Who's who:佐々木芽生/SASAKI MEGUMIさん
2013.02.09
その他|OTHERS

Who's who:佐々木芽生/SASAKI MEGUMIさん

前作の「ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人」から2年。その続編が今春公開

 NY在住の平凡な夫婦が、1DKのアパートメントでのつつましい暮らしの中で築いた世界屈指のアートコレクション。そこから1点たりとも作品を売ることなく、5000点近くの作品すべてをナショナルギャラリーに寄贈するまでを描いたドキュメンタリー映画『ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人』。2010年の公開から世界で数々の賞を獲得、日本でも全国50を超える劇場でロングランとなり、現在もなお各地で上映が続いている。

 

2013年3月に公開される続編『ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの』は、その続編。夫妻のコレクションが全米50州の美術館に寄贈される「50×50」というプロジェクトが全米規模に広がっていく過程を描いたドキュメンタリー映画である。


この作品は、製作と配給の費用をクラウドファンディングで募ったことでも話題となったが、日本では120日間で1,400万円を超える支援を集めることに成功した。寄付文化が根付かないと言われてきた日本で、現代アートを題材とする映画にこれだけの支援が集まったことは快挙と言っていいだろう。

 

この『ハーブ&ドロシー』2作品で監督とプロデューサーを務めた佐々木芽生さんは、ジャーナリストとしてハーブ&ドロシー夫妻との出会ったことをきっかけに、映画製作に携わるようになったという。この作品を通して、彼女がどのようにしてアートや映画に関わるようになったのか、語ってもらった。

2013年2月12日0:00、クラウドファンディングのカウントダウン!
http://motion-gallery.net/projects/herbanddorothy5050

 美術館で改めて知ったヴォーゲル・コレクションの力 

1作目を撮っている段階では続編なんて全く考えていませんでした。ヴォーゲル・コレクションから全米の50の美術館にそれぞれ50点、合計2500点の作品を寄贈するという「50×50」プロジェクトが発表されたのは、1作目が完成する2か月ぐらい前のことでした。

ヴォーゲル・コレクションを寄贈された美術館は5年以内に展覧会を開かなくてはいけないという制約があるのですが、実際に展覧会を開いたのはまだそのうちの半分くらい。今も全米各地の美術館が展覧会を開いていっている途中です。最初に展覧会を開いたのがインディアナポリスの美術館で、ハービーたちがその展覧会に行くというので着いていったんです。これを撮るのは私しかいないかなという感じでしたし、最初は特典映像に収録できればいいかな、くらいのつもりでカメラを回すことにしたんです。

各地で展示されるのは、彼らのコレクションから50作品を50のミニ・ヴォーゲル・コレクションになるような形でパッケージされたものでした。そして、これを最初に現地で見た時、ヴォーゲル・コレクションの全体像がいかに凄いものなのかに驚かされました。見えてきたんです。美術館のきちんとした環境で見たら、こんなに素晴らしいものなのかと改めて思いました。

有名な役者さんの舞台裏の私生活を4年半も追いかけた後に、ステージに上がってスポットライトを浴びながら演技をしているところを初めて目にしたという、例えるならそういう感動でしたね。

アートに不正解はない」という解答

50州の美術館のカタログみたいになってしまってもいけないので、そのへんはとても悩みました。縦糸に「50×50のプロジェクトのことを、横糸にはハーブとドロシー2人のことや、アートとか何か? というテーマを編み込んでいき、映画が終わった時そのタペストリーが見えてくる、というイメージにしたかったんです。

1作目は、彼らがアパートメントに集めたコレクションの中に“こんな有名なアーティストの作品もある”ということを描いてましたが、2作目ではなるべく無名も作家を出したかったんです。2人のコレクションの中には大成功した人ばかりではなくて、名前も知らないアーティストたちが山のようにいます。彼らにとっては有名無名は大切なことではないんですよ。

