■都市のコード論:NYC編  vol.05 
レポート
2016.09.23
ファッション|FASHION

■都市のコード論:NYC編 vol.05 
"NYFW(New York Fashion Week/ニューヨーク・ファッションウィーク)"の進化をどうみるか?

在NYC10年以上のビジネスコンサルタント、Yoshiさんによるまち・ひと・ものとビジネスの考察を「都市のコード論:NYC編」と題し、不定期連載しています。

上の写真はブライアント・パークのテント(BryantParkTent)でのショー(2009)。

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 ニューヨークの秋はファッション・ウィークとともにやってくる。

この秋のニューヨーク・ファッション・ウィーク (NYFW) 、いろいろな意味で転機を迎えていることでも注目された。

既に少しだけ報道されているように、アメリカ・ファッション協議会 (CFDA) NYFWのあり方についてボストン・コンサルティングに委託したレポートの結果が2016年3月に公表されたためだ。

ファッション関係者へのインタビューをもとにしたそのレポートによると、従来のモデルが機能していないこと、それを変える必要性については誰もが同意したという。

レポートはいくつかの問題点について概ね次のように指摘している。

インスタグラムなどでショーの様子は消費者もほぼリアルタイムで見ることができるようになったのに買えるのはその6ヶ月後。その間に消費者は飽きてしまい、ファストファッションにコピーする時間を与えている。 

消費者はいまの気候に合うものを買うようになっているが、従来のモデルでは暖かい頃にコートを売り始める。冬本番にはディスカウントされて、小売側も売上をディスカウントに依存する不毛なサイクルに陥っている。

オフシーズンのコレクションによってデザイナーは年中フル稼動を求められ、「クリエイティヴ・ディレクター」とは縁遠いマシンになり果てて消耗している。
 
9月8日(木)〜15日(木)、今秋も2017SSのFWが開催された。個々のメゾンが発表するクリエーションは多くの他誌(ウェブマガジン)に委ねるとして、ここでは、ちょっと違う視点、会場の“ロケーション”を中心に、考察してみることにした。
 
今秋のNYFWはこのレポートにどう反応したのか。ショーの会場をみるかぎり、変化はすでに現れているようだ。

まずは冒頭のマップをご覧いただきたい。これは、
今回ショーが行われた場所をプロットし、まとめたもので、円の大きさはその場所で行われたショーの数を示している。マウス等でドラッグすると、ブランド名が表示され、また拡大や縮小、位置を移動することも可能だ。

会場はショーのゲストのみに通知されることもあるため、マップは必ずしもすべてのショーを網羅してはいない。とはいえこのNYFWにはあきらかな変化がある。

それは会場の数が大幅に増えていることだ。ひとつのブランドだけが利用する会場が増え、より多くのブランドが独自の会場を選ぶようになっていることがわかる。

近年はチェルシー周辺の会場が多かった。ファッションのビジネスが衣類の製造業を中心に形成されたガーメント地区からチェルシーにかけて多いことと無関係ではないだろう。 

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20152月のショーの会場をみるとその傾向がわかる。

上のマップは、
20152のショーをプロットしたものである。20152月はブライアント・パークからリンカーン・センターまで続いた「テント」の時代が幕を閉じたNYFW。多くのショーがリンカーン・センターのテントを利用した。


この秋は伝統的にNYFWと無縁だった地区にもショーが拡がっている。正式会場とされる数ヵ所への集中はいくらかみられるものの、マンハッタンを超えてショーが分散し、中心がより曖昧になっている。

このNYFWでは多くのブランドが大規模な会場を避けて、静かで親密な環境を選んだ。ごく少数の人だけを招待した、よりエクスクルーシヴなショーを行ったブランドもある。

 
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2016年2月に開催されたNYFW、モイニハン駅の会場
「ショーで見てすぐ買える」という、ショーの直後から店舗やオンラインでコレクションの販売を始めたブランドもさらに増えていた。

前回
LA(ロサンゼルス)の世界最大級の旗艦店にて、「brick-and-mortar(ブリック&モルタル)」として、タッチスクリーンや試着室などでハイテクを取り込んだRebecca Minkoff(レベッカ・ミンコフは、今回、ソーホーにある自身のショップ前の路上でショーを行った。NYFWの破綻を宣言し、「See-now-buy-now(ショーで見てすぐ買える)」ということにも早くから取り組んできた彼女は従来のショーに満足できず、実際に着るところに似た場所を会場に選んだという。

