「VR元年」と言われる2016年。フェイスブックがVR用ヘッドセットのメーカーであるOculus社を買収したり、ソニーが「プレイステーションVR」の発売決定を発表したりと、VRに関するニュースがメディアで大きく取り上げられたことは記憶に新しい。VR用のデバイスは世界中で続々と発売され、かなり安価に入手することも可能になってきている。
デバイスの普及が進む一方で、当然ながらVRコンテンツの開発・実証実験も各方面でさかんに行われている。その動きのひとつとして、VRを活用した学習コンテンツ「タイムトリップミュージアム『明治神宮表参道ケヤキ並木の100年』」がKDDIによって発表された。
本コンテンツは、表参道のケヤキ並木が完成した1920年にまで遡って、過去約100年にわたる表参道の歴史を学ぶことができるVR動画だ。ケヤキ並木の誕生と成長、関東大震災・山手大空襲からの復興などを経て、ファッションストリートとして発展していった表参道の変遷が、イラストと写真でまとめられている。
動画は3部構成になっている。パート1が1920〜1949年、パート2が1950〜1989年、パート3が1990年〜現在という時代区分で、ケヤキ並木の成長過程を軸としてストーリーが進む。全編を通して基本的に表参道の様子はイラストで描かれており、建造物や人々の写真がときおりポップアップウィンドウになって浮き出てくる。
なお、この動画はKDDIの公式YouTubeで視聴することができる。
8月31日の発表会では、最初に本プロジェクトを主催する市民団体「いのちの森」代表の野中ともよさんによるビデオレターが流され、さらに壇上には同団体事務局長の井梅江美さん、KDDIのコミュニケーション本部長・山田隆章さんらが登壇した。実はこのVR動画は、「いのちの森」が提唱する「グリーンコリドープロジェクト」の一環として制作されたもので、詳しくは公式HPをご覧いただきたい。
山田隆章さんは、「いま教育現場のICT化が進んでいる。教育現場にVRを取り入れることで、教科書以上のより深い学習を可能にできるのではないか」と話す。
そしてスペシャルゲストとして、フリーアナウンサーの高島彩さんと芸人の土田晃之さんが登場。高島さんと土田さんはそれぞれ、子を持つ父母の代表(!)として、教育に関するトークを繰り広げた。
山田隆章さんは、「いま教育現場のICT化が進んでいる。教育現場にVRを取り入れることで、教科書以上のより深い学習を可能にできるのではないか」と話す。
そしてスペシャルゲストとして、フリーアナウンサーの高島彩さんと芸人の土田晃之さんが登場。高島さんと土田さんはそれぞれ、子を持つ父母の代表(!)として、教育に関するトークを繰り広げた。
ゲストの2人は壇上で実際にVR動画を視聴。2人ともVRは初体験だそうで、その臨場感に興奮しているようすだった。
さらに、渋谷教育学園渋谷中学高等学校の社会科研究会に所属する生徒たちが、実際に表参道の街に出てこのVR動画を体験するという「課外授業」も。3グループに分かれて、筆者らマスコミも同時体験させてもらった。なお、当日動画を再生するために用いられた機材は「Galaxy S7 edge SCV33」と「Gear VR」だ。
体験を終えた生徒たちからは、「自分が実際にそこにいるような感じがして、色とか建物とか、教科書で紹介されているところ以外の細かい部分も見ることができたのが楽しかった」、「これで世界とかを旅行してみたい。実際には行けなくてもこれで見た気分になれるし、世界地理の勉強にもなる」などの声があがった。
発表会では終始、教育の現場に参考書の代わりとしてVRを活用することのメリットが強調されたが、実際にはまだ課題も少なくなさそうだ。
筆者が特に気になったのは、教科書や本と違ってVRなら「楽しめる」「集中できる」というようなキーワードが幾度となく繰り返されたことだ。たしかにVRは教科書とは比べものにならないくらい豊かなビジュアルを作り出せるのは間違いないし、イメージを一瞬で認識することも可能になる。しかし、それは言い換えれば、個々の生徒の想像力の多様性が失われるということでもある。文字ではなくビジュアルによって対象が表現されることで、画一化されたイメージが拡散されることになる。
また、VRは「五感に訴えかける」ものであるという評価がある一方で、受け手がより強く五感をコントロールされるということでもあり、制作者が提示するものを答え合わせのように受け取ることしかできなくなるということの裏返しになりはしないだろうか。