2作目のテスト試写を開催したときのことなんですが、ジャーナリストだけでなく、美術館のキュレーターなども何人か来ていたんですね。そういうアート業界の方たちから感想を伺ったところ、マーク・コスタビの登場部分をカットするべきだ、と言われたんです。助手を大勢雇って作品を描かせることを公言したり、自らをコン・アーティスト(ペテン師アーティスト)を名乗るなど、アート界を挑発するようなことをして、最後は追放されてしまったような人でしたが、実は撮影させて頂いたら、面白い話が他にも沢山あったんですよ。

逆に、一般の人にはコスタビの部分が面白いと言われました。その反応の違いは面白いですね。「50×50」の作品リストにコスタビの名前を見て、私も最初は驚きました。え?あのコスタビ?と。でも、私自身のこの反応はどこからくるんだろう? とキュレーターたちの反応を見てふと気づいたんです。私はコスタビの作品をよく知っているわけではないし、売れっ子から地に落ちたアーティストというような評判しか知らない。その先入観はどこから来るのか、と思い返しましたんです。

もし、コスタビにネガティブな観客には、そこまで感じてもらえたら嬉しいですね。なぜコスタビはダメで、同じように自分では作品を作らないジェフ・クーンズアンディ・ウォーホルはいいのか。それを世間の評判ではなくて、自分自身で決めているのかということを問いたいんです。ハーブドロシーは、自分たちの審美眼でコスタビの作品を選んでいるんです。

この映画で私が「アートって何?」ということを探しているうちに見つけた答えの一つが「アートに不正解はない」ということでした。この続編の中でクリスト「アーティストの使命は、見た人に何かを考えさせることだ」と言っています。好きでも嫌いでもなく、“なんか変”とかでもいいんです。クリストのプロジェクトにはものすごく感情的に反対するような人も現れるんですが、そういうネガティブな反応が出てくることも含めて彼は創作の目的として大事にしているんです。

左から佐々木監督、ハーブ、ドロシー

ハーブの死から大幅な見直しへ

一番大きなターニングポイントだったのは、やはり撮影中にハーブが亡くなった時です。この映画は愛する人の死がテーマの映画ではなく、あくまでも彼らの寄贈プロジェクトを軸として描く作品です。ハーブの死もある程度は予想していたので作品には入れようと思っていましたが、前面に出す必要はないと思ったんです。

それがハーブの死後、彼が生きていた頃に分からなかったことがいろいろ出てきました。例えば、ハーブが最初はこの寄贈プロジェクトに反対していて、ドロシーがとても苦労していたことも彼が亡くなって初めてわかったことです。

映画の中でハーブが「僕たちがやってきたことは歴史なんだ」と言うシーンがありますが、撮影していた時には何も気に留めずに聞いていたんです。でも、実はハーブは、自分たちがやっていることの歴史的な価値を意識していた、ということも、ハーブの死後にドロシーから教えてもらったことです。自分たちのしていることが歴史的にも重要だということが分かっていたからこそ、ハーブは展覧会の招待状や記事の切り抜きなどの資料も全部、保管していたんです。

ハーブ
が亡くなった2012年7月の終わりの時点では、あと1ヶ月くらいで完成するかという段階でした。しかしハーブの死後に明らかになったことが多く、ドロシーがコレクションの終結宣言をしたこともあって、結局全体的に見直して、予算と時間をかけて作りなおすことになったんです。

企業の協賛もまだ全然決まっていなかった段階で、費用不足から製作がストップしていたのですが、ちょうどその頃、私の周りの映画監督たちがkickstarterindiegogoなどのクラウドファンディングサイトファンドレイジングを始めていたんです。そこで、kickstarterで資金を集めたところ、55,000ドルの目標に対して87,000ドルの支援が集まりました。

まだクラウドファンディングそのものが日本では知られていなかったので、日本の知人に一斉メールでその仕組みから何から何まで全部説明して、支援を呼びかけました。

『ハーブ&ドロシー 2人からの贈りもの』から

続編の撮影はアートへのトラウマの克服だった

「ハーブ&ドロシー」の1作目を撮った時は、テーマはアートの話ではなく、2人の人生夫婦愛に感動する一方で、まだアートに関わることを避けていたようなところがあったんです。