Ralph Lauren(ラルフ・ローレン )はアッパー・イースト・サイドの旗艦店前、Rachel Comey(レイチェル・コーミー)ソーホーのホテル前など、屋外の歩道(ストリート)でショーを行った。

Tom Ford(トム・フォード)は歴史に跡を残すかのように、近く移転が予定されているフォー・シーズンズ・レストランでショーを行った。消えゆく場所には独自の魅力がある、ということだろう。


ルーズベルト島やブルックリンなど、マンハッタン以外でのショーはいまや定番だ。ショーを初めてマンハッタンの外にひっぱり出したのはAlexander Wang(アレキサンダー・ワン)だった。

20142月にブルックリンの旧海軍施設内で行われた彼のショーの招待状にUberの割引コードが同封されていたことは記憶に新しい。今回はスポーツブランドのアディダスとのコラボレーションラインが登場。ショーの後に会場ですぐに購入できるようになっていたという。 


Tommy Hilfiger(トミー・ヒルフィガー)16番桟橋に観覧車をもちこみ「トミー桟橋」なる遊園地を準備して、2千人 (半分は消費者向け) をショーに招待した。会場は翌日一般に開放された。


Misha Nonoo(ミーシャ・ノヌー)にいたってはスナップチャットでコレクションを公開し、ショーは行っていない。ショーの分散傾向はロケーションだけではないらしい。
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2011年、リンカーンセンターのテントでのショーのようす

2015年に発表されたニューヨーク市経済開発公社の報告によると、ニューヨークのFWには世界中から毎年23万人が訪れているという。NYFWにやってくる人たちは、市内に約532百万ドルを落とし、1年あたりの経済効果は900百万ドル近くになるそうだ。まさに、NYFWはニューヨーク・シティ・マラソンを上回る一大イベントなのである。

そもそも
NYFWの前身、発端は1943年にまで遡る。
第二次世界対戦中にパリに行くことができなくなった編者者たちがローカルのデザイナーを集めた「プレス・ウィーク」を始めたのがきっかけだ。

その結果、ファッション誌は米国のデザイナーを真剣に受けとめるようになったという。プラザ・ホテルで始まったプレス・ウィークは個人のアパートなどさまざまな場所で続いた。


しかし1990年にMichael Kors(マイケル・コース)のショーで天井が抜ける事故が起きたことで、秩序をもたらすためにショーをひとつの場所に集めることを考え始めた。


そして1993年にブライアント・パークであらためて「ニューヨーク・ファッション・ウィーク(NYFW)」として再スタートし、拡大に伴って20109月にはリンカーン・センターへと場所を移した。


NYFWがブライアント・パークで始まったときには、すべてのデザイナーがひとつの場所に集まることに意義があった。テントはそのアイコンだったのである。


それから20年が過ぎ、NYFWは機能不全に陥っているといっても過言ではない。ショーのあり方や場所、時期など含めて、ひとつのフォーマットがすべてのブランドに等しくあてはまる時代は終わった。ボストン・コンサルティングのレポートはそれを正式に認めたというところだろう。

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従来のやり方が機能していないことがわかっているなら、その同じやり方を続ける理由はどこにもない。ニューヨークは新しい試みには積極的にチャレンジすることで知られる街の代表だ。


CFDAは今後のNYFWの可能性としていくつかのモデルを示唆しているものの、まだ、特定の指針を示してはいない。誰かが処方箋を書いてそれに従わせるのではなく、ソリューションはそれぞれのブランドが模索すべきものだ。そのアプローチもニューヨークらしくはあるだろう。

新しい試みには懸念がつきまとう。消費者を意識するあまりコマーシャルになりすぎはしないか。ファッションの主役はデザイナーなのか、小売なのか。


「着られるもの」だけを求めて人はショーに足を運ぶわけではない。クリエイティヴィティを目撃して驚かされたいがためにショーに期待して足を運ぶ人も少なくない。
そうした問いに答えるNYFWのふさわしいあり方は、それぞれのブランドが一番よく理解しているはずだ。

暫定的とはいえこの秋のショーには、すでに各ブランドのファッションに対する考え方をみてとることができるだろう。


CFDA議長でもあるDiane von Furstenburg(ダイアンフォン・ファステンバーグ)によると、「NYFWには“レヴォリューション (革命) ”ではなく“エヴォリューション (進化)”が求められている」と話す。