もちろん家庭科や保健体育、理科系の科目など、実際のビジュアルがテキストからのイメージ以上に重要性を持ちそうな科目においては、VRが非常に大きな存在感を発揮するだろう。しかしもし、国語や歴史といった科目でVRが教科書に取って代わるようなことがあれば、それはひょっとして危険なことにもなりうるかも?という疑念も抱いてしまった。
そんななか、「先生と生徒、みんなでVRの使い方を考える授業があってもおもしろいのかな?」(高島さん)という一言には納得させられた。その言葉の通り、まずは学習する主体である生徒たちの間で、VRにどのような特性があるのか、どんなメリット/デメリットがあるのか、そういった認識を共有した上で導入することで、前述したような課題解決のヒントは大いに得られそうだ。
筆者が特に気になったのは、教科書や本と違ってVRなら「楽しめる」「集中できる」というようなキーワードが幾度となく繰り返されたことだ。たしかにVRは教科書とは比べものにならないくらい豊かなビジュアルを作り出せるのは間違いないし、イメージを一瞬で認識することも可能になる。しかし、それは言い換えれば、個々の生徒の想像力の多様性が失われるということでもある。文字ではなくビジュアルによって対象が表現されることで、画一化されたイメージが拡散されることになる。
また、VRは「五感に訴えかける」ものであるという評価がある一方で、受け手がより強く五感をコントロールされるということでもあり、制作者が提示するものを答え合わせのように受け取ることしかできなくなるということの裏返しになりはしないだろうか。
もちろん家庭科や保健体育、理科系の科目など、実際のビジュアルがテキストからのイメージ以上に重要性を持ちそうな科目においては、VRが非常に大きな存在感を発揮するだろう。しかしもし、国語や歴史といった科目でVRが教科書に取って代わるようなことがあれば、それはひょっとして危険なことにもなりうるかも?という疑念も抱いてしまった。
そんななか、「先生と生徒、みんなでVRの使い方を考える授業があってもおもしろいのかな?」(高島さん)という一言には納得させられた。その言葉の通り、まずは学習する主体である生徒たちの間で、VRにどのような特性があるのか、どんなメリット/デメリットがあるのか、そういった認識を共有した上で導入することで、前述したような課題解決のヒントは大いに得られそうだ。
ちなみに本動画中に登場した『ACROSS』編集部提供の写真は前述の1枚だけだが、実は1980年代の原宿駅や表参道付近の写真を他にもたくさん提供しており、現場の動画制作者の方々は、その1枚1枚をヒントにして、当時の表参道の姿をより正確に再現しようとしてくださった。
結果的にイラストでの再現となったのは、全編で12分、各パート4分ずつという限られた時間内におさめる必要があったためだ。情報を大量に詰め込める本に比べ、VRには時間的な制約があるのだということにも気づかされた。
結果的にイラストでの再現となったのは、全編で12分、各パート4分ずつという限られた時間内におさめる必要があったためだ。情報を大量に詰め込める本に比べ、VRには時間的な制約があるのだということにも気づかされた。
さまざまな課題はあるものの、今回のプロジェクトをいろんな街で実施したらおもしろいのではないだろうか。たとえば『ACROSS』編集部が所有している膨大な数の渋谷の写真を使えば、公園通り編や道玄坂編、センター街編などを作ることができそうだ。
原宿編はケヤキの物語中心で人間の写真が少なかったため、公園通り編は街を行き交う人々を中心にした物語にしてどうだろうか?「すれ違う人が美しい」公園通りをつくってきた多くの人々の息づかいをVR上で感じられると同時に、自身をその歴史の中に置いてみることで、まさにタイムトリップする感覚を味わうことができそうな気がするのだが。
取材/文:大西智裕(『ACROSS』編集部)
原宿編はケヤキの物語中心で人間の写真が少なかったため、公園通り編は街を行き交う人々を中心にした物語にしてどうだろうか?「すれ違う人が美しい」公園通りをつくってきた多くの人々の息づかいをVR上で感じられると同時に、自身をその歴史の中に置いてみることで、まさにタイムトリップする感覚を味わうことができそうな気がするのだが。
取材/文:大西智裕(『ACROSS』編集部)