「ウォーカブル・シティ」NYC
ニューヨークを歩いていると、知り合いにばったり出くわすことがよくある。セレブリティとすれちがうことも珍しくない。
世界中から集まった8百万人が住むこの雑多な都市には、奇妙な「コミュニティ感」がある。
どんな人と行き交うことがあっても驚きはしないし、道端やバーで横に居合わせた知らない人と当たり前のように言葉を交わす。それはニューヨークの「社会的コード」のひとつだ。
ニューヨークの街が「ソーシャル」な理由のひとつは、それが「ウォーカブル (歩ける)」な都市だというところにある。
「ハイライン」が意味すること
ニューヨーク市は2008年に、「サマー・ストリーツ」とよばれるイベントを始めた。
毎年8月の最初の3回の土曜日は、ブルックリン橋のたもとからセントラル・パークにかけて、10キロ以上にわたる道路が歩行者と自転車だけのものになる。
5年目を迎えた2013年には、30万人以上がこのイベントに参加して、自動車から開放された道路を歩き、走り、そして遊んだ。
ニューヨーク市はそのように謳ってはいないが、マンハッタンの道路の使い方を、あらためて人に委ねてみる試みだったと私は理解している。
2009年に部分的にオープンした「ハイライン」は、高架貨物線跡を利用してつくられた高架の遊歩道だ。その成り立ちまでの長い歴史もNYらしい「ソーシャル」なコードが多々含まれている。
鉄道が廃線となったのは1980年前後のこと。当時は、解体して高架下の土地も転売される動きが主流だったが、チェルシー地区に住むピーター・オブレッツらによる保存・再利用の活動が市民の支持を得て、1999年に非営利団体「フレンズ・オブ・ザ・ハイライン(FHL)」が設立。2001年にはNY州やNY市への同決議案が採択されたのである。その後、いったんは当時の市長により再び解体へという動きがあったが、FHLはそれを起訴し、2002年に勝訴。その後は、急ピッチでプロジェクトが進行し、36カ国約720チームによる公開コンペが行われ、NY市議会からは約1,575万ドル(約160億円)もの基金が寄せられたという。
現在、歴史地区としての保存されることになったミート・パッキング地区から、最終的には20ブロック以上にわたり、信号や自動車に邪魔されることなく歩くことができる。もちろん遊歩道上で休憩してもいい。
2013年には約460万人が訪れた、ニューヨークで最も人を集めている場所のひとつであるハイライン。興味深いのは、結果的に、ハイライン周辺地区の住まいや商業空間としての再利用を目的とした動きもはじまっていることだろう。
ハイラインの後を追うように、新しい遊歩道案もいくつか浮上している。
グランド・セントラル駅近くのパーク・アベニューの中央分離帯を、歩行者専用の遊歩道にしようという案がある。
クイーンズのレゴ・パークからオゾン・パークにかけて、高架部分を含む線路跡をハイラインのような遊歩道にする「クイーンズ・ウェイ」も検討されているようだ。
もっとも、マンハッタンがいくら小さな島だといっても、徒歩だけで移動するには広すぎる。
街の主役は「ひと」
20世紀の米国は自動車が支配した。都市は自動車を中心にデザインされ、マンハッタンを横断する高速道路の建設計画さえあった。
21世紀の今日、そのパラダイムは大きく変わりつつある。都市の主役は人だ。自動車ではない。
都市は様々な人が行き交うところだ。人と人が出会い、なにかを一緒にする。うまくいくこともあるし、失敗に終わって組み手を変えるときもある。
この繰り返しから、いろいろなことが生まれる。それは世界を変えるイノベーションかもしれないし、ありがたくない衝突かもしれない。恋愛のときもあるだろう。
郊外に住んで、自宅とオフィスを自動車で往復しているとそうはいかない。仕事の同僚など、おなじみの予定された人たちと顔を合わせる毎日だ。
都市の中心部に住むことを選ぶ人たちが米国では増えている。人との結びつきや、アメニティ、娯楽を指向する人たちによる「都市回帰」だ。
「多くの人がここに住みたがっている証拠だからいいことだ」とブルームバーグ前市長は言った。あながち間違ってはいない。
ニューヨーク市を訪れる人の数も増え続け、ここ数年間は記録を更新中だ。2013年には5400万人を上回る人たちがこの街を訪れた。
ニューヨークがよりウォーカブルな環境に取り組んでいるのは、こうした都市と人々の指向性の変化に応えるためだ。
都市は人と人を結びつけるソーシャル・ネットワークだ。都市のもつ可能性が今日あらためて見直されている理由はそこにある。
Yoshi(“Follow the accident. Fear the set plan.”主宰/ビジネスコンサルタント)