NYFWの後はロンドンファッションウィーク、ミラノファッションウィーク、そしてパリファッションウィークときて、最後が東京とソウルとなる。ロンドンやミラノ、パリなどの“進化”については、在住欧州のコントリビューテッド・ライターらにレポートを委ねたい。

(取材/マップ作成:yoshi)


Follow the accident. Fear set plan. (写真をクリックしてください)

間違った場所の使い方
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間違った場所の使い方

ニューヨーク市ガヴァナーズ島にある「ザ・ヤード」は子供の遊び場ではあるものの、そこに滑り台や雲梯などの遊具は見当たらない。そのかわり老朽化したピアノ、タイヤや土管といった廃材が置かれていて、子供たちに好きに使わせている。子供たちはそうしたものを使って小屋をつくるなどして飽きることなく遊ぶ。 遊び場には遊ぶことを目的とした遊具が準備されていることが多いが、そうした遊具で遊ぶよりも、自分で何かをつくる方が楽しいのだという。遊び方とルールが予め決まっている遊具とは違って、そこにあるものを使って子供たちは遊びをつくり始める。それが遊ぶということなのかもしれない。 2009年に英国のブリストルで母親二人が実験的に始めた「プレイ・ストリート」は、その名の通り、路上で子供を遊ばせようという試みである。英国内だけで1,500ヶ所にも広がっているという。 ゲームなどの遊ぶものはわざと準備せず、自動車が通行できないように通りを閉鎖して安全を確保するだけだが、遊具がなくても、子供は通りで次々と遊びをつくり出すのだという。 遊具を備えた遊び場や公園よりも、空き地や建設現場で遊ぶことを子供たちは好むとよくいうし、実感としても理解できるところが多い。遊び場や遊具は遊ぶためにつくられたものだ。だから遊ばないのだ。 ある目的のためにつくられた場所が、その意図した通りに利用されないことはよくあることだ。いわゆるサード・プレイスもそのひとつである。それはもっぱら偶然の産物というべき派生的な場所のことであり、つくろうとするとたいていサード・プレイスではなくなってしまう。 サード・プレイスの考えを提唱した社会学者のレイ・オルデンバーグは、「サードプレイスはそのようなものとしてはつくられていない」という。人が集まることを目的としたわけではないのに、気づけば近所の人たちの溜まり場になっている床屋や郵便局のように、そのようにつくったのではないのに、そうなってしまった場所である。 オルデンバーグによると、サード・プレイスになりやすいのは古くからある場所だという。オープン間もない新しい店は、店主の意図や管理が厳しく行き渡っていることが多く、同様にブランド店や大チェーン店はブランディングなど本社の統制の力が強く、店に入る人を選ぶうえに、店内では客に特定のふるまいを求める。要するに、単一の意図が貫き主張が強いところは、利用者にとって使いづらいのだ。飲食店であれ小売店であれ、気安い店か敷居が高いところかは、誰もが瞬時に嗅ぎ分けるものだ。 しかし時間を経てくたびれた店は、今更店主があれこれ細かく注文をつけることはそうないだろうから、そこを利用する者が自分たちの目的に、つまりサード・プレイスとして利用しやすくなる。当初の企図が綻び、店の意図が減退したところにそれは現れる。人は失敗を利用し、そこにある場所を「占拠」して別の目的に使い始めるのだ。 人類学者のジェイムズ・C・スコットは、世の中を良くしようとする善意の試みがしばしば失敗するばかりか、強権的なものに帰結しうるのはなぜなのかと問うた著書Seeing Like a Stateで、単純化と標準化をその背後にある問題として取り上げている。要点をたどるために、スコットがよく例に出した「科学的林業」の概要をみてみよう。 科学的林業は18世紀ドイツで始まった森林を合理化する試みである。森林は飼料から家具の材料まで幅広い恵みをもたらし、同じ木でも成長段階によって異なる特質と利用方法があるものなのだが、科学的林業は森林を収入源である木材と薪の生産源とみなしたうえで、その特定商品の生産イールドを最大化することに集中した。商品価値が高い特定種の生産とそこから得られる収入以外のこと、つまり自然と人間の関係に関する大部分のことが、その視野の外に置かれることになった。 そして数量的な把握と操作が容易な均一の森林生産に取り組んだ。藪を切り払い、植樹はドイツトウヒのような少数あるいは一種のみに絞り込み、一直線上に同時に植樹を行い、単一栽培の樹齢がそろった森林をつくりだした。 