ぶ理由を知りたいという気持ちから、僕は5年間もの間彼らに興味を持ち続けることができた。この映画を作ることは、僕が彼らについて新しいことを知っていく作業でもあり、新しい世界に飛び込むような経験だったんです」(ハインザーリングさん)
近年、アートと映像の関係はより密接なものになり、アートを題材とした優れたドキュメンタリー映画が生まれている。高性能でコンパクトなデジタル機材が普及したことで、若い世代の映像クリエイターが作品を制作するチャンスが増えていることもその理由の一つだが、さらにクラウドファンディングで観客から直接制作資金を調達することも可能になり、ニッチなジャンルの映画にもチャレンジできるようになってきたことも大きい。
古い映像がデジタル化され、YouTubeなどのデジタルメディアで若い世代の観客が古い世代の映像や音楽などのアーカイブを楽しむことも簡単になった。古いものと新しいものを同目線で楽しめる20代のクリエイターたちは、先行世代のクリエイターにリスペクトを捧げつつも、フラットな関係で世代を超えたコラボレーションを実現させる。そんな現象が今、さまざまなジャンルで起こっている。
この『キューティー&ボクサー』も、そうした異世代クリエイターがコラボレーションすることで生まれた作品の一つだといえるだろう。国も言葉も違う、1984年生まれという若い世代のハインザーリングさんだからこそ、篠原夫妻を“伝説のアーティストとその妻”ではなく、魅力的な2人のアーティスト同士という形で描くことができたのかもしれない。
【取材・文: 本橋康治(コントリビューティングエディター/フリーライター)+ACROSS編集部 】
『キューティー&ボクサー』
監督:ザッカリー・ハインザーリング
出演:篠原有司男、篠原乃り子
アメリカ/カラー/82分/ビスタサイズ
提供:キングレコード+パルコ
配給:ザジフィルムズ+パルコ
2013年12月21日(土)からシネマライズほか全国ロードショー
© 2013 EX LION TAMER, INC. All rights reserved.
出演:篠原有司男、篠原乃り子
アメリカ/カラー/82分/ビスタサイズ
提供:キングレコード+パルコ
配給:ザジフィルムズ+パルコ
2013年12月21日(土)からシネマライズほか全国ロードショー
© 2013 EX LION TAMER, INC. All rights reserved.