Q:その後、上京されたわけですが、当時のHachiさんにとっての原宿〜渋谷はどんなイメージでしたか?
Hachi:東京に行きたくて、というか原宿に行きたくて専門学校で上京しました。原宿の路上で当時のスナップ雑誌『FRUiTS(フルーツ)』とか、当時出たてのオンラインマガジンの『drop』とかに載ったりしてましたね。そして、毎日原宿にいるためにはどうしたらいいのかと考えた末、表参道の交番の近くにあるローソンでアルバイトをしていました。とにかく、ものすごいお客さんの数でめちゃくちゃ忙しい。けっこう辞める人も多かったんですが、僕は自分が動かなくてもいろんなお客さんが向こうから来てくれるので、観察するのが楽しかったですね。
Q:“観察者”!
Hachi:あ、BALMUNGは、そういう意味では、“僕の見えた風景”というのが重要なコンセプトになっていて、宮台真司的というか、フィールドワークというか、常にユースカルチャーを観察してきた記録ともいえると思います。
Q:それが、ちょっと長いブランドのコンセプト、の神髄だったんですね。
・都市と人間との関係の中から触発され循環する過程である。
・都市と人間との関係の中から触発され生産された結果である。
・都市と人間との関係の中から触発され原動力とする探求である。
・都市と人間との関係の中から触発され積み重なる研究である。
Hachi:2010年ごろは「カオスラウンジ」でchroma(クロマ)とかhatra(ハトラ)に出会って、当時ニコニコ動画とかtwitterとかが急速に浸透していった時代ですね。その前は、新宿2丁目の「candy」とか青山の「ルバロン」とかでも展示販売会みたいなのをやったこともあります。*CandyのバイヤーだったころのHachiさん。
Q:クラブでファッションショーというと、90年代の「yellow」を思い出します(苦笑)。いつの時代もアンダーグラウンドのところでカルチャーが生まれ、育まれていくけど、昔はリアルが重要なタッチポイント=場だったのですが、アフター・インターネットの時代になると、“場”自体も解放されて、オンラインもオフラインも等価になっちゃった。
Hachi:そうですね。ずっと原宿にいて、外資のファストファションが入ってきたときに、渋谷の109系のブランドとプライス的にもトレンド的にもタイになっちゃって、原宿と渋谷が繋がったな、と思いました。そんな時に通っていたのが、渋谷の『La FABLIQUE(ラ・ファブリック)』だったのですが、いまBershka(ベルシュカ)があるビルの地下にあったクラブです。あれがなくなったのは大きかったですね〜。