森林を単一商品の生産マシンに転換する試みは、短期的には木材供給を増やし、均一で標準的な木を提供し、また森林地の経済的リターンを高めることになったものの、最初の輪伐後に生産ロスが大きくなった。土壌、菌類、昆虫、哺乳類などとの共生関係が壊れて貧困化が繰り返されたためだ。 木を見て森を見ることのなかったこの科学的林業は、近代の単作化の功罪を多少知っている私たちからすると滑稽にすらみえるし、エコシステムを壊したのだから当たり前だと誰でもいうことができる。ただそれを大昔の無知の仕業と片付けることはできそうにない。よく似たことがいまも繰り返されているためだ。こうした単純化を指摘するスコットの射程は、森林だけではなく都市にも及んでいる。 都市について同様のことを指摘し、誰よりも合理化を攻撃したのはもちろんジェイン・ジェイコブズである。 ジェイコブズの都市のヴィジョンを一言で示すのは容易ではないものの、ここでは仮に「過剰で不透過な構造」としておきたい。そこでは無数の目的や意図が混濁し、互いにぶつかり合い競合しながら、分裂と新たな結びつきを繰り返すことで、絶えず構造を更新し、生成する。多様性とは本来そういうことである。「都市の科学」を提唱する理論物理学者のジェフリー・ウェストがジェイコブズを「成長の理論家」として称賛していることは、彼女の考えの核心を掴んだ正確な評価といえる。 ところがそうした都市に固有の錯綜性は、合理性を求める者にとっては混沌であり、また嫌悪の対象であるらしく、都市を描くプランナーは複雑性を排除して、単純な原理に回収しようとする。雑多な「意図の不協和音」こそが都市性の源泉なのだが、見た目にクリーンなものを秩序と考えるらしい。 過剰な構造が分裂と新たな結びつきを繰り返すとしたら、余計なものが削ぎ落とされた合理的論理構造は、そうしたことが生起することを防ぐものだ。それは停滞の処方箋である。ジェイコブズはそうしたところを都市と呼んではいない。一見すると賑やかに見えたり、高層が林立していたとしても、そこには都市のダイナミズムが欠けているためだ。それは都市よりも企業に似ている。 都市を企業のように運営するという考えが、2000年代から2010年代にかけて、米国の大都市で広く受け入れられたかにみえた。金融情報システムで富を築いた起業家が市長に転じ、その市長室のダッシュボード上で、都市を各種指標で縛ってパフォーマンスとして管理しようとする姿は、四半期の業績を見通しの範囲下に導こうとするCEOの姿を彷彿とさせるが、科学的林業にも重なるところがある。 「科学的都市管理」というわけか、スマート・シティと称するプロジェクトがあちこちに立ち上がったが、キラキラした最新技術は別にして、そこに埋め込まれた考えは、遥かジェイコブズ以前の科学的林業へと遡行しようとしているようにもみえた。 プランナーのアプローチに批判的に言及する際に、ジェイコブズが折に触れて「賢い人たち」と言っていたのは示唆的である。そこには一元的な合理指向を揶揄する含みとともに、一般的知見やローカルな知識よりも、専門知識を偏重する階級の特性を示唆してもいる。彼女が賢い人たちと言及したのはもっぱらテクノクラートであるプランナーのことだったが、今日の世の中なら、スクリーンを相手に仕事をする人たちと重なるところが大きいといえるだろう。 科学的林業や計画都市のような単純化したスキームには複雑な活動を支える実践的な知識が欠如していることを指摘して、スコットは知識をtechneとmétisの二種類に分類している。 日本語ではtechneは「技術知」と訳されることが多いらしく、同様にmétisも知識のことではあるが、techneがもっぱら書物で学ぶ科学知識のような抽象的で一般化された知識のことであるのに対して、métisは実践的経験からのみ体得できる知識を指している。 手を使う職人仕事では徒弟制の下で長年の訓練を要することが多いが、そうして体得する知識は典型的なmétisである。「手が覚える」というのはたんなる比喩ではなく、文字通り手先のローカルなところに知識や技術が宿っているといえる。どれだけたくさん本を読んでも、ピアノを弾けるようになったり、自転車に乗れるようになったりはしない。 Métisはローカルな経験や環境、そして特定の文脈に埋めこまれた実践的な知識である。変わり続ける環境に対応すべく取得したスキルであるから、実際の経験が物をいい、単純な論理に還元することに抵抗する。 ノウハウ、常識、経験、コツといったものが排除されると、techneのみによって成り立つ「薄い」ものになる。合理化したスキームが頓挫するのは、複雑な活動を支えるmétisを軽視するだけでなく、それを抑圧するためだとスコットは主張する。 科学的林業が導入された森林では、植樹は明文化されて広汎に適用可能なプロトコルに従う単純労働になった。標準的ルールに従うことで、長年の経験から体得した森林、人間、動物の間の複雑な関係を知らなくても、誰でも林業に携わることができる。ローカルな知識が不要になり、いまや重要なのは中央の計画でありtechneというわけだ。エコシステムは統制システムに変わった。 スコットは科学的林業に「テイラー主義」(科学的マネジメント) を見ている。テイラー主義が合理化と生産性主義の下に誰でも扱える標準化を企図し、そこで働く人たちの知識やスキルの必要性を過小評価したように、科学的林業は森林で働くことにローカルな知識を認めない。世代を超えて引き継がれたmétisを無視し、中央のtechneのルールブックに集約するのである。レーニンがテイラー主義を賞賛したことはよく知られているが、そこに驚くべきことはない。 住民の生活に役立つ枝であっても、商品目的に敵わなければ価値は認められない。価値がある樹木は収穫物であり、逆に競合する種は雑種とされ、商品種にとりつく昆虫は害虫に分類される。それは森林を商品である木材と薪の数量に還元し、商品を頂点として、何に価値があり、何に価値がないのかを書き換えるプログラムである。 サンフランシスコに住むある人が、自宅の外の歩道に木のベンチを置いたことが、昨年ソーシャルメディアでちょっとした話題になった。そこは急な坂を上りきったところになっているため、高齢の人たちが息をつけるようにと置いたもので、実際に多くの人たちがそのベンチを利用したというのだが、市はそのベンチを撤去するよう求め、従わなければ罰金を与えるという警告を出したという。 市としては個人が歩道にベンチを置くことはできないということなのだろう。ベンチが必要になること自体が、市の画一的なプランそのままではやっていけないことを示しているのだが、その不備を補おうとする住民の試みが違法とみなされたことに注目が集まった。インフォーマルなものが現れるのは、中央のフォーマルなルールが十分に機能しないためであり、現実の世の中では足下のインフォーマルな補助によって都市が辛うじて成り立っていることを示す一例である。 ストライキの一種である順法闘争は、あらゆるルールの手順を額面通りひとつひとつバカ丁寧に順守して従い、職務記述書 (ジョブ・ディスクリプション) に明文化された記述にある仕事だけしか行わない戦術である。その結果、とてもではないが仕事は立ち行かず頓挫するか、そうでなければ極端に時間がかかって何も達しえなくなる。仕事に残りながらウォークアウトと同じ効果を得る戦術だが、それは同時に、実際の仕事がフォーマルなルールよりも、むしろインフォーマルな了解やその場での即興的対応に大きく依存することを鮮やかに示すものである。フォーマルとインフォーマルはそれぞれtechneとmétisと言い換えてもいい。 それぞれの現場や環境には様々な調整や工夫が必要であり、知識はローカルにこそ宿るものだが、単純化と標準化を進める人たちにとっては、その土地に根ざした知識や技術が存在することは好ましくないらしい。賢い人たちの言葉でいえば、仕組みやモデルを与えればうまくいくはずなのだ。実際には、インフォーマルなものを何より必要とするのはフォーマルな仕組みそのものであり、techneはmétisを求める。余計なものは余計ではない。 森林の場合は、樹木が枯れたり、生産が落ちることが警告となって、何かがおかしいことに気づくことができるが、都市の場合はそのとり違いに気づかないこともあるだろう。というのも、都市はまず死ぬことはなく、死にそうになると助けられることが多いからである。 合理的プランにより機能不全に陥った都市の死は、「プランの外」にあるものにより回避されるとスコットはいう。インフォーマルな介入、ローカルでの機転や実験的試みがそれにあたる。techneがもたらす停滞をmétisが救うのだ。 坂道の上にベンチを置くのもそのひとつであるし、サード・プレイスの着想もそこに由来する。人はかつていろいろな場所を占拠して、必ずしも店の意図に沿ってはいない使い方をしていた。一元的な意図を逃れるために人はサード・プレイスをつくったのだが、もはやそれさえもままならないことにオルデンバーグは不満を募らせているのである。 オルデンバーグは明らかに大都市を忌避しているが、それは大都市ではプランナーの意図が強く—フォーマルな制度やtechneが強く—隅々までコントロールする力が強まっているためだ。ここではこれをしろ、そこではこれ以外のことはしてはいけないといった意図と指示により、大都市が窮屈になっている。インフォーマルが肝であるサード・プレイスにとっては死活問題である。昨今のジェントリフィケーションもこのアングルから捉えてみることができるだろう。 1970-80年代のニューヨークや、壁の崩壊直後のベルリンがひときわ面白い場所で、そこから多くの新しいものが生まれたという話はもはや伝説化している。半壊した建物を勝手に、あるいは安く好きに使って、とやかく言われることもなく、廃墟じみたボロボロなところにビジネスや合理的発想とはかけ離れたヴェニューやクラブがあったりした。そもそもビジネスだったのかどうかも判然としない。 当人たちは、たんに面白いから、楽しいから、それだけでいろいろなことをしていたのだろうけれど、それができたのは、端的にいえば、そうした場所の資産価値が低かったからだ。そのため家主もうるさくなく、好きに使うことができた。しかし2000年に近づく頃から、たとえばニューヨークなら高級住宅地だけでなく、市内のあらゆる地区が不動産の資産価値を意識するようになり、そして意識することを促されて、それに伴い意図の強い場所が増えていくと同時に、説明しようのない不思議な、しかし面白い場所が消えていった。 2000年以降の大都市は、資産化の周りに再編成と合理化を進める単作都市である。資産価値の増大は当たり前の目的であり、誰もがそう指向すべきであることはあらためて問うてみる必要もなく、世界中から同好の士が集まってくる。 最近ではパンデミック期に、techneが後退し、そのかわりにmétisが前面に出てきたのを目撃した。米国の大都市では飲食店が歩道に飲食席を設けるようになり、それぞれの店が自前の経験と知識の上に、どのような食事席を路上につくるのかを試行錯誤して、即興的試みを日夜繰り返した。 市のルールづくりよりも先に飲食店が自ら率先したのは、市にもどうしていいかわからなかったためだ。ものの本や職務記述書には、百年に一度のパンデミックが襲来したときにどうすればいいのか書かれてはいない。そうした時こそmétisの出番である。危機時にtechneの脆弱さが露呈するのは、合理的な単作がストレスに弱いのと同じことである。 多くの通りが自動車の通行を禁止して、歩行者や自転車に開放した。人はそこを通りすぎるだけではなく、椅子を持ち出して通りの真ん中に座ったり、路上で誕生日パーティーを開いたりし始めて、通りをそれまでとは異なる方法で使い始めた。通りはいろいろな目的に利用可能なパブリック・スペースであることにあらためて気づいたのだ。 プランの外にあるインフォーマルな介入によって、大都市は九死に一生を得たばかりか、通常時よりも活きいきとした楽しいところになり、にわかにジェイコブズ的な都市性が蘇ってきたようにみえたが、パンデミックのトンネルを後にするとともに、techneの意図が再び戻ってきた。 今日の大都市では、足下での実験や即興的対応を行う余地が入念に排除されている。パンデミック期にあらゆる実験が路上に一気に広がったのは、その反動でもあったのかもしれない。気兼ねなく使える制約の少ないスペースがあれば、そこを使って、面白いことや楽しい場所にする人が必ず出てくるものだが、問題はそうはさせない意図や制度が多いことである。 「ストリート・ラボ」は、ニューヨーク市内のパブリック・スペースにポップアップのプログラムを提供する非営利団体である。タイムズ・スクエアに本と椅子を置いて路上を読書の場所にする試策を講じてみたり、公園やパブリック・スペースに長大なテーブルを準備して多くの人たちがそこに腰かけて食事を共にするOne Big Tableといったプロジェクトを実施している。通りは通行だけのための場所ではなく、そこに座ることもできるし、本を読むことも、食事することもできる。通りは何かをするところである。 それはいわば「間違った使い方」を意図して促すものであり、その場所にフォーマルに割り振られている目的を曖昧にする試みである。遊ぶためにつくられた公園よりも、いろいろなことができる歩道で遊びたがる子供が多いのと同じことだ。遊びにとっては、余計なことこそがすべてである。 […]

yoshiさん


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