渋谷の街にパルコがオープンしたのは1973年のこと。その後、約43年間、ファッションやカルチャーの一大発信地であり続けてきたが、このたび、館の建て替えのため、2016年8月7日(日)に一旦休業となる。
現在、そのカウントダウンイベントが絶賛開催中で賑わっているなか、7月29日〜8月7日、「渋谷・公園通り アーカイブ写真展〜Landscape photographs of PARCO, Shibuya」と題した写真展が、パルコパート1の2・3階エスカレーター脇のスペースで開催される。
本展覧会は、1977年以来、パルコのファッション・カルチャーのシンクタンクとして東京の若者とファッション・カルチャーを観察してきた「ACROSS」編集部が撮影した写真のアーカイブ総計約10万点のなかから、ほんの一部、約50点を公開。「区役所通り」と呼ばれていた1970頃から2016年現在にいたるまで、新しいトレンドを次々と生み出す中心地であり続けてきた<渋谷・公園通り>の歴史を総覧できる貴重な機会となるので、ぜひ足を運んでみてほしい。
実は、今回の展覧会のために新たに発掘された写真も多数あり、その作業もかなりワクワク! ここでは、その解説編として、本日より8月7日(日)まで毎日加筆・更新していく予定なのでお楽しみに!
【左】
パルコパート1とパート2の、それぞれ異なる色で光るロゴが美しい、1977年の冬に撮影された1枚。パート2はインテリア雑貨や子供服・玩具を取り揃え、女性の生活そのものをファッション化させるという目的のもとに、1975年12月にオープンした。
【右】
「すれちがう人が美しい ~渋谷公園通り~」を開業のキャッチコピーとした渋谷パルコ。公園通りを歩く人びとをお互いに“見る—見られる”の関係で結ぶことで、ファッションによる自由な自己表現の場を生み出した。
パルコパート1とパート2の、それぞれ異なる色で光るロゴが美しい、1977年の冬に撮影された1枚。パート2はインテリア雑貨や子供服・玩具を取り揃え、女性の生活そのものをファッション化させるという目的のもとに、1975年12月にオープンした。
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「すれちがう人が美しい ~渋谷公園通り~」を開業のキャッチコピーとした渋谷パルコ。公園通りを歩く人びとをお互いに“見る—見られる”の関係で結ぶことで、ファッションによる自由な自己表現の場を生み出した。
【左】
1977年3月末、「楽しく歩けるみち」をテーマにした公園通りの歩道拡幅が完成し、その祝賀催事が4月1〜10日まで開催された。生まれ変わった公園通りは、車道の幅9メートルに対して歩道の幅11メートルで、ファッションストリートとして歩行者優先の設計。
こちらの写真は、祝賀催事のオープニングを飾った、バトンガールとブラスバンドのパレード。背景に写り込んだパルコパート2には、「楽しく歩けるみち公園通り」という垂れ幕がかかっているのが見える。
【右】
1976年、「アメリカ建国200年祭」を記念した巨大な自由の女神像が出現。実は、同年6月には自由の女神像の頭部分だけが設置されていた。
1977年3月末、「楽しく歩けるみち」をテーマにした公園通りの歩道拡幅が完成し、その祝賀催事が4月1〜10日まで開催された。生まれ変わった公園通りは、車道の幅9メートルに対して歩道の幅11メートルで、ファッションストリートとして歩行者優先の設計。
こちらの写真は、祝賀催事のオープニングを飾った、バトンガールとブラスバンドのパレード。背景に写り込んだパルコパート2には、「楽しく歩けるみち公園通り」という垂れ幕がかかっているのが見える。
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1976年、「アメリカ建国200年祭」を記念した巨大な自由の女神像が出現。実は、同年6月には自由の女神像の頭部分だけが設置されていた。
現在GAP渋谷店となっているパルコ パート1の手前の敷地は、1980〜1990年代前半は有料駐車場(空き地)だった。その壁面に施されたアート作品や広告のペインティングを「ウォールギャラリー」と称し、公園通りを彩った。ペインティングをしていたのは、アートスクールの学生たちだったり! また、敷地を使って「渋谷公園通り音楽祭」などのイベントも開催されていた。
1981年の1月30日、画家タマラ・ド・レンピッカの日本初の展覧会「肖像神話 タマラ・ド・レンピッカ展」が池袋パルコで開催されたのを記念して、タマラのウォールペイントが公園通りにも登場した。
タマラは1920年代に活動した女性画家で、展覧会が開催された当時の日本では無名だった。そのタマラをパルコが発掘。展覧会を開くための布石として、1980年には世界初となるタマラの画集『肖像神話』をパルコ出版から上梓した。
無名の画家の画集を出版し、展覧会を開いたその背景には、「美術的・文化的に見落とされた歴史の闇の部分に光をあてる」というパルコの姿勢があった。
タマラは1920年代に活動した女性画家で、展覧会が開催された当時の日本では無名だった。そのタマラをパルコが発掘。展覧会を開くための布石として、1980年には世界初となるタマラの画集『肖像神話』をパルコ出版から上梓した。
無名の画家の画集を出版し、展覧会を開いたその背景には、「美術的・文化的に見落とされた歴史の闇の部分に光をあてる」というパルコの姿勢があった。
現在はThe Dayz tokyo(ザデイズトウキョウ)が入店している、小型別館の「SR6(ショールーム6)」は1983年に誕生。パルコパート1とSR6に挟まれたこの通りの名前は、1981年、パルコパート3のオープンにあわせて一般公募され、「アクターズストリート」と命名された。
【左】
【右】
1979年にパルコパート1店頭に登場した時計のモニュメント=「エンゼルクロック」。待ち合わせの名所として親しまれた。1984年に撮影されたこちらの写真は、薄く雪化粧したエンゼルクロックをモノクロでおさめた幻想的でメランコリックなムードの1枚。
【右】
1979年にパルコパート1店頭に登場した時計のモニュメント=「エンゼルクロック」。待ち合わせの名所として親しまれた。1984年に撮影されたこちらの写真は、薄く雪化粧したエンゼルクロックをモノクロでおさめた幻想的でメランコリックなムードの1枚。
1986年は、『メンズノンノ』が創刊するなど、男性ファッションに注目が集まった年。こちらは、デザイナーズバザーに押し寄せた若者たちの写真。実は、今は珍しくなくなったが、男性がファッションのセールに行列したのはこれが初めて。
【左】
1990年代に撮影されたスペイン坂の様子。写真奥には、1993年の6月に渋谷パルコにオープンした、TOKYO FM 渋谷スペイン坂スタジオの黄色い広告が見える。8月1日から最終営業日の8月7日の間、人気番組の公開生放送が連続するため、そちらもぜひご覧ください。
【右】
パルコパート1とパート3に挟まれた、文字通りの「サンドイッチ通り」。この呼び名もやはり、パート3のオープン時に一般公募されたもの。
そして連絡通路のうしろに見えるのは、当時「パブパルコ」と呼ばれていた建物。1973年に飲食と物販をミックスしたビル「チャオパルコ」としてオープンし、1975年に飲食店専門のパブパルコとなった(物販はパート2に吸収された)。
パブパルコはその後、2002年に「ゼロゲート」となり、現在はカジュアルファッションブランドBershka(ベルシュカ)と、レストラン「舞踏の国のアリス」が入店中。
1990年代に撮影されたスペイン坂の様子。写真奥には、1993年の6月に渋谷パルコにオープンした、TOKYO FM 渋谷スペイン坂スタジオの黄色い広告が見える。8月1日から最終営業日の8月7日の間、人気番組の公開生放送が連続するため、そちらもぜひご覧ください。
【右】
パルコパート1とパート3に挟まれた、文字通りの「サンドイッチ通り」。この呼び名もやはり、パート3のオープン時に一般公募されたもの。
そして連絡通路のうしろに見えるのは、当時「パブパルコ」と呼ばれていた建物。1973年に飲食と物販をミックスしたビル「チャオパルコ」としてオープンし、1975年に飲食店専門のパブパルコとなった(物販はパート2に吸収された)。
パブパルコはその後、2002年に「ゼロゲート」となり、現在はカジュアルファッションブランドBershka(ベルシュカ)と、レストラン「舞踏の国のアリス」が入店中。
1970〜1980年代を取り上げた解説編(β版)①は、毎日ちょっとずつ写真やキャプションを追加していきます。また、1990年代〜2016年現在について、解説編(β版)②として、後日アップロードします。特に解説編②では、パルコパート1の店内に展示していない1990〜2000年代の写真も公開。お楽しみに!
解説編②はこちらからどうぞ。
解説編②はこちらからどうぞ。