中学生の頃はアーティストになりたくて、美術部で油絵を描いていて、高校も芸術系の学校に進学しようと思っていました。それが3年生の時に赴任してきた美術の先生がすごく嫌いになって、絵を描きたいという気持ちまでバッサリ折られてしまってたんです。絵筆も全く手にしなくなりました。美術へのトラウマのようなものになったんです。

それから私のアートに対する興味はずーっと封印されていたんですが、やはりクリエイティブなものに対する関心はあって、周辺にはそっと近寄ったりしていましたが、「ハーブ&ドロシー」の1作目でもまだ、アートの中には入っていけなかったんです。

でも今回続編を撮ることが、私にとってはそのトラウマのヒーリングになったんです。 撮り始めの頃はまだ気付いていなかったんですが、 アートとは何だろう、ということを考えながら撮影しているうちに、無性にアートが観たい、美術館に行きたい、と思うようになったんです。これまでNYに25年住んでいながらそんなにしょっちゅう美術館にも行かなかったんですが、MOMAホイットニーの会員にもなったんですよ。

インドでの体験が育んだジャーナリストへの興味

元々私は、映画もむしろ苦手だったんです。子供の頃から暗闇が怖くて、高校生まで部屋の電気を消して寝られなかったくらい。なのに大学を卒業して入ったのが東北新社で、嫌いなホラー映画を大量に見ることになって、ノイローゼになりそうでした。一生の間で一番映画を見ていたのがこの頃ですが、あまり記憶に残っていません。結局、身体を壊して2年で会社を辞めることになってしまいました。

会社を辞めた後、旅行でインドに行ったんですが、1週間くらい観光で滞在する予定が結局、4カ月いたんです。インドでは世界観というか、人生観が180度変わりました。失うものがないということの自由が分かり、怖いものがなくなったんです。当時は外国製品が何でも高く売れたので、煙草もライターも、持っているものを売ってお金にしました。

インド滞在の最後に訪れたのがボンベイで、そこで出会ったグレゴリー・ロバーツ(Gregory David Roberts)との出会いは大きなインパクトでした。ゲットーにクリニックを開いて貧しい人達を助けたり、子供達に英語や空手を教えたりしていました。現地のマラティー語もペラペラで、とにかく凄い人だったんです。ちなみに彼はインドでマフィアになって、その後捕まって服役中に自伝的な小説を書いたんですが、それが『シャンタラム』という世界的なベストセラーになっています。彼にはボリウッドのスタジオやゲットーなど、普通の観光客では絶対足を踏み入れられないようなところにも連れて行ってもらい、インドの現実をいろいろ教えてもらったんです。

インドでいろいろな人に出会い、見たり聞いたりしたことをきっかけに、ジャーナリストという仕事に興味を持つようになりました。世界はすごく広くて、自分が知らないことが一杯ある。それを見てみたい、伝えていきたいと思うようになったんです。

 

ジャーナリストからNHKのキャスターに

インドを出て、ロンドン経由でニューヨークに行っんです。そこでたまたまフルタイムの事務職の仕事が見つかって、ビザも取れるので半年ぐらいのつもりが、そのまま現在に至っています。

インドで撮った写真をNYで見返していた時に写真に興味を持つようになりました。その時の自分の気持ちとか考えていることが全部反映されているような気がして、これはすごく面白いなと思ったんです。

ニューヨークに行って1年ぐらい経った頃、ベルリンの壁が崩壊したのを知って、仕事を辞めて行ったんです。7カ国を回って撮った写真が現地新聞の読売アメリカに連載されたのが、私のジャーナリストとしての第一歩です。やがて雑誌の仕事もするようになりました。

それがある時、たまたま知人が薦めてくれたオーディションがきっかけで、NHKの『おはよう日本』という番組のキャスターになっちゃったんです。キャスターとしてNHKでは4年間仕事をしました。2〜3分のレポートで語れるものって限られていますから、今度は長編の作りごたえのある作品をやってみたいと思うようになり、1996年にジャーナリストとして独立しました。取材対象としては、むしろハードな社会派の方が好きでしたね。

撮影後にクリストとクルーといっしょに(佐々木芽生監督のブログより)。

ハーブ&ドロシーとの出会いから映画の世界へ


ハーブドロシーに出会ったのは2002年、当時私はワシントンのナショナルギャラリーで開かれていたクリストの展覧会を取材したのですが、その展示作品がすべて「Herb & Dorothy Vogel Collection」だったんです。このヴォーゲル夫妻とはどういうコレクターなのかをその時に知って、そんな人が本当にいるのか、と感動しましたね。

2年後の2004年、やはりクリストの展覧会のレセプションでまた2人に居合わせたんです。その時のハーブドロシーがもう何ともいえない存在感で、アート界のハイソな人達に混じって、2人は普段着のような感じのまま。しかもハーブは身長が150cmもなくて小さいでしょう。ふらっと間違って紛れ込んだみたいな感じなんですけど、そんな2人のところに皆が次々と挨拶に行ったりしている。 それを見た時、彼らを取り上げるなら映像がいいと思ったんです。取材をお願いして、次の週には彼らのアパートを訪ねました。

それまでも2人のことは世界中のマスコミで報道されてきましたが、郵便局員と図書館司書の夫婦が、ラッキーでちょっと変わった型破りのコレクターになった、というような感じで取り上げられていました。でも、私はもっと深いところに2人の大切なメッセージがあるんじゃないかと思ったんです。

それを伝えるためには、テレビや雑誌ではなくて映画にするしかない、それなら自分で撮ってみようかと思って始めたのが『ハーブ&ドロシー』なんです。撮り始めた時点ではまだ配給とかそういうことは全然考えていなくて、全て手探りでした。

 

前例のない広がり方を見せる『ハーブ&ドロシー』

アメリカで公開されてから4年以上が経った今も『ハーブ&ドロシー』という映画は広がり続けています。タイムリーさではなく、普遍的なテーマが受けいれられているということなんでしょうね。

1作目は、アメリカで100以上の劇場や美術館で公開されて、ネットフリックス(オンラインDVDレンタルサービス)でも「見るべきアートドキュメンタリーベスト10」にも選ばれました。 カルトムービー的な熱心なファンがついてくれているようです。

音楽を担当してくれたデヴィッド・マズリンは、1作目に音楽をつけてくれた時はまだほとんど無名だったのですが、現在はハリウッドにエージェントがいるくらいの作曲家になっています。彼曰く、ハリウッドの人たちはドキュメンタリーはまず観ないそうなんですが、『ハーブ&ドロシー』は例外的に皆が観ていると言われました。

ヨーロッパでは前作が劇場公開されていないのであまり知られていないのですが、それでも美術館から上映会の希望が寄せられていますし、モスクワや台北、中国などからも上映のオファーをもらっています。

続編の宣伝やクラウドファンディングの呼びかけのため、1作目の上映会を現在いろいろな場所で開催しています。『ハーブ&ドロシー』は全て私たちがコピーライトと配給権を持っているので、上映料も無料にできる。小さなギャラリーやカフェでも上映できるので、好きな形で上映することができるんです。 これからも1人でも多くの方に観ていただきたいと思っています。

これからも友人としてドロシーとの付き合いは続きますが、映画としてはこれでハーブ&ドロシーからは卒業ですね。この後はアートに関する映画は撮らないつもりでしたが、最近になって少し心境が変わってきました。もしかしたらまた、アートをテーマにした映画を撮るかもしれないな、と思うようになったんです。捕鯨の問題など、ほかにも撮影中のプロジェクトがいくつかあるので、いずれ形にしていきたいと思っています。


[インタビュー:本橋康治(コントリビューティング・エディター)